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2015/2/10更新

イスラエルに暮らして

イスラエル人との共生模索するパレスチナ人
帰ってきたサレヘ

イスラエル在住 ガリコ 美恵子

2008年から、イスラエル人平和活動家たちがパレスチナ解放に連帯する、占領・入植反対運動が行われるようになった東エルサレムのシェイク・ジャラでは、毎週金曜、30〜50名のイスラエル人が、英語・アラビア語・ヘブライ語で「占領・入植反対」「ここはパレスチナだ、ユダヤは土地・家屋の略奪を止めろ」と書かれたプラカードを持って立つ。

地元のパレスチナ人はデモ開始当初はたくさん参加していたが、参加すると夜間、軍に連行されるので、次第に遠目からデモを眺めるようになった。必ず参加するのは、2009年にユダヤ宗教団体に家を略奪されたナセルと、隣家がユダヤ人に乗っ取られたサレへ(44歳)である。サレへは、パレスチナ解放への道と平和を望むイスラエル人左派となら共に歩むことができると信じる気持ちを率直に話し、ヘブライ語が堪能であることも手伝って、次第にデモの中心人物になった。

そのサレへが9月初旬、刑務所に入ることになってしまった。「私は無罪ですが、刑務所に入ることになりました。8〜9カ月の予定です。私がいない間も、毎週来てください。私がいない間にデモがなくなったら、私は希望を失います。皆さんが来てくれたら、辛い刑務所暮らしも耐えることができます」─彼はこう語りかけて、暫しの別れを告げた。

サレへが刑務所に入る朝、イスラエル人有志が見送りに行った。家の前へ出てきたサレへの母親が、「息子が殴られるのではないかと心配で…」と泣き崩れた。刑務所で暴力を受けることを知っていながら、イスラエル人活動家・エイヤルは「殴られなんかしないよ。心配しないで。彼はすぐに戻るよ」と言って老母の肩を支えた。

サレへが刑務所に入ったのは、近所に住むユダヤ人入植者が「彼に殴られた」と警察に訴えたからだが、証拠はなかった。警察はサレへに約16万円の保釈金を払わせ、刑務所内での品行方正が認められたこともあり、4カ月半で保釈となった。

「サレへが、刑務所から出てきた」と、イスラエル人左派から一斉メールを受け取った私は、翌日、5人の子どもと妻(40歳)と共にシェイク・ジャラに住むサレへの自宅を訪ね、インタビューした。

でっちあげ逮捕と拷問

美恵子…刑務所に入ったのは何回目ですか?

サレへ…8回目です。

美恵子…理由は何ですか?

サレへ…「入植者を殴った」「電信柱に八つ当たりした」「警察官に『差別者』と言った」「石を投げた」「軍が私を危険人物だとみなした」です。警察官に「差別者!」と言ったのと、電柱に八つ当たりしたのは本当ですが、他はみんなでっち上げです。

美恵子…初めて刑務所に入ったのはいつですか?

サレへ…17歳の時です。警察は「投石した」と言ったのですが、私はしていません。

美恵子…今あなたは自由ですか?

サレへ…いいえ、夜10時から朝6時まで外出禁止とされています。厳守しなければならないことが細かく書かれたノートを渡されました。これを持って、当局が定めた日時に指定の場所へ行き、ノートに確認サインをもらい続けなければなりません。ひとつでも違反すれば、刑務所へ逆戻りです。

美恵子…これまで、刑務所でどのような拷問をうけましたか?

サレへ…1平米の窓のない部屋に、両手を後ろで縛られ、頭隠しをすっぽり被せられ、閉じ込められました。食事が与えられず、トイレにも行かせてもらえず、垂れ流しの状態で、シャワーもなく、日に一度頭からバケツ一杯の水をかけられます。酸素不足と汚臭で、常時吐き気がしました。夜は、音楽ががんがんかけられて、眠れない状態に置かれました。

毎日兵士がやってきて、私の両肩をつかんで、壁に連続してぶつけます。息ができなく、胃になにも入っていないので、血を吐いたことも度々です。血を吐き続けた時、医者に連れて行かれましたが、医者が「刑務所の中で麻薬をやっている疑いあり」と言ったので、さらに殴られました。

美恵子…今回も拷問を受けましたか?

サレへ…毎日殴られました。それでも、希望が私を支えました。生きて家族の元に帰ること、そして占領終了をこの目でみることです。刑務所でコーランを6回読み返し、祈りました。

イスラエル人との共存は可能か?

美恵子…あなたの家庭は共働きですね。ハナン(サレへの妻)、職業は何ですか?

ハナン…小学校で障害者クラスを担当する教師です。

美恵子…イスラエル人活動家と連帯運動をするサレへをみて、どう思っていますか?

ハナン…夫がまた刑務所に入れられて、悲しく寂しい日々を過ごしました。昨日夫が帰ってきた時、私は抱きついて泣きました。

半年前まで私は、イスラエル人が真剣に占領に反対しているなんて信じていませんでした。昨夏、ガザが攻撃された時、イスラエル人たちが大きなデモを何度もおこして、軍に逮捕されたりガスを撒かれたり、右派に殴られたりするのをテレビで観て、考えが少しずつ変わりました。サレへが刑務所にいた期間中、私達一家が困っていないか、軍警察や入植者に嫌な目に遭わされていないかと、毎週イスラエル人が心配して家に来てくれました。本当に私たちのことを気遣っていると感じました。

そして今は、私も夫と同じような気持ちになってきました。イスラエル人と平和に共存できる希望を持ち始めたのです。

ハナン…そうです。今、世界中がシェイク・ジャラという地名を知るようになりました。占領がいけないことだと気付く人も増えました。私は希望を捨てません。

◇ ◇ ◇

2日後の金曜恒例デモには、雨の中、いつもの2倍の人が集まった。サレへ釈放を祝い、各自が手作り菓子を持参し、左派音楽隊が太鼓の演奏やデモ踊りをし、入植者の家まで行進して「パレスチナに自由を!」と、アラビア語とヘブライ語で何度も叫んだ。入植者が出てきてイスラエル人左派に殴りかかり、「裏切り者!」と怒鳴ったが、左派たちが「君は旧約聖書に書かれていることを守っていない」と言うと、入植者は引っ込んでいった。

デモ中、ウリ・アブネリの仲間だという78歳の男性(西エルサレム在住)に話を聞いた。

「イスラエル北部の生まれです。兵役に就いて、国がやっている誤りに気づき、60年前、シオニズム運動に反対し始めました。占領が始まる前から、占領に反対したのです。おとといサレへが出てきたとメールを受け取り、雨でも行かねばと、必死の思いで来ました。私は、いずれイスラエルは引かねばならぬ時が来ると信じています」。

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