2015/2/19更新
元日本赤軍 重信 房子
2月4日夜、今回の「人質事件」に関してコメントを求められました。
まず、亡くなられた方々に哀悼を捧げます。
後藤さんらを思う時、同時に私は、イスラエル占領下のパレスチナで暴虐にさらされ、また、イラク・シリアで米欧らの空爆に怯え、自由を奪われている住民たちのことも頭から離れません。何百人が同じように毎日殺されていることを、同じ命の重たさとして思い、また哀悼します。
私は獄中にあって、映像を見られず、新聞情報のみによるコメントですので、既に述べられていることかもしれませんが、諒解してください。
1月20日のメディアへの第一報は、「始まり」ではなく、水面下での「イスラム国」の要求を日本政府が拒否した「結果」です。去年から数カ月間、「イスラム国」から後藤さんの妻宛にアプローチがあり、それを拒否したことが隠されてきたと思います。
当初から安倍首相は「テロリストの要求は一切呑まない」と決めて、人質を軽視した「『イスラム国』操作」に終始しました。「イスラム国」側は見限って、オレンジ色囚人服の「公然政治キャンペーン」を始めたと思います。「イスラム国」の狙いは、派手な演出の中、水面下の要求以上の大きな代価を払わせるか、効果的に殺すか、だったと思えます。矢面に立たされ苦しい立場にあるご家族を守り、彼らと共にあるべき日本政府は、数カ月間何をしてきたのか、日本政府の「テロリストに対する無視戦術」を明らかにさせるべきだと思います。
安倍首相の第一の過ちは、人質の命の叫びを軽視し、大見得を切って「イスラム国」と闘う意志を、2億ドル支援と共に高らかに示したことです。「待ってました!」と、「イスラム国」の「政治キャンペーン」開始の引き金となりました。今になって安倍首相は、「テロリストの要求を忖度する必要なし」と、開き直って、責任をすり替えていますが、国民の命への責任が首相として問われたのです。
第二に、カイロでの演説を「イスラム国」に逆手に取られて「2億ドル要求」されると、慌てふためいてシオニストの手中に無自覚にはまったことです。エルサレムは「占領地」です。どの国の駐イスラエル大使館も、テルアビブにあります。なぜ、交渉をテルアビブにある日本代表部でやらなかったのか? その前にも、安倍首相がネタニヤフと共に日章旗とイスラエル旗を背に、「テロとの闘い」を語ったことは、歴史的誤りです。その一方で、「パレスチナの国際刑事裁判所加盟に反対」を表明。これは、日本政府がアラブの敵である米・イスラエルとの同盟関係に転換したことを示したようなものです。
日本の中東政策は1973年田中内閣時、「石油危機」を教訓として、米外交従属の日本が初めて「独自のアラブ外交」に転じました。以後、イスラエルの占領地撤退要求からPLO代表部設置へと友好を築き、「親アラブ」と言われる道に踏み出してきたのです。アラブ諸国は日本に友好的感情を持ち、私たちの闘いもまた、小さな貢献をしてきました。
安倍政権の中東訪問は、米・イスラエルとの「反テロ」や軍事技術同盟を重視し、中東政策の転換をアラブ世界に宣言したことを意味します。
第三の過ちは、ヨルダンに「対策本部」を置いたこと。人質重視ならトルコでしょう。イスラエルと米と戦略共同する中東の国は、ヨルダンだけです。ヨルダンには米の本部があり、「有志連合」の前線司令部的な位置にあります。これも「米・イスラエルとの連携誇示」とアラブ民衆は理解したでしょう。安倍首相の判断は、あわよくば「一対一交換」で後藤さんと引き換えに味方の死刑囚を得ようという「イスラム国」の動きを誘発しました。
安倍首相の一連の言動は、邦人人質を軽視した動きであり、「イスラム国」のみならず、アラブ民衆を落胆、怒らせたことは明らかです。安倍首相が、米・イスラエルの一翼に日本を導いたため、抑圧された人々と共にあろうとした後藤さんらを危険に陥れる結果を作ってしまいました。
今、ちょうどラジオでヨルダン人パイロット殺害が公表され、ヨルダンに捕われていた「イスラム国」死刑囚は、報復として死刑執行されたとのニュース。痛ましい。戦争がくり返されています。
「イスラム国」の残虐なやり口は、世界の大多数のイスラーム教徒も眼を背けるように、言語道断です。「イスラム国」は、「戦術」として憎悪を最大化させる効果を狙って敵を殺していますが、恐怖による統治は、サウジアラビアの宗教警察などでも行われていることです。今でも石打や処刑など、残虐行為がまかり通っています。
