2014/7/26更新
脇浜 義明
西岸地区入植地のイエシバ(宗教学校)の生徒3人が誘拐・殺害された。
イスラエル政府は、3人が殺害されたことを知っていながら知らないふりをして、捜索としてパレスチナ住民を弾圧、「実行犯はハマス関係人物2人」と証拠も示さずに特定、ハマスと民族統一を合意したばかりのアッバスPA(パレスチナ自治政府)に要請、PAも「非人道的犯罪」と非難して、捜索に協力した。
もともと、あるゆる機会を捉えて「民族浄化」を推進する意図のイスラエル政府は、大規模な一方的戦争に突入。
政府だけでなく、市民社会も巻き込んだ攻撃となっている。東エルサレムでは朝の礼拝に行く途中の17歳のパレスチナ人少年が、人種主義的ユダヤ人サッカークラブ「ビータール・エルサレム」の一派であるテロ・マフィア集団「ラ・ファミリア」に拉致され、殴られ、ガソリンを飲まされ、生きたまま焼却炉へ投げ込まれて、殺害された。彼らは「シオ・ファシスト」(シオニスト+ファシスト)と呼ばれ、その犯罪は摘発されるどころか、国家の保護の下、リンチ、焼き討ち、轢き逃げ、拉致をパレスチナ人に行っている。
日本のパレスチナ支援団体も、世界の平和団体も、イスラエルの過度な反応を批判、「人命に民族の差はない」と、平等と平和を訴えている。しかし、もともとイスラエル建国前からシオニズム運動を支持する西洋(とりわけ英国)にとって、先住民パレスチナ・アラブ人の命や権利は、ユダヤ人より軽いものだった。
それはともかく、「人命に民族の差はない」という発想は当たり前だが、これを今回の事件に即して裏返して考えると、「ユダヤ人誘拐・殺害」も「パレスチナ人誘拐・殺害」も同じように犯罪だと見る前提があるようだ。
だから、PAアッバスが「イスラエルとの治安協力は、政治の違いを超えて、神聖なものである」と言ったとき、日本のパレスチナ支援団体も世界世論も問題にしなかった。
しかし、パレスチナ人を殺し、追い出し、暴力で奪った土地に入植してきたイスラエル人を誘拐・殺害するのは、抵抗運動の一つであって、一般犯罪ではない、と私は思う。この点アッバスは、「パックス・イスラエル」(パックス・アメリカーナのイスラエル版)に毒されていると思う。虐げられた人々に抵抗する権利があるのは人類普遍の原則で、抵抗の仕方は、状況に応じて、抵抗する人々が主体的に決めるものだ。
私がいう「パックス・イスラエル」とは、イスラエルの暴力が日常的「状況」として黙認され、ささやかなパレスチナ人の抵抗暴力が「事件」として大騒ぎされる、今の有り様を指す。
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