2015/2/19更新
歴史家(世界史、文明戦略)・東京大学名誉教授 板垣 雄三さん
「敵か、味方か?」という二元論と公正さを欠く「反テロ」言説が、日本を覆いつつある。安倍首相や政府の対応を批判すると利敵行為と非難され、情報隠しも許されてしまう有り様だ。
アラブ研究の第一人者である板垣雄三さんに、人質事件を通して見えきたものをうかがった。板垣さんは「世界のカオス状況は、欧米中心主義の崩壊過程だ」と指摘する。(文責・編集部)
──まず「イスラム国」が登場した背景について教えてください。
板垣…イスラム国は、イラク戦争とシリア内戦を通して欧米が作り出し、育成した組織です。米国は、ヨルダンやトルコに秘密の軍事訓練基地を作り、イスラム国の兵士となる人員を訓練してきました。特にシリアの内戦では、欧米に加えてイスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールをはじめとする湾岸イスラーム諸国が、資金を出し軍事訓練を施して反体制勢力を強化し、イスラーム原理主義組織を操ってきたのです。イスラム国は、その中から出てきた「お化け」です。
ところが、2014年後半からイスラム国空爆を開始すると、米国は、「欧米対イスラーム原理主義」というあたかも本質的に相容れない対立かのように描き始めました。欧米は最初からイスラーム原理主義の壊滅を目指していたかのように語られていますが、とんでもない誤魔化しです。イスラム国は自分たちが作り出してきた「お化け」であることを隠すために、大げさに批判しているのです。
スンニ派とシーア派の宗派対立は、あくまで共生する民を外側からの扇動・操作で分割統治する仕掛けです。
──日本が狙われた理由は何でしょうか?
板垣…第2次安倍政権が、イスラエルとの関係を世界の中でも突出して強化したことが、最大の要因です。ムスリム市民が抱く日本のイメージは、広島・長崎とともに、イスラエルの占領地居座りを警告した二階堂進官房長官談話(1973年)、イスラーム世界との文明間対話を呼びかけた2001年の河野洋平外相イニシアチブなどです。ムスリム市民はとても親日的で、欧米とは違う日本に好印象を持っていました。
中東における日本のイメージが変化し始めたのは、湾岸戦争(1990年)からです。戦費の5分の1を負担しましたので、日本は戦争当事国と見られるようになりました。その後、自衛隊の海外派遣が始まり、イラク戦争では陸上部隊が派遣されました。
それでもムスリム市民の中では、まだ親日的感情が残っていたのですが、安倍政権はイスラエルとの関係を急速に緊密化させ、今年の中東訪問を機に、イメージは一変しました。安倍首相の中東訪問は、イスラエルを基軸とするプログラムです。訪問した諸国は、パレスチナ自治政府も含めてイスラエルと関係のある国ばかりで、滞在時間もイスラエルが最大です。
そうした中東訪問の中で安倍首相が、カイロで「イスラム国と闘う国への支援」を打ち出したために、イスラム国は人質の殺害予告を出したわけです。これに対し安倍首相は、イスラエル旗を背負って「テロには屈しない」と表明したのですから、この姿は世界のムスリム市民の眼に、日本幻滅への決定的瞬間として焼き付いたに違いありません。
──いま、私たちはどのような世界に生きているのでしょうか?
板垣…まず「宗教と政治」という側面から見てみます。欧州では宗教離れが進み、観光資源として残っている感じです。米国でも宗教離れが進んでいますが、一方で終末論と結びついたキリスト教原理主義のような狂信的右翼が、国内的には共和党支持、国際的にはイスラエル支持勢力として、勢力を伸ばしています。
それに対してイスラーム世界では、宗教が人間の生き方の原則に関わるものとして重要視され、宗教的生き方を理想にする人々が増えています。つまり、欧米の非宗教的世界とイスラーム世界という宗教的世界がグローバル化の中で混ざり合い、世界全体がカオス(混乱)状態となっています。
このカオスとは、400年間続いてきた欧米中心の世界秩序が崩壊過程に入っている結果であり、危機を乗り越えるには、世界認識を根本から組み替え直す必要があります。
その意味で、世界を「米中対立の時代」とか、G20の未来という軸で見るのは皮相的な見方ですし、資本主義の終焉あるいは再調整という議論ですら、欧米を中心に世界の再編成を見るという限界を抱えた議論といえます。
「欧米中心主義の終焉」というと日本人はすぐに、「欧米対イスラーム」という2項対立として捉えがちですが、イスラーム世界そのものも欧米中心主義に染め上げられているので、この構図も間違っています。
イスラーム世界も含めた世界全体が欧米中心主義となっており、その全体が崩壊過程に入っている、と見るべきでしょう。
その際、考えなければならないのは、「近代」の意味です。近代とは、世界が欧米化していくことだと誤解されていますが、欧米の近代は、7世紀以来発展してきた「スーパー近代」とも呼ぶべきものを基盤としています。それは、東アジアで発展した仏教の華厳哲学、西アジアにおけるイスラームのタウヒード(多即一)という考え方や社会システムを土台としています。
欧州の近代化とは、「スーパー近代」の成果を盗んで独占し、変質させた病変=悪性腫瘍のようなものです。近代化のスローガンである「自由・平等・博愛」も、「スーパー近代」から学んだものを、あたかも自分たちの発明品のようにコピペして、植民地主義や侵略の道具立て、大義名分として利用したのです。「資本主義」もそういう次元の問題として考え直す必要があります。
近代化や民主主義や資本主義が欧州から始まり、欧州基準が近代だという考えそのものを捉えなおさない限り、未来は見えてきません。
したがって、「スーパー近代」を再興することが、未来を作り出す重要な契機となります。その兆しが、2011年以降、世界中で起こっている非暴力の新しい市民革命です。世界各地のオキュパイ運動もそうですし、福島事故を契機とする反原発運動もその一つです。ただし「アラブの春」という名称は、あたかも「前近代のアラブ地域が欧米的民主主義化を求めている運動」のように描くという意味で、本質をすり替えるダマし言葉です。
「世界を変えると同時に自分自身を変える」という思想をもった非暴力直接行動が、新しい時代を暗示する虹のように出現しては消える時代に、私たちは生きています。
こうした文脈で言えば、イスラム国は、「対テロ戦争」の口実を作ってくれた、いわば欧米の別働隊ですから、イスラーム過激主義者は「スーパー近代」とは別の方向を向いています。
カリフ制のもとで、スーパー近代の基本であるタウヒード(多即一)は堕落し劣化して、スーパー近代の病変である「欧米近代」がのさばることを許してしまいました。カリフ制のもとでイスラームが堕落した結果として、欧米中心主義が世界を覆ったと考えます。
現代は、欧米中心主義にどっぷり漬かった世界が終わる苦悶の時代です。表層の対立を本物と錯覚してはなりません。
──パレスチナ問題への影響は?
