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2014/10/13更新

「停戦」の裏で進む土地収奪─背景に移民の激増
今も続くイスラエル軍による拉致・拷問・殺害
 

イスラエル在住 ガリコ・美恵子

猛烈な物価高騰

ソビエト崩壊後のロシア系ユダヤ人や、エリトリアと戦争していたエチオピアからの移民に加え、2006年のレバノン侵攻や2009年のガザ空爆により世界の反ユダヤ主義が高まったことで、イスラエルへの移民数は増加の一途を辿った。政府統計では、10年間で人口が2倍に増加しているほどだ。

しかし、国土の半分が砂漠であるイスラエルでは、気候が温暖で、経済生活面でも暮らしやすい都市に人口が集中する。ネゲブ砂漠から紅海までの山岳地帯は、夏の気温が50度を超えるため軍基地以外は何もない土地が広がっているが、あまりの暑さに、今後も住宅地として開発される見込みは、まずない。

ガザ攻撃休止で、閑散としていたイスラエルの街に活気が戻り、友人や甥・姪達がガザから戻ってきたと思ったら、物価が急上昇した。野菜、肉、パンなどの値段は2カ月で1・5倍になり、肉を減らし野菜と穀物で生き延びてきた私の一家は、野菜だけの食事もケチらなければならないほどだ。家賃も上がった。2カ月前まで私が借りていたアパートの家賃は11万円/月だったが、「13万円になった」と元隣人に聞いた。

物価高の理由は、働き盛りの若者たちが戦いに出たために生産力が落ちた一方、予備役に招集された8万人以上の国民全てに政府が保証金を払ったからだ。学生が予備役に召集された場合、最低保証金=約13万円/月を受け取るが、支給額は平時の賃金による。ガザ空爆で使った2トンの爆弾以外に、西岸地区への侵攻で大量の武器・弾薬を使用し、予備兵に給料を支払った政府財政は、大赤字である。

これを補うために、まず日常生活必需品の値段が上がるわけである。それでもイスラエル国民の大多数は、溜息をつきながらも「仕方がない」と口をそろえる。

生活難は限界にきている。子供が4人までで共稼ぎしている家庭なら、電車でエルサレムまで行ける東エルサレムの入植地に住むことができるが、最低5人、多ければ12〜13人という子だくさんのユダヤ宗教家たちは、父親が平均収入(月給約20万円)で、幼い子どもをたくさん抱え共稼ぎができない家庭や、最近移民してきて安定した収入のない家庭は、市内から離れた入植地に住むしかない。

緑に囲まれ、葡萄、イチジク、ざくろなど多くの果物が育つ良気候のグーシ・エツィオンは、ベツレヘム地区の一角で多くのユダヤ人専用住宅地があり、この付近一帯はエリアC(治安・行政がイスラエル政府・軍の管轄)となっており、エルサレムの中央バス乗り場から、本数は少ないがバス1本で行き来できる郊外の住宅地として、最近人気を呼んでいる。

「平和のための戦士」が民族浄化反対デ「占領やめろ!壁壊せ!」

地図でみるベツレヘム地区が非常に狭いのは、昔ベツレヘム地区だった土地の半分が、67年の占領開始後、徐々にイスラエル政府に没収され、エルサレム市に合併されたり、西岸地区内のユダヤ人専用地区(入植地)となっているからである。オスロ合意でパレスチナ自治政府による完全治安・行政地区(エリアA)は、パレスチナ西岸地区の22%になってしまったが、その後もイスラエルは、あの手この手で土地を没収している。

イスラエル政府は、少年3人がパレスチナ人男性により拉致・殺害された事件への「集団懲罰」として、ベツレヘム周辺地域=3800uの土地を没収する、と発表した。パレスチナ人を追放する土地略奪の口実とされたのだ。これは無論、国際法違反であり、アムネスティなどの国際人権団体は強く批判している。今回イスラエル政府がベツレヘム地区の土地を奪った理由は、先に述べた人口急増に伴う住宅難への対策である。

新聞でこの発表を読み、憤っていたところ、1通のEメールが飛び込んできた。「ベツレヘム地区の土地略奪に反対する抗議行動。参加者募る!」―テルアビブとエルサレムから貸切の大型バスがでるというのである。デモ主催者は『平和のための戦士』(Combatants for Peace)で、兵役中の兵士が休日に軍服を脱いで政府への抗議活動を始めた団体だ。10年ほど前に発足し、会員数が数百名だそうだ。

