2015/5/31更新
編集部 ラボルテ 雅樹
「大半のOECD諸国では、過去30年で富裕層と貧困層の格差が最大になった。人口の上位10%の富裕層の所得が、下位10%の貧困層の所得の9・5倍に達している」。OECD(経済協力開発機構)が昨年12月に出した『格差と経済』の冒頭だ。オマケに「格差是正への最も直接的な政策ツールは、税と給付による再分配である」との記述がある。
「経済成長のため」の域は出ないが、富裕層から金を取って人々に再分配するべきだとの認識は主流な国際社会からも提起され始めている。しかし、過去30年間、財政危機を煽り続け「人々に痛みを求める」新自由主義政治が続けられてきたし、今後もしぶとく続きそうだ。
このしぶとさに対抗する動きが、5月2日に行われた。「自由と生存のメーデー2015 反富裕―Life is scandal」(呼びかけ=フリーター全般労働組合)だ。自由と生存のメーデーは、派遣切りが社会問題化された07年より開催。去年からは「反富裕」をテーマにしたデモが、関東を中心に取り組まれている。
同メーデーには120人が参加。サウンドカーの音楽に合わせつつ「奴らから取り返せ!」「グローバル資本主義反対!」「週休7日!」「お前がお茶汲め!」とシュプレヒコールを上げて、新宿や渋谷一帯4qを行進した。警察から激しい妨害を受けながらも、アップルやマクドナルド、「ナイキパークス」などの店舗・公園の通過時には一斉に「搾取をやめろ!」「公園返せ!」と声を上げた。
デモ参加者に参加の理由を聞いたところ「世界・日本各地にいろんなメーデーがある。けれど、私にとってメーデーは『全ての人に価値があるということを確認する日かな』という認識があります。生きてちゃいけないの?と思わされる世の中だから。生きる肯定につながれば。『反貧困』は貧困層を社会保障制度で救い出す、みたいなところがあるけれど、そうじゃない。『奪われているものを奪い返すんだ』というのが反富裕です」と語った。
反富裕は「誰が得して誰がしんどい思いをさせられているか」を明らかにする運動だと考えている。「聖域なき構造改革」とか「二重行政」とか言って論点をすりかえ、問題を世代、民族・国籍、正規・非正規、ワーキングプア・生活保護受給者の対立に巧妙にすりかえる支配者たち。日ごろから誰かを敵対視せざるえないような生き方を求められている。常に隣人と相対的に評価され、隣人を出し抜くことをあらゆる場で要求されている。「非人間化」を求められているのだ。
でも、隣にいる「ちょっといい生活をしているように見える誰か」を憎む必要はない。私たちを分断して支配する敵は明確だ。富裕幻想や主流秩序に乗ることではなく、「お互いに人間らしく生きることに近づくこと」を素直に欲望すること。
『新自由主義』(D・ハーヴェイ著)によれば、「世界の金持ち上位358人の純資産が世界人口の貧困層下位45%の総収入と同じ」だという。貧困は最大の人権侵害だ。あらゆるものを、その人間から奪っていく。一方で、貧困をなくし、全ての人間が人間として生きられる富がいまの世界に十分にあることは、明らかなのだ。問題はその富が少数の金持ちに独占されていることだ。
この状況の理解に、私たちは自信を持つべきではないか。私たちは持っていないのではなく、奪われているのだ。誰もが生きづらいこの社会だからこそ、一緒に生きるもうひとつの道を希求しなくちゃ。
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