2014/10/23更新
大阪府立大学大学院所属(ドキュメンタリー映画研究)釜ヶ崎にて劇映画『月夜釜合戦』の製作に関わる中村 葉子
現在、釜ヶ崎では、行政が音頭を取る形で、地元町内会やNPO、労働組合も巻き込み、釜ヶ崎の将来についての議論が進められている。これは、橋下市長が進める『西成特区構想』に大きく関わるものだ。
今回は、釜ヶ崎をアートで変えよう、という「アートプロジェクト」について、中村葉子さんに原稿を寄せてもらった。「コミュニティアート」は資本・権力の側に取り込まれたものではないか、という指摘である。(編集部)
はじめに、最近、釜ヶ崎のメイン通りに現れたアートプロジェクトの事例を見てみよう。これは民間主導の「釜ヶ崎グラフィティアート」で、このプロジェクトはその名も「灰色の街に色彩の力を!」をスローガンに、日本国内外のグラフィティ・アーティストが空き店舗や老朽化した家の壁にグラフィティを描くものである。
アーティストによると、釜ヶ崎の荒廃していく街並みを再生させるのにアートが貢献するのだそうだ。彼らの目には、現在の釜ヶ崎は「灰色の街」―つまり、釜ヶ崎は高齢者ばかりで、もはや「活力がないものとして映り、色(=グラフィティ)を持ち込めば観光客が増えて街は活性化されると考える。
しかし、単に灰色として片づけられるものの中には、それまでに堆積してきた街の歴史や、現在そこに住む労働者、高齢者の存在をも否定的にとらえようとする姿勢があるのではないか。そして、このようなアートを媒介にした街づくりの動向は、世界的に見てもブラジルのファベーラや、バルセロナ・ラバル地区、ブエノスアイレス・ボカ地区、日本でも横浜の寿町、黄金町などで、すでに導入されている。
アートは、これら移民やホームレスの多い貧困層の地域に付与される否定的イメージ(貧困、犯罪、売春、薬物)を払拭し、新たに人を呼び込む原動力として駆動してきた側面がある。しかし、それらの事例は、時にアートが行政や警察にとって街の浄化や取り締まりに都合よく利用される場合もある。
また、いわゆる「ジェントリフィケーション」(都市再開発)においては、アートが都心部の労働者階級の街をおしゃれな街につくり変えることで、富裕層やミドルクラスの流入を引き起こし、それまで住んでいた貧しい人びとが追い出される事態も引き起こされてきた。
今まさに進められている西成特区構想において、アートの役割とは、単に付随的なものにとどまらず、計画を進める上で中心的役割を担うのではないだろうか。それを理解するためには、西成特区構想はあくまで生活保護受給者や労働者の追い出しと、新たな人口流入(子育て世帯の呼び込み)が目的であるということからしても、それは家族世帯に受けるようなイメージ戦略をアートを使っていかに達成するかにかかっている。
特区構想の特別顧問の鈴木亘の発言は、高齢者を「スムーズに退出させる」と明言し(今年2月3日テーマ別シンポジウム)、あいりん総合センターの移設計画や、それに代わるショッピングモール、マンション、屋台村構想など、いわゆる「ジェントリフィケーションの適用を目指している(2012年7月3日第2回有識者座談会、鈴木亘の発言)。
そうした状況下で、アートの果たす役割について具体的にいくつかみてみよう。これは西成特区構想ではないが、動物園前一番街などに登場したアートがある。その名も「カンシカメラメカシ」。これは、監視カメラを文字通り玩具や造花などで可愛らしく「粧かす」ものだ(「おおさかカンバス推進事業」、飯島浩二の「カンシカメラメカシ」)。こうしたアートは、人々を四六時中監視する状況への批判ではなく、どこまでも現状を肯定するものへと成り下がっている。
そして、西成特区構想のアートプロジェクトとして計画されているものの一つに、「西成アート回廊プロジェクト」がある(松村嘉久・阪南大学国際観光学部教員が提案)。
このプロジェクトは、萩之茶屋小学校の西側にある南海線高架下の壁にグラフィティアートを飾り、観光客がその絵を画廊のよう見て歩き、観光の名所とするというものだ。夜になると、その絵は盗まれないように監視カメラで四六時中見守られる。