板垣…イスラム国は、邦人人質事件を通して、大きく転換したように見えます。これまでイスラム国は、イスラエルには触れないできました。ところが、日本がイスラエル関係を強化したことにつけ込んで、「日本が敵だ」とイスラーム世界に発信したわけです。日本を敵として指し示すことで、イスラム国は、イスラーム世界に存在感を示し、影響力を増すことができるようになりました。今後彼らは、イスラエル・パレスチナ問題への「関与」を強めることになるでしょう。
一方、孤立を深めるイスラエルにとって安倍首相の演説は、「ここに友邦がいる」ことをアピールする絶好の機会となりました。安倍首相の演説は、イスラム国・イスラエル両方にうまく利用されました。
パレスチナ解放運動への影響は、悲観的です。
ヨルダン空軍のパイロット=モアズ・カサスベが焼き殺されましたが、多くのアラブ人にとってその映像は、ユダヤ人入植地の少年3人が殺された報復として誘拐され焼き殺された16才のパレスチナ少年を思い起こさせたと思います。
パレスチナ人は、イスラム国に批判的だと思いますが、ガザの現状やヨルダン西岸で進行しつつある民族抹殺計画、さらにイスラエル国内のパレスチナ人抑圧の状況から、あらゆる面で出口を塞がれて絶望の淵に追い込まれています。イスラム国に惹きつけられるパレスチナ人も出てくるでしょう。イスラエルは、むしろそれを狙って抑圧を強化しています。これも支配の一形態なのです。
パレスチナの国際刑事裁判所(ICC)加盟でイスラエルの戦争犯罪を追及する国際世論が高まりつつありましたが、パリの襲撃事件で、イスラエルは「テロと戦う国」として力を得て反撃に出ています。敵と味方が入り乱れる混戦模様となっています。
──予想される今後の展開は?
板垣…イスラム国の拡散は、避けられません。ナイジェリアのボコ・ハラムをはじめ、中国や中央アジア、南アジアから欧州・米国内まで、イスラム国運動に出口を求める動きは、大いに刺激されるでしょう。加えて欧州で移民排斥運動が広がれば、相乗的に対立が深まり、イスラム国のような「お化け」が肥大化する可能性があります。
中東地域では、国家解体が進行しています。アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、中東の拡大局面としてウクライナ、そして今、イエメンでも国家が消滅し、収拾のつかない混乱・分裂状況は広がっていきます。
世界全体が混乱の極に陥っていくでしょう。それは、欧米中心主義の崩壊過程そのものですが、欧米中心主義がもたらしたあらゆる罪責を免責する「自己破産」(債務者は返済不能なので、債権者も巻き込んで債権処理をする)で軟着陸したいというプロジェクトも、同時に進んでいます。欧米近代主義の破産を、人類全体の問題として処理させるため、全地球規模で「テロとの戦い」を進めていく、という物語です。
有志国を募って「反テロ戦争」をやればやるほど、テロは広がり激化します。戦争を続けることで利益を得る人々もいますから、対立を煽る運動も続きます。人類共滅の道へと落ち込んでいく、愚かな方向です。
現代世界最大のテロとは、イスラエルの国家テロです。ここに問題の核心があるので、この装置を変えることができれば、世界の様子は変化し始めます。
反ユダヤ主義の欧米が作り出したゲットー国家イスラエルの国家テロを不問に付し、同時に反ユダヤ主義のテロや他民族へのヘイトへの反省もなく煽られる「反テロ戦争」に乗せられてはいけません。
対ガザ封鎖・暴虐に象徴されるイスラエルの国家テロをやめさせる力を、世界中で強める必要があります。そうすれば、「テロとの戦い」というスローガンはナメクジに塩となるでしょう。
HOME┃社会┃原発問題┃反貧困┃編集一言┃政治┃海外┃情報┃投書┃コラム┃サイトについて┃リンク┃過去記事