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2014/9/7更新

ガザ崩壊とその後

ガザ住民はハマス支持 イスラエルに広がる動揺

エルサレム在住 ガリコ・美恵子

停戦はいつまで続く?

8月10日にガザから陸軍を引き揚げたイスラエルでは、各所に「兵士にありがとうと言おう」と書かれたポスターが掲示された。

停戦の喜びで街の人出が増えた一方、軍は西岸各地へ侵攻、へブロンの難民キャンプへ侵入し路上で遊んでいた10歳の少年を実弾で殺害した。他にも、連日数十人のパレスチナ人を理由も告げずに拉致し、銃撃で数名が殺害され、多くが負傷した。

同週金曜、エルサレム中心地のシオン広場で、エルサレム市役所主催による若者向けの「戦闘感謝・トランス音楽パーティー」が催された。大型スピーカーが広場に設置され、1ブロック離れた私の室内でも騒音楽が響き、建物を揺らせたが、同時刻に軍が西岸各地でガザ攻撃抗議デモに参加したパレスチナ人を3名銃殺。多くの無実のパレスチナ人を拉致し怪我を負わせていることを、イスラエル国民は知らされていない。

ガザでは連日空爆が激しく、死者2100名を越え、2カ月間弱で2万トンの爆発物(=原爆6発分の重量)が投下された。

国際人道法に対する違反行為を調査するために、アムネスティとヒューマンライツウォッチ(人権団体)がイスラエル政府に、ガザ入りを合同申請したが、拒否された。ラッファからガザへ入ることをエジプト政府に申請しているが、返答はないままだ。

ガザ空爆をやめないイスラエル軍への抗議がイスラエル各地で行われ、16日、テルアビブで行われたイスラエル人左派による「和平に向けて方向転換を!」1万人集会では、国会議員や文化人が「ビビ(ネタニヤフ首相の愛称)、あなたは負けた。軍がやっていることは虐殺だ。空爆やめろ。私たちは騙されない。直ちにガザを解放し、占領を止めて、民族差別・民族浄化をやめ、パレスチナ国家建設に合意しなさい」と、政府首脳に呼びかける演説がテレビ中継され、参加者たちは大きな拍手で賛同を示した。

ガザ攻撃はハマス誕生以前から

しかし、イスラエルの左派たちは初めから左派だったわけではない。政府の洗脳教育を受け、兵役にも行ったが、何かの折に「おかしいのではないか」と疑問を持ち始め、左派になったという人が多い。元陸軍大将の父を持ち、自ら兵役を経て第1次レバノン戦争に参加した後、「二度と予備役に行かない」と宣言し、左派に転向してパレスチナ解放運動に参加するようになった柔道家ミコ・ペレッド氏(注1)の、ハマスに関する言及を紹介したい。

―本当はハマスが問題なんじゃあないんだ。ガザで一般市民が集団虐殺されていることで多くの人がハマスに責任があると言うが、イスラエルがガザを攻撃し始めたのは、80年代にハマスが誕生したずっと前から。パレスチナ各地から難民キャンプの集合体としてガザが成立し始めた50年代初め頃から、イスラエルはガザを攻撃してきた。

ガザの人々には、平和に生きて普通に死ぬことがまずありえない。イスラエルに直接抗議して殺されるという選択肢もない。ハマスは、立ち上がって闘い殺されるか、寝ている間に空爆で殺されるか、どちらかしかないという状況の中から生まれた。―

私自身が街で聞く限り、ハマスに好意を持たないパレスチナ人は、2割にも満たない。

揺らぎ始めた「ユダヤ人の正当性」

先日、東エルサレムにある第二の巨大入植地ピスガット・ゼエブ(注2)に住む義弟の家を訪ねた。22歳、17歳、14歳の娘と兵役中の19歳の息子たちは、私のアパートに時々立ち寄るが、週日働きづめで週末はユダヤの戒律を厳守する彼に会うのは、親戚の催事だけだ。

久しぶりに会う義弟は、日が沈むと涼風が吹く、崖に突き出したベランダでコーヒーを飲んでいた。彼は分離壁の向こうを指して、「あっちはヒズマ、正面はアナッタ、その向こうがアナッタ難民キャンプだ」と教えてくれた。

姪はニュースを観ていた。ユダヤ人女性とアラブ人男性カップルの結婚式の模様がトップニュースとして報道されて、彼等の結婚に反対する一般人たちが式場前で暴動を起こし、「裏切り者」「買女」などと叫び、会場に押し入ろうとして警察に逮捕される場面が映った。また、カイロで行われていたイスラエルとハマスの停戦交渉が決裂し、イスラエルがガザへの空爆を再開。イスラエル南部ではガザから飛んでくるロケットへの警報に慌てて逃げる市民の様子が映った。「息子はへブロンにいる。兵役中の息子がいるって嫌な気持ちだ。滅入る」と、義弟は嘆いた。

