2015/1/12更新
昨年12月上旬、終盤を迎えていた雨傘革命の取材のため香港へ渡った。反乱の要求スローガンは、「普通選挙」だ。香港基本法(憲法)で2017年より市民による直接選挙が約束されていたにもかかわらず、全人代(中国政府議会)が昨年8月、「選挙委員会」によって候補者を選出し、その中から投票を行う、とする制限選挙の継続を表明。これがきっかけとなり、10〜12月にわたって、香港各地の主要道路を占拠する大規模な街頭行動が生まれた。
しかし、雨傘革命に至った要因は、選挙制度だけではない。家賃の高騰に象徴される物価上昇、格差の拡大・就職難など、経済問題が背景にある。ウォールストリート占拠(米国)から始まり、南欧での若者の街頭闘争、アラブの春(中東)へと続く若者の反乱は、ついにアジアへと拡散。ひまわり革命(台湾)、雨傘革命を生み出した。
街頭直接行動の現場、行動に結びついた背景、日本の社会状況と共通する点はなにか。葛藤に生きる人々の側の視点から雨傘革命を報告する。(編集部・ラボルテ雅樹)
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12月14日朝、僕は香港の居候先の友人たちと共に、香港の中心部─商業地区・官庁街である雨傘革命最大の占拠エリアであるアドミラルティ(金鐘)のテントで目を覚ました。テントを出ると、騒然とした雰囲気で人々が動いていた。組織的な撤収作業が完了したのだろうか、テントの数はかなり減っていた。
友人が、携帯電話で受信した香港警察本部発の警告を見せてくれた。「このエリアは11時に警察に包囲される。中に居る人間は逮捕対象になる」との内容だった。「マサキはこれからどうするんだ?」─友人は、僕にそう聞いた。
午前9時から30分ごとに警告のレベルが引き上げられており、9時の時点では「警告・占拠地域一帯を離れること」とあった。11時以降は「警察は占拠地域一帯を全面封鎖する。この時点で中に居る場合は、個人情報を取得もしくは逮捕し、将来的に起訴する可能性があることを通告する。占拠を続け、もしくは抵抗する場合、警察は必要最小限の武力を行使して排除する。なお、排除は警察本部方面及び、幹線道路両側から進入して行う」と告げられていた。
排除の前夜、2カ月以上にわたって人々が創り上げてきたこの場所には、参加者がそれぞれの想いで集まっていた。占拠前は車しか走っていなかった幹線道路。「最後はおもいっきり楽しんでやろう」と、10代後半〜20代くらいの若者が、鬼ごっこのように遊んで走り回る姿があった。
また、「2カ月間座り込んでいったい何が変わったっていうんだ!政府は一向に私たちの話を聞こうとしないじゃないか!暴力が必要なんだ!」と、拡声器でアジる活動家と、それに聞き入る人々もいれば、その隣では、ビートルズやラブソングを歌うアーティスト、それに聴き入る人々もあった。明日の座り込みに参加して逮捕される覚悟を決めているのだろうか。涙を流しながら抱き合う人々の姿、無言で一人で座り込む人の姿もあった。記念的な光景の昨夜とは変わって、騒然とした雰囲気が現場を包み込んでいた。
ひとまず、警察が進入してくるだろう幹線道路の端側に向かうことにした。最前線のバリケードが見える幹線道路で待ち続け、隣の若者に話しかけた。雑談の後、彼はこれまで出会った香港の人々と同様に、家賃が異常に高くて生活が厳しいことや、馴染みの店は地価の高騰や富裕層の観光客の影響で消えてなくなってしまったことを語ってくれた。また、香港の格差社会や貧困問題に関心を持っていた。「俺たちの世代は、先が見えない」と彼は語った。
話しているうちに、回りにいたメディアや残り続けている人々が、幹線道路の端へと集中する。警察が第一線のバリケードを撤去し始めたようだ。バリケードには、先日まで掲げられていた「WELCOME TO THE HONG KONG COMMUNE(香港コミューンへようこそ)」の代わりに、「It's just the beginning(これは始まりに過ぎない)」と大きく書かれた横断幕が掲げられていた。警察は黙々とバリケードと横断幕の撤去作業を進め、後ろに控えている白服の警察官たちには、笑顔すら見えた。
7000名の警察に四方を包囲された状況の中、人々はどこへ行ったかといえば、人民解放軍の庁舎と政府庁舎の間の道路で座り込みをしていた。総勢2〜300名ほど。「真の普通選挙を要求するぞ!」とシュプレヒコールを上げていた。掲げられている旗には、日本の報道でも時々出てくる「学連(香港学生連盟)」と「学民思潮(スカラリズム)」の名前があった。学生や議員、歌手、そして有名無名の老若男女が逮捕を覚悟で座り込んでいた。
立法会(議会)の庁舎の近くまで行くと、突如として暴徒鎮圧の装備をした警察隊が波のように押し寄せてきた。道路一帯に隙間なく隊列を組んでおり、こちらへ向かってきたのだ。英語と広東語で警告を読み上げながら、占拠地へ進入していくと、テントを人海戦術でこじ開けてチェックし、誰もいないことを確認すると破壊や撤去を行っていった。
警察の進入に合わせて、政府庁舎周辺から幹線道路側まで後退すると、幹線道路方面からも武装した警察隊が人海戦術で進入してきていた。警察はこの2カ月間、人々が創り上げてきたすべてを省みることもなく、ゴミを扱うかのように破壊し、撤去していった。
占拠地域の大部分に警察が流れ込み、最後の座り込みを行う人たちを取り囲むようにして警察が陣取る。別の部隊は、テント村の全面的な撤去に取りかかった。警察隊は座り込みを行っている人たちの周りに「警察封鎖線/DO NOT CROSS」と書かれたテープを張り巡らせた。座り込みを行っている箇所以外は、すべて排除されたということだろう。
強制排除の数日前、僕はこの近辺で、現地の友人と語り合った。友人は、「ここは鳥籠の中の自由なんだよ。この場にきた人に聞いてみるといい。ここに来て、良い友人ができましたか?って。みんな『できた』と答えているんだ。だけど、この外の日常はどうだろうか。社会を変えなきゃいけない。私はできることなら、香港社会だけじゃなくて、中国を、世界を変えたい。 人間が人間として生きられる世界に」と語ってくれた。
「警察封鎖線」と書かれた規制線の向こう側で座り込んでいる人々は、一人ずつ警察に連行されていった。残る人々も逮捕されるのを待ち、「人民代表大会は我らを代表しない。我々はここに残り最後まで抗う!」といったシュプレヒコールが上げられている。規制線の外側にいた僕は、209名が逮捕されていくのをただ見届けるのみだった。
「雨傘革命が今後どうなるか?」なんてことは、僕には見当もつかない。ただ、ひとつ印象に残っていたことを記述しておきたい。人々が座り込んでいた最後尾には、白地に黒の筆で書かれた幕が掲げられていた。そこには「希望在於人民改変始於抗争」と書かれていた。「人民に希望がある。抗うことから変えることができる」という意味だ。それはきっと、香港社会だけに留まらない。求め続けていくこと、他者に真摯に向き合うことだ。無くなったのならば、また始めれば良い。その繰り返しが民主主義であり、希望ではないだろうか。
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