2014/9/7更新
ストップ川内原発再稼働! 日時:9月28日(日)PM1時〜 場所:天文舘公園 |
再稼働阻止全国ネットワーク「川内の家」 岩下 雅裕
川内原発が新規制基準に「適合」とした原子力規制委へのパブコメが、1万7千通にのぼった。市の一部が30`圏内に入る姶良市議会では「再稼働に反対し廃炉を求める意見書」が大差で決議された。攻勢を強める再稼働阻止運動の最先端=川内現地報告だ。(編集部)
春の段階では、「川内原発の再稼働は夏にも」と言われていた。今では到底おぼつかず、年内どころか、年度内か否かという様子が見えてきた。振り返ってみれば、どうだったか。「夏にも」という掛け声は、その勢いで再稼働阻止の闘いを圧倒しようという、政府と電力資本の作戦だったとも思える。また、何かを隠そうとする虚勢でもあったようだ。マスコミは検証をサボり、すっかりそれに乗せられていた。
それでは政府と電力会社は、「夏にも」という勢いの裏で、何を隠そうとしていたのだろうか。地震問題である。
川内原発は、3月段階で九電が基準地震動を620ガルに引き上げることで、再稼働のトップバッターに押し上げられた。過酷事故を招来する自然現象は、津波、火山などがある。人為的ミスも無視できない。だが3月の規制委の判断は、地震が最大の問題であるという認識があったことを示唆する。なぜなら福島原発は津波到来の30分前、地震で配管やケーブルがバラバラと落下、すでに冷却や制御の機能を失っていたからだ。
耐震工事に関連する情報はいくつかあった。4月、基準地震動を700ガルに引き上げ、高浜3・4号機が再稼働2番手に名乗りを上げた。その際、関電は「耐震補強工事に年度内かかる」と認めた。6月、九電は川内市議会の特別委で、「現行の建屋・配管などが620ガルに耐えるか否かシミュレーション中。いつ終わるか不明」と証言した。
この問題がいま顕在化している。九電は「安全対策は8月いっぱいで終える」と強弁していた。だがそれは、防潮堤のかさ上げ、建屋内の火災対策、建屋へのケージ(籠)追加(航空機テロ対策)に過ぎない。一方、9月いっぱいを目標に「工事計画書」を出すと言っているのが、建屋・配管などの耐震補強工事の基本設計のことである。そしてその工事は、関電の例にならえば年度内を要するだろう。
この間私たちは、県内8市を巡る「辻説法」を手掛けてきた。もともとは「原発いらない福島の女たち」が提案、「ストップ再稼働!3・11鹿児島集会実行委員会」、そして「再稼働阻止全国ネットワーク」の共同プロジェクトだ。「3・11実」では、パブコメに合わせた「大宣伝」期間の一環として取り組んだ。
木幡ますみさんと黒田節子さんが交代で来訪、65カ所で辻説法を行った。ビラを手渡した方は2200人、各地での交流会参加者も190人に上った。これは、県の総人口167万人からすれば、まったく微々たるキャンペーンだったかもしれない。だが、「福島から来ました」という第一声だけで、人々が振り返り、「説法」に聞き入った。街頭で飲料水や弁当の差し入れが相次いだ。ビラを受け取った方々との、原発事故の恐怖や再稼働への賛否の話し合いが、暑い日差しの中で繰り返された。いくら話しても話し足りない人を振り切って、次の「辻」に向かわなければならなかった。
人々が口を開くためには、発話し、話しかけることが第一だという、基本中の基本を再確認させられた。また、それぞれの地域の運動体で主催してもらった交流会は、中身が濃いものだった。各地の運動の活性化、そのつながり、さまざまな提案と話し合い――確実に「種」は撒かれたと思いたい。
もう一つ、新しい動きが薩摩川内市で起こった。山之口地区の自治会による、再稼働反対の陳情の提出だ。要求事項は以下のようである。
@岩切市長は、『避難計画を再稼働の条件としない』との表明を行っているが、市民の生命と財産を守る責任は市長にあり、全市民が納得のいく避難計画が完成しない限り、川内原発1・2号機の再稼働に同意してはならない。
A川内原発1・2号機再稼働に係る諸々の判断は、福島第1原発事故の惨状を目の当たりにした今、立地自治体の範疇を超えた問題であり、全市民はもとより全県民的議論を時間を掛けて実施し、多数意見を持って判断するべきである。
その前文では、請願を出すに至ったプロセスを述べている。市の職員を招いて「避難計画等に関する出前講座」を持った際、住民から批判があいついだ。「被ばく無しの避難は想像できない」「とても計画どおりにはいかない」等々である。そこで全世帯からアンケートをとり、回答中73%の賛同をえて陳情を出すことにしたというのだ。
要求事項にしろ、陳情提出のプロセスにしろ、そこには徹底した民主主義が貫かれている。逆に言えば、知事や市長の「同意」だけで再稼働することは、民主主義に反する、という主張が根底にある。このような自治会としての行動とスタンスは、長年、地区で取り組まれてきた産廃処理場の建設反対運動で育まれたものかもしれない。
さて、川内原発の再稼働までは、おおむね半年と思われる。それは、3月からの政府・九電からの「攻勢」に反撃した、私たちの運動が顕在化させた「時間」である。またそれはある意味、私たちの運動がかちとった「時間」とも言える。
それでは私たちは、その「時間」を使って何をなすべきだろうか。先ほど紹介した2つの事例が、大いにヒントになるのではないか。
まず、「辻説法」の場で起こったような再稼働反対の語りかけ、話し込み、連帯感の共有をさらに拡大することだ。しかもそれを、一人ひとりの目に見える行動へと転化することである。そして第2に、多様な形態での団体・グループの行動へと顕在化させることが必要だろう。
山之内地区の事例は、行政の末端機関になりがちな自治会でさえ、自治体首長の再稼働「同意」に抗う局面を示した。別の地区では、ある市民が自治会長に反原発集会の案内をしたところ、掲示板にポスターを張り出してくれたという。
山之内地区だけが特別、というわけでは決してない。原発に近い地区でも、ある老人会では「皆が原発と再稼働に反対と話し合っている」、と聞いた。70年代からの建設阻止闘争を経験した人たちも、「地区住民投票をやれば必ず再稼働反対の結果になる」「かつての青年行動隊を再建したい(老人行動隊?)」と述べていた。あらゆる地域組織が声を上げ、新たなグループが行動を開始するなら、局面は大きく転換するに違いない。
この間の避難問題のクローズアップや、過酷事故対策の不備を突く批判――それは鹿児島県知事や薩摩川内市長をして、単独の再稼働「同意」を躊躇させるまでになった。政府は再稼働の必要性を、規制委は安全性を説明するという「方針転換」は、推進勢力の動揺を示している。
一方、山之内地区などの事例やさまざまな発語は、この間の運動により押し出されたものであり、また推進勢力の一定の「自信喪失」を捉えたものだ。
局面は変わりつつある。それは、40年に近い反対連協を中心にした運動の歴史と主体の構造を、塗り変えていくことになるかもしれない。またおそらく、そのようダイナミックな転換がなければ、再稼働阻止をかちとることはできないだろう。川内―鹿児島の地元はとうぜん頑張る。この局面で、全国の人々が何を為すことができるか考えていただきたい。当面、9月28日の鹿児島市での全国集会に結集し、半年の「決戦局面」を闘う陣形に参加してほしい。そうでなければ、各地で同じ時期の連帯行動を組んでくださるようお願いする。
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