2014/12/16更新
会場には、各団体の代表ら400人が集まり、被害の実態、避難民の過酷な状況、そして東電・政府の無責任ぶりを批判する発言が相次いだ。11月14日には、「原発被害糾弾飯舘村民救済申立団」(以下「申立団」)が結成されている。集会は、飯館村民の半数に迫る2837人が、国の紛争解決センターに申し立てた同申立団を中心に、東電の刑事責任を追及する「福島原発告訴団」など、全国17団体が主催・協賛した。
原発被災者は、避難や被害の線引きや損害賠償をめぐり、幾重にも分断線が引かれてきた。この日の集会は、被害者が大同団結する、初の一歩となった。事故について政府・東電の責任を真正面から問う歴史的ネットワークが結成された。(編集部・山田)
集会は、呼びかけ団体である「申立団」団長=長谷川健一さん、「福島原発告訴団」の武藤類子団長の挨拶で幕を開けた。
長谷川さんは、「国・行政が助けてくれるだろうと、じっと我慢をして待っていたが、一歩の進展もない。我慢の限界だ。黙っていたら被害者は東電・国によって潰される」と批判。「抵抗の火を燃やし続けよう」と訴えた。
被害者スピーチでは、飯舘村の農民・菅野哲さんが、「飯舘村民は、なぜこんな苦しい思いをしなければならないのか。私自身もすべて失った。あの美しい飯舘村が、無残な姿をさらけ出し、消えてなくなろうとしている。事故から3年半以上たって何が変わったのか。除染した土を入れたフレコンバッグが増えただけだ」と訴えた。
綿密な取材を基礎にしたおしどりマコ・ケンさんたちのトークも注目を集めた。2012年にOECDのシンポジウムを取材したが、シンポの目的が「フクシマの人たちがどうやって汚染を受け入れたのか?を調査し、世界に広めることだった」と暴露。水俣公害事件被害住民との交流などを紹介し、「何もしないでいたら、未来の人に対して加害者になってしまう。未来の人のためになる怒りを」と訴えた。
「原発さえなければ裁判」の大森創弁護士は、納屋に『原発さえなければ』と書いて自死を選んだ酪農家の壮絶な最期を語りながら、被害の過小評価に怒りをぶつけた。
どのアピールも、3年半にわたるつらい体験をもとにした語りで、参加者が自らの体験を思い出し、涙ぐむ場面もたくさん目にした。
福島告訴団副団長・佐藤和良さんの閉会あいさつは、集会の意義を的確に表現している。紹介したい。
―「分かれて進んで共に撃つ」と言います。今日、北海道から九州まで30の団体が集まって歴史的に大きな一歩を踏み出したと確認しましょう。
「どんどん復興している。みんな笑顔で前を向いている」というアナウンスが、執拗に繰り返されています。しかしそれが、被ばくと健康被害に危惧を持つことや、原発事故の被害について声を挙げることに対して、〈復興の足を引っ張るな〉と抑圧する力として働いている。「我慢」は、そういう仕組みの中で強いられているものでした。
それに対して「もう我慢はしない」と声を挙げ、被害者が自らの言葉で被害を訴え始めた。被災者同士が互いにつながり始めた。これは、転換点になるかもしれない。つないだ手を離さないで、明日の勝利に向かってともに進んでいきましょう。
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