「イスラム国」の源流は、中東における欧米の植民地支配、イスラエルびいきの「ダブルスタンダード」が公正に解決されずに放置されてきた歴史的な問題を抜きには語れません。
「イスラム国」は、ブッシュ政権のイラク侵略(2003年)によって10万人を超えるイラク住民が殺されたことに源流があります。その後、シーア派政権が成立し、クルドも独自の権益を得るなかで、スンナ派の人々は厳しい条件に置かれたのです。このスンナ派バース党の人々が「イスラム国」の基盤や人脈を作り出したと言われています。
フセイン政権下のイラクは、対イラン戦争やクルド人弾圧など「戦争慣れしたエリート」が集まるバース党が支配する、スンナ派の天下でした。70年代から80年のイランとの戦争まで、私たちはバグダッドを拠点の一つとしていました。
当時バース党は、強権独裁政治ながら、世俗主義の「統一・自由・社会主義」を理念に掲げて、パレスチナ人民に強力な支援を行い、アラブ民衆にとって魅力的だった時代です。男女同権の反帝政権で、地方組織も、家族単位まで部族社会とつながったヒエラルキーの下、スンナ派の基盤に支えられていました。
シーア派のバース党員は都市部に多く、地方のシーア派部族は飴と鞭で抑圧されているように見えました。イランとの戦争はスンナ主義を強め、サッダム・フセインも宗教的な詩をいくつも作っています。
ところが2003年以降、米欧の侵略下、バース党員たちは、「統一と聖戦団」を2004年に組織し、正規軍から抜けて、民兵組織・スンナ軍団として活動していきます。これが「イスラム国」の始まりと言われています。バース党の行政能力、秘密警察政治や諜報活動の恐ろしさ、汚さ、彼らの残忍さは、私もよく知っています。その彼らが、親兄弟子どもたちを殺されて、血涙を流しながら、米欧に対する憎悪で闘ってきたのです。残忍さは、戦争の相互関係の中で作られていくものです。
「アラブの春」の敗北感も、「イスラム国」への参加を促していると思います。さらに、スノーデン氏によれば、「イスラム国」創設に米、英、モサドなどが関与し、「すずめ蜂の巣作戦」と名づけて育てていたとのこと。ビン・ラディンがCIAに育てられたように、「主人」の意向を無視して成長することもあるでしょう。結局、米・欧・サウジらの武器、外部からの介入が「イスラム国」を育てたのです。
何よりも外部からの軍事介入を止め、イラク・シリアを「非戦の地域」へと転換させることに力を注ぐべきです。膨大な対「イスラム国」散財(アメリカ「予算教書」によると、対「イスラム国」軍事費として年間53億ドル)、欧米やサウジら王制諸国の湯水のような「イスラム国」対策の軍事費と同額を、難民や地域の生活・教育・産業復興に当てることこそ第一です。
軍事対決は軍人を育て、世界に「イスラム国」潮流を拡散させます。戦争は、「人」と「兵站」が勝敗を決するので、空爆による兵站の弱化は「イスラム国」を弱体化させるでしょうが、政治思想は残り続けます。空爆を続ける限り、「イスラム国」を支持する力を拡大させていくでしょう。
まずもって米欧らの空爆を止め、「非戦」のアプローチに変え、武器を無くすことに頭を使うべきです。日本もジブチから自衛隊を撤退し、「9条外交」によって「憎悪と破壊」の世界から「寛容と連帯」の世界へと転ずる先駆けとなる道を進んでほしい。安倍首相と正反対の道です。
「人質作戦」は、私たち旧日本赤軍も70年代の一つの戦術として闘いました。公判や自著の中でも反省と謝罪をしてきましたが、関係のない人をターゲットや楯にする闘いは、人々の解放を求める者たちの闘いとして正当化できない、ととらえ返してきました。そして、被害を与えてしまった方々に謝罪の意を表明してきました。
あらためて、その意を込めて、「イスラム国」の人質殺害を非難します。「イスラム国」のプロパガンダ報道映像も、メディアが拡散させるべきではありません。しかし、何よりも今も「有志連合」の中心で音頭を取る者たちこそ指弾されなければならないと思います。まず、空爆を止めること、そこからです。
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