2014/11/23更新
大田昌秀さん(元沖縄県知事/沖縄国際平和研究所理事長)インタビュー
「沖縄取材レポート」の2回目は、元沖縄県知事の大田昌秀さんインタビューをお送りする(高江報告は次号に)。
11月16日投票の沖縄県知事選挙は、「オール沖縄」代表の翁長雄志氏(前那覇市長)の圧勝。今回の選挙で争点となった「辺野古新基地建設」。この「辺野古案」が、日本政府によって持ち出された18年前、県知事だった大田さんは「基地反対」を貫いた。日米両政府と渡り合う中で明らかになった辺野古新基地の本質とは何だったのか。(編集部一ノ瀬)
──「辺野古基地建設」の話が出たのは、大田さんの知事時代でした。
大田…1995年9月、「米兵少女暴行事件」が起きました。沖縄では翌月、抗議の県民大会に8万5000人が集まり、怒りの声をあげます。米軍基地の負担軽減や日米地位協定の見直しを求める声が、一気に高まったのです。
慌てた日米両政府は、同年11月に、沖縄県民の怒りをなだめるために、「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を設置します。
96年4月、クリントン大統領が来日しましたが、その前に橋本首相とモンデール駐日大使が話し合い、「普天間の返還」が決定されました。日米政府が、普天間を加えた11の基地返還を合意したのです。
96年12月に日米政府が出したSACOの最終報告で、日本政府は「普天間の代替の飛行場を本島の東海岸に作る」とし、翌1月には「辺野古」が移設候補地として明らかになりました。
日本政府は、代替基地を普天間の5分の1の規模に縮小する、としました。滑走路も普天間の2400bから1300bに縮小、前後に100bずつの緩衝地帯を設けて、最長1500bにする。建設期間は5〜7年、建設費用は5000億円以内、と発表しました。
しかし、この内容は、米政府の発表とは違うものでした。米側は、建設期間は最短で10年、予算は約1兆円だと、ハッキリ書いています。さらに、MV22オスプレイを24機配備するため、2カ年の演習が必要、したがって基地が完成しても、使い始めるのは最短でも12年かかる、基地の運用年数は40年、耐用年数は200年だ、という。
──辺野古は「普天間の移設」ではないわけですね。
大田…その点はしっかり認識しておかなければなりません。辺野古埋め立ては、「普天間の負担軽減」などではなく、新基地の建設なのです。
普天間飛行場の副司令官にトーマス・キングという人がいました。彼は、NHKのインタビューに「辺野古に作る基地は、普天間の代わりではなく、軍事力を20%強化した基地になる」と答えています。
強化する「20%」の中身とは何か?─それは、@弾薬庫の建設、AMV22オスプレイ24機の配備、です。
アフガン戦争やイラク戦争の時に、普天間のヘリ部隊は嘉手納飛行場で爆弾を積んでいました。普天間は住宅地の中にあるため、爆弾を積めないからです。米軍にとって非常に不便なため、辺野古では海陸どこからでも爆弾を積める施設を作ろう、というわけです。
加えて、維持費の問題。現在、普天間飛行場の年間維持費は、280万jです。これが辺野古新基地では、一挙に2億jに跳ね上がります。しかも、それを日本の税金で負担してくれ、というのです。辺野古の新基地は、建設費も移設費も維持費も、全部「思いやり予算」で持つのです。
実は、辺野古に基地をつくるという計画は、SACOによって初めて出されたわけではありません。沖縄返還(1972年)のずっと以前から、辺野古への基地建設が検討されていたのです。
1953年〜58年当時、沖縄では歴史始まって以来の大衆反米闘争=「島ぐるみ闘争」が起こりました。1949年に中国の共産党政権が誕生し、50年に朝鮮戦争が始まるなど、冷戦が進んで、東アジアの軍事的緊張が一気に高まりました。アメリカは、沖縄の米軍基地を強化・拡大するために、「銃剣とブルドーザー」によって、農家の土地を強制収用して軍事基地にしていきました。
アメリカは、沖縄を日本に返すと、沖縄に日本国憲法が適用され、アメリカの一番重要な基地の運用ができなくなるのを恐れました。「一番重要な基地」というのは、嘉手納以南の、県都・那覇市に近いところに集中しています。そこで米軍は、嘉手納以南の基地をひとまとめに移転する計画を立てました。そして、アメリカのゼネコンに西表島から北部の今帰仁港、本部港まで、全部調査させたのです。その結果、最終的には「大浦湾、辺野古の海が最適である」と決定しました。