しかし、長年この場所に愛着を持ってきた人であればわかるように、ここは釜ヶ崎の露店が徹底的に排除された所であり、「通学路の安全」と称して監視カメラが設置され、今年度もさらにカメラが増設される予定の場所である。一見、地域活性や観光客の呼び込みという言葉が飛び交うなかで、その内実は従来以上に監視・管理を強化するものとなっているのだ。
同プロジェクトには、地元に密着して活動を行ってきたラッパーのSHINGO☆西成も参加しているが、アーティスト自身が、まずはこの場所がいかに権力の「政治的」な意図が反映された場所であるかを、自覚的に問い返す必要があるのではないだろうか。ここでは、西成特区構想が実現したいと望む形での監視・追い出しと、アートによる再開発が表裏一体となって進められようとしているのだ。
西成特区構想のアートプロジェクトは、「コミュニティアート」とも呼ばれている。この言葉は、これまでのアートプロジェクトが街中で作品を展示するだけで終わりというものではなく、表現活動を通じて地域住民との関係性を重視し、アートによるコミュニティの再建を目ざすものである。それは、特に孤立しがちな高齢者と交流を図ったり、表現活動が生きがいをつくるといった側面から、アートの可能性がより広く解釈されたものだといえる。
ただ、特区構想で語られるコミュニティアートは、本当にそこに住まう人々の有り様を尊重する形での取り組みがなされていくか、疑問に思う点が多い。例えばプロジェクトで生まれた作品や住民自身(語り部)を「地域資源」と呼び、ゆくゆくは経済活性化にも寄与するものとして捉えている。このプロジェクトの担い手として特区構想に参加しているのは、「BreakerProject」の雨森信、アートNPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)の運営に携わる上田伽奈代、松村嘉久を含めた三者である(2012年8月21日第10回有識者座談会)。この座談会での発言をもとに、ありむら潜(釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長)は、アートの役割について次のように報告書にまとめている。
・アートは具体的な社会包摂の手法を持っている
・つなぐ、新しい人や考え価値に出会う
・ 孤独な人、コミュニケーションが下手な人が多く、表現しあうことで仲間ができる
・自己肯定力が高くなり、自傷や攻撃性が低くなり、傷ついた心を回復していく
・売り言葉に買い言葉といった喧嘩よりいろんな受け止め方を学ぶ
・前向きの生き方に変わる
・住民が語り部、案内役となり、地域資源を発掘する
・仕事が生まれる
そして、ここから連想できることとして、人に優しく、自分にも優しく、お酒は控えめに、暴力はやめましょう、独り言や、独りでフラフラ歩かないようにしましょう、街の美化、安心・安全な街をつくっていきましょう、云々。
こう見ていくと、アートによるまちづくりは、いわゆる一般社会の健康的で文化的な生活/人間へと更生させ、経済活動に組み込こもうとしているように見えてくる。その一方で、攻撃性、喧嘩などはその個人の心理的側面においやられ、否定されてしまうのだ。
しかし、ここにあるのは、なんと幅の狭い生き方の提示だろうか。あるいは、警察や行政にとって推奨され、許される範囲での「自立」の枠組と、そうした社会への包摂である。
この釜ヶ崎の歴史をたどれば、さまざまな社会・政治的運動、暴動にあらわれた野次や投石、実力行動が歴史を作ってきたにもかかわらず、だ。そうしたエネルギーの噴出を、アートを使ってなるだけゆるく、温かく、穏やかなものへと封じ込めてしまい、アートは行政にとって都合よく利用され、取り込まれてしまう危険性を内包しているのではないだろうか。
アート、まちづくりという一見前向きで口当たりの良い言葉によって覆い隠されていく排除の問題や人の生き方への介入にたいして、今後もさまざまな動向を注視していきたい。
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