2015/3/29更新
原発さよなら四国ネットワーク 門田 鈴枝
愛媛では、伊方原発ゲート前行動と、松山市での集会・デモを行いました。温暖な愛媛の3月としては珍しい雪の予報が出て、ゲート前は遮るものがないので寒いだろうと覚悟していましたが、いつもの強風には吹かれたものの雪は降らず、一安心しました。
原発敷地内では、PR館からゲート前に降りる所から山を崩し木を伐採し、大がかりな工事が進んでいます。「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」が呼びかけている毎月11日の座り込みは、46回目。4周年にあたる今回は、内容も規模も拡大して、10〜14時過ぎまで、四国各地から50名参加。TVも含めマスコミ8社の取材もありました。
ゲート前集会では、毎回の参加者や伊方原発をとめる会・愛媛県原爆被害者の会、4月の県議会選挙で反原発を掲げる立候補者からの発言に続き、当会、伊方原発反対八西連絡協議会、八幡浜・原発から子どもを守る女の会、脱原発アクションin香川と、たんぽぽ舎の奥野さんなど各団体が、四国電力社長への要請文を読み上げて、伊方原発所長代理の松本氏に提出し、抗議しました。
要請文提出後、「なぜ危険な伊方原発を再稼働せねばならないのか」というみんなの質問に,松本氏は「電力の安定供給のためです。地球温暖化防止のためです」と答えましたが、参加者からは、「原発は止まっていても電気は足りているではないか!」という声が沸きおこりました。
しかも、事故の際に3号機にある海水を真水にして原子炉を冷やす冷却水などを作っている配管から塩酸が流れ出すトラブルがあったにもかかわらず、1カ月も遅れて前日の報道で県民へ知らされるという失態があったばかりです。この件を聞いても返答はなし!でした。
近藤誠さん(伊方原発反対八西連絡協議会)は、「福島の事故が解決していない中で原発を再稼働させようという動きに、憤りを覚えます。今後も原発への反対を強く訴えていきたいです」と発言。斉間さん(八幡浜・原発から子どもを守る女の会)も、「原発が無くなるまで毎月11日座り込みは続ける」と、強く抗議しました。
その後、国道沿いにある広野房一さん(1992年伊方1号炉訴訟の原告)の碑(「プルサーマル反対」記念碑)に掛ける短冊木札に参加者がメッセージを書き込み、四国電力担当者を囲んで、反原発ミュージック隊による演奏と歌で廃炉を訴えました。
最後に福島のおんなたちの映像を見た後で、「原発反対福島の女たち」の集会と電話でつなぎ、当会の大野から2分間メッセージを伝え、エールを送り合いました。
松山への帰路では、伊方原発ゲート前に建設中のヘリポートの隣にある、先日亡くなった原発を受け入れた当時の町長の碑を横目で見ながら、一路松山へ急ぎました。
18時からは、松山市駅前坊ちゃん広場での「3・11伊方原発をとめる愛媛集会&デモ」(主催・伊方原発をとめる会)に合流しました。各団体からのスピーチが続き、当会小倉が、「島リスク」をアピールしました。原発を安全に止めるためには、燃料を冷やし続けるための電気が不可欠。しかし、南海トラフ巨大地震が起きたら、四国の火力発電所は津波被害で全て長期間停止し、海に囲まれているため他地方からの電力供給も期待できません。「伊方原発を再稼働させれば、福島事故の二の舞になる」と訴えました。
その後、旗・プラカードや伊方原発オブジェを掲げて太鼓をたたき、みんなで「子どもを守れ」「伊方原発今すぐ廃炉」などシュプレヒコールをあげながら、中心繁華街の銀天街〜大街道をデモ行進しました。約300名の参加でした。
同日、新居浜市でも「東日本大震災4周年祈念これでいいのか日本!3・11新居浜集会」が行われ、100名余がパレードしています。
私は伊方町の隣町で生まれ育ちました。原発が来る前の伊方・三崎半島の寒村の暮らしを知っています。ところが今は、悲しいほどにきれいな三崎半島の景色の中に突如として3基の「サタンの火」=伊方原発が目に飛び込んできます。その前に立つと、「人と原発とは決して共存できない」ことを痛感し、やりきれない思いでいっぱいになります。福島を繰り返してはなりませぬ!伊方原発再稼働反対!
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