現在米軍は、那覇軍港を使用していますが、ここは水深が約10bで、空母を横付けできません。しかし大浦湾、辺野古の海は水深が30bあって、海軍の空母や強襲揚陸艦を入れることができます。そして辺野古の陸上部には、核兵器を収納できる陸軍の巨大な弾薬庫を作る計画を立てていたのです。1966〜67年のことです。
ところが当時は、米国はベトナム戦争の最中で、予算がありませんでした。返還前で日米安保条約が沖縄に適用されていないから、建設費も移設費・維持費も、すべて米軍が自己負担する必要がありました。
そこで米は、日本政府と密約を結びます。沖縄が日本に返還されて憲法が適用されても、基地の自由使用は認める、核兵器はいつでも持ち込めるようにする、とする内容です。そこでアメリカは安心して、辺野古の基地計画を放置していたわけです。
つまり、「辺野古の基地建設」は、米軍にとっては48年ぶりに息を吹き返した計画なのです。日本政府が建設費・移設費・維持費を全部負担してくれるわけだから、米軍にとっては、こんなにありがたい話はないのです。
──辺野古では、今も「基地反対」の座り込みが続いていますね。
大田…そうです。「戦争は2度とゴメンだ」との思いで、おじぃ、おばぁたちが座り込みを続けているのです。彼らには沖縄戦の体験がある。生活を犠牲にしても、座り込みを続けているのです。
辺野古の海は、付近の住民にとっては、生活の一番大事な源です。沖縄戦の時には、あの辺は田畑がなくて、山ばかりでした。換金できる作物がなく、食料がなくて餓死寸前に、辺野古の海から魚を採って、やっと命をつなぎました。戦後は、魚を売って、やっとの思いで子どもたちに教育を受けさせたのです。だから、付近住民にとって辺野古の海は、命の海、生活の源なのです。
今の沖縄経済の柱の一つは、観光産業です。その中でも、沖縄のきれいな海に潜ったり、釣りをして沖縄の自然の魅力を体験する「エコ・ツーリズム」が盛んになってきています。大浦湾一帯も海が綺麗で、自然が豊かですから、エコ・ツーリズムのメッカになっているところなんです。そこに基地を作られたら、経済的にも大打撃になります。
──「沖縄独立論」についてどう思われますか?
大田…沖縄の人間は、みんな日本政府の政策や対応にはうんざりしています。それは、廃藩置県以来、まったく変わっていません。沖縄に対する日本政府の「構造的差別」がなくならない限り、こんな日本についていたら埒があかないから独立すべき、という声が出るのは当然です。
沖縄の独立に関する議論はずっと以前からされてきて、「沖縄独立」に関する本も、何百冊も出ています。私もいま「沖縄独立」に関する本を執筆しているところです。
最近の「独立論」の特徴は、学者が具体的に現実性を指向して語り初めていることです。石垣島出身の京都・龍谷大学教授の松島泰勝さんが独立論を唱えて、つい最近、『琉球独立論』という本を出しました。いま、世界に国連加盟国は193カ国ほどありますが、そのうち42カ国は、沖縄より人口が少ない国なんです。彼は、沖縄国際大学教授の与那国出身の友知政樹教授たちと「琉球独立総合研究学会」を設立しました。
先日、スコットランド独立の是非を問う住民投票が行われましたが、多くの沖縄の人々が注目しています。シンポジウムも行われていますし、9月には糸数慶子参院議員が、国連の「先住民族世界会議」の分科会で、「日本政府は沖縄の人々を先住民として認めるべきだ」と訴える演説を行いました。
独立論はますます広がっている状況にあります。今後、「沖縄独立論」がどういう展開を見せるのか、注目すべき点です。
──16日投票の沖縄県知事選について。
大田…誰が当選するにせよ、アメリカを動かす力量を持った知事が誕生しないと、基地問題も解決できません。新知事は、アメリカと正面から喧嘩し、日本政府にも「基地ノー」とハッキリ主張しなければなりません。
アメリカ・オーストラリア両政府の間では、沖縄駐留の海兵隊8000人のうち4700人をグアムに移し、2〜3000人をオーストラリア北部のダーウィン基地に移す協定を結んでいます。ハワイでは、海兵隊の立派な基地が完成しています。ハワイの知事との交渉で、ハワイの方も沖縄の海兵隊を3000〜3500人程度引き受けてもいい、と言っています。しかし、その計画は中断されている状況です。
現在、海兵隊のグアム移設が進んでいない一番の原因は、アメリカ上院の有力議員3名が反対し、3カ年分の予算を凍結しているためです。だから、基地問題を解決するためには、アメリカ上院の軍事委員会に議題として乗せさせて、そこで議論させて解決するしかありません。
その点が、今回の知事選の見どころ、そして新知事の課題です。(6面に「沖縄通信」)
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