2014/7/15更新
中桐 康介
7月2日(水)、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした安倍政権に抗議するため、自民党大阪府連本部のあるビル(天満橋)に向かった。「今日は行かなければ」と思ったからだ。
18時ごろに到着したが、すでにたくさんの人が歩道を埋め、近隣にまで「安倍はやめろ」のコールが響き渡っていた。おなじみの市民団体や労働組合の旗やのぼりも多かったが、子ども連れやクールビズ姿の男性も目につき、ひとりひとりの思いで参加している人も多いと感じた。
ぼく自身が反戦がテーマの抗議行動に参加するのは、イラク戦争時のアメリカ領事館前以来のこと。反原発の集会やデモにも参加したことはない。そのためか、この日の景色は、かつてのアメ領前とずいぶん様子が違って見えた。
手に手に思い思いのプラカードを掲げるスタイルは、すっかり定着したようだ。コールも様変わりした。「安倍政権はー、○○せよー」というシュプレヒコールは少なくなり、4ビートのリズムで、「アベは、ヤメロ」「ケンポウ、コワスナ」という歯切れのいいコールが響いた。さまざまな手法を編み出し、自由に思いを表現しようとする人々の姿があった。
イラク戦争時の反戦ブームや若者の労働運動の高まりを経て、反原発運動の高揚は、自由に意見し表現する人々を街頭に導いた。また、2008年の洞爺湖G8サミットを大きなエポックとして、日本の若者の運動が海外の反グローバリズム運動の影響を強く受け、実践してきたことも、そうした流れを加速させただろう。色彩豊かで、個々の生活感に根差した感情豊かな表現は、じつに力強い。
東京6万人、札幌の5000人と比べて数の少なさを嘆く向きもあるが、大阪の街頭行動も今の時代に沿って不可逆的に変化し、発展を遂げている。
ぼく自身にも小さな変化があった。しばらく遠ざかっていた抗議行動に参加したのは、6月29日にJR新宿駅付近でガソリンをかぶって身を焼いた男性の抗議行動に背中を押されてのものだった。
このニュースに接したのは、滅多に使わなかったツイッター。布団の中でタイムラインを読み漁り、眠れぬ夜を過ごした。その日から、本名も顔も知らない人が書いたツイッター記事を読み、これはと思う記事をリツイートしたり、信頼できそうなアカウントをフォローした。総理官邸前の行動の報告や、府連本部前の抗議行動への参加呼びかけのツイートにも多く触れた。それをたどるようにして、自民党府連前にたどり着いた。名も顔も知らないけど、たしかにそこにはツイッターで声を上げた人がいる。
抗議行動は、予定の19時に終了した。でもぼくは、この時間をただ過ごすためにここに来たのではない。自分のため、世界のため、未来のため、今日は言わなければ、という気持ちだけで来た。予定時間が来ても、ぼくの気持ちはまだ終わっていない。寄る辺なく府連の看板を見上げていると、4ビートのコールがいっそう力強く響いてきた。若者たちの一団が、「ここからはおれたちのステージだ」とばかりに歩道の中央部に移動してきた。怒涛のコールが始まった。彼らこそ、ツイッターをはじめとするSNSでつながり、出会ってきた若者たちだろう。
4ビートのコールに合わせ、名も顔も知らない人に励まされることもあるのだと知った。
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