デモ参加者=約150名は、今回の土地没収で被害が一番大きいフッサン村手前の交差点(ベイタール・イリットというベツレヘム地区で一番大きな入植地の入口)から、国道60号線をベイト・ジャッラの車両用チェックポイントまで行進した。

『民族浄化反対、土地の略奪をやめろ、占領反対、話し合わなければ和平はやってこない、希望のための抗議行動』など、各自プラカードを手に、スローガンを合唱しながら、チェックポイントまで進んだ。ただし、チェックポイントを通過できるのはイスラエル人のみで、西岸地区で生まれ育ったパレスチナ人は通過することができない。

チェックポイント前で止まったデモ隊は、最後に一瞬劇を披露した。自由の象徴である、大きな紙で作った白い鳥が、分離壁に行く手をふさがれ往生している。そこへ私たちがヘブライ語とアラビア語で「占領止めろ、壁壊せ」と叫び、叫び声で壁が壊れて白い鳥が飛び出してゆく、という寸劇だ。

声が集まると力となる、その力はコンクリートの壁をも壊す力があるのだ、と希望に満ちた抗議行動だった。

封鎖解除は後回し

日本では、休戦合意で戦闘は収まっているかのように受け取られているようだが、事実は違う。西岸地区では、夜間侵攻もやりたい放題で、ハマスに捕らえられているイスラエル兵の交換交渉を有利にするため、イスラエル軍による無実のパレスチナ青年の拉致が続いており、死傷者もたくさんでている。東エルサレムでも、無実の少年が何名も軍に殺されている。イスラエルの刑務所で拷問により亡くなってしまった男性もいる。拉致事件の犯人だとされる2名はイスラエル軍により射殺され、その家族が逮捕され、家族の家がブルドーザーで壊された。

ガザでは、人道支援物資や町の再建用資材搬入規制が多少緩和されはしたが、封鎖完全解除に関しては「再協議」と後回しにされ、食糧も医療品も不足した状態が続いている。お腹を空かせた子どもたちや、極度のストレスで精神的肉体的に弱りきった人々が、苦しみから解放されたい思いは、切実である。

東エルサレムの病院では、ガザから千人以上の怪我人が手術や治療を受けていた。オリーブ山のてっぺんにあるアル・マカーセ(Al Makassed)病院で、ガザで怪我をした数名の少年たちと話をする機会があった。両膝下がない少年は、車椅子を自分で操作しながら私に近寄ってこう言った。「イスラエル軍による空爆の知らせを受けて逃げようとしていたら、道で攻撃を受けた。その後は何も覚えていない。家族はみんな死んでしまったようだ。僕は足を切断して障がい者になった。もうすぐ治療が終わってガザに帰ることになるが、どうやって生きていけばいいのか」。見ず知らずの私に辛い心のうちを話してくれた。「ありがとう」と言うと、笑顔で手を振って「またね」と挨拶してくれた。

避難船の沈没

2週間ほど前、イスラエル南部にガザから砲弾が飛んできたというニュースが飛び交った。ハマスは犯行を否定しているが、ガザ攻撃再開が噂されるなか、ガザからの脱出を試みた数千人が、密輸用トンネルを通ってエジプトに抜けた。

ガザ海上は5キロ封鎖だったのが10キロ封鎖となったが、停戦後も漁船が何隻もイスラエル海軍に攻撃を受けて、死傷者が出ている。ガザから海を渡って脱出することが不可能であるため、ハマスに大金を支払いトンネルを抜けてエジプトへ渡った数千人がいた。

彼等はアレキサンドリアから船で地中海を渡りヨーロッパへ難民として入港する予定だった。しかし最初に出発した数十人の乗った船が、海で沈んでしまった。泳いで岸まで辿り着いたものもいるが、ほとんどが途中で溺れて亡くなってしまった。船に乗っていたのは、ヨーロッパで職の受け入れ先が決まっていた優秀な学者等だった。

ガザ封鎖の解除を夢みて、いつかどこかで自由に暮らせるようにと必死で長年かけて貯めてきたお金をはたいて船に乗り、やっと自由になれる とほっとした矢先の出来事だった。船が沈んだ原因は明らかにされていない。

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