3年前にできたエルサレム市内の路面電車は、東エルサレムの入植地に住むユダヤ人たちがグリーン・ラインを超えていると感じないようにできた。ホロコースト記念館があるヘルツェル山から市の中心を走り抜け、ダマスカス門、ユダヤ正統派地区前を過ぎてグリーン・ラインを越え、ショーファットやベイト・ハニーナとアラブ街を通過して、ピスガット・ゼエブ入植地までを結ぶ。バスはユダヤ人街を迂回して走るので市内まで1時間かかるが、電車なら15分かからない。

少年殺しの犯人だった義弟の友

「こんな遅くに電車で帰るのは怖くないのか?バスで帰れ」と、義弟は車を運転しながら言った。理由は、ショーファットやベイト・ハニーナの町へイスラエル軍が侵攻して催涙弾やゴム弾を撃ちまくったり、少年たちが路面電車に投石したりすることが度々あるからだ。電車内でユダヤ人がナイフで斬られた事件もあったし、ショーファットのパレスチナ少年がユダヤ人に誘拐され殺害された日は、投石と軍による攻撃で3時間ほど運休になった。

「何か彼等を怒らすニュースがあれば、10分後には路面電車に少年たちが押し寄せる」と心配する彼をなだめて車から降りようとすると、「ショーファットの少年殺しの犯人を知ってるか?」と探るように聞いた。逮捕された犯人の写真は新聞に出ている。犠牲になった少年宅を私が訪問したことを彼は知っているのか、「俺の友達なんだ」と、私の目を恐々と見上げ、救いを求めるような声だった。友人の結婚式で躍っている写真を取り出し「これが奴、後ろで笑ってるのが俺だ」と、黒いキッパを被った首の短い男性を指さした。

「仲良くしてたんだが、あんなことするなんて最低だ。奴は時々薬をやっていた。犯行時は薬でハイになってたんだ」と言いながら、泣きそうな顔をした。自分の娘と同年代の少年を焼き殺した友人が犯した罪へのショックと怒りが、横顔に滲み出ていた。義弟は私が親パレスチナだと知っていて、打ち明けたのだ。

同じシナゴークで安息日の祈りを共にしてきた友人が犯した罪が、今まで持ってきた彼の信念を揺るがせ、自問しているように見えた。「神に選ばれた民」として正しいユダヤ人の生き方を子どもたちに教え、良き父である彼のユダヤ人としての正当性を。

ガザ勝利集会

無期限停戦成立後最初の金曜29日、へブロンでは「ガザ勝利」の祝賀集会が催され、ハマスを筆頭にパレスチナ各政党リーダーによる演説が行われた。パレスチナ一般市民の間では、「戦争に勝利はない」「占領が終わるまで勝利はない」「多くの一般市民が死んだのに勝利とは言えない」という声が約3分の1、「攻撃に倒れず生き抜いたガザの人々と、イスラエル政府との協議でガザの封鎖解除を勝ち取ったハマスの勝ち」という声が3分の2位かと思う。

しかし、イスラエルが攻撃再開するまで1〜2年もつかどうか…。イスラエルが占領を続け、パレスチナの水源や土地を略奪し続け、分離壁やチェックポイントで人が自由に生きる権利を奪い、パレスチナ人を不当に追放し、無実の民を殺害、拉致、拘留し続ける限り「無期限」停戦とは言えない。

※ ※ ※

[注1]ミコ・ペレッド…柔道家。祖父はイスラエル建国にサインしたアブラハム・カツネルソン。父=マティティヤウ・ペレッドは48年(第1次中東戦争)で戦死。67年第3次中東戦争では陸軍大将を務めたが、67年戦争の調査を当局に却下されたことから、親パレスチナ活動家となる。西岸地区・ガザ・シナイ半島・ゴラン高原を制覇したことを、「領地拡大の皮肉なキャンペーン」と形容し、世間の反響を呼ぶ。パレスチナでは、彼は「憎むべきか愛するべきか悩む相手」と評される。ミコは、一度兵役に着いたが、第1次レバノン戦争に参加し、予備役には二度と参加しないことを誓う。パレスチナ人の抵抗運動=インティファーダの際、姪が自爆テロで亡くなった時、「占領があるために憎まれる」と公言したことで有名。

[注2]第3次中東戦争で東エルサレムの占領を開始するとともに、遊牧民族やパレスチナ人を追放して建設された、国際法違反のユダヤ人専用住宅地の一つ。人口5万人以上。

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