2014/7/15更新
報告 園 良太
安倍政権が集団的自衛権を閣議決定した。だが閣議決定はその政権を倒せば撤回できるし、民衆の大きな街頭行動がその鍵を握ることは、世界中で共通だ。戦争・原発・貧困を極限まで悪化させる安倍政権は倒すしかない。そのための街頭行動に何が必要か、抗議行動のピークとなった2日間の官邸前直接抗議を振り返って考えたい。(園良太)
3・11以降の東京の街頭行動のピークは、まず、@11年6月11日の新宿アルタ前広場、A12年6月の大飯原発再稼働直前の官邸前抗議、Bその直後の代々木公園17万人デモ、などがあった。いずれも民主党政権下だ。体制を根本から問う怒りのエネルギーは、12年末の自民党政権復活後はしばらく現れなかった。
だが、13年秋の特定秘密保護法への反対運動が再び高揚した。審議中の衆参両院前歩道に、連日人々が押し寄せた。審議が進み問題点が明らかにされるにしたがって、報道も抗議行動も過熱し、12月6日の強行採決時には、日比谷公園集会の約2万人が合流し、国会周辺を埋めつくした。
安倍政権はこれを教訓に、国会審議ではなく全て政権のペースで進められる「閣議決定」で突破することを決めたのだ。そこで次の戦争国家化は、国家安全保障法案ではなく、解釈改憲の閣議決定にしたのだ。
安倍はまず、@マスメディアの上層部と会食を重ねて報道を抑え込み、A「安保法制懇」の議論も与党協議も、「グレーゾーン」のような現実離れした言葉で人々をケムに巻きながら、B協議内容は非公開のまま話し合いのフリだけを進めていった。
5月の首相記者会見は「邦人保護」を強調し、多くの人々が持たされている「テロ」や隣国への作られた不安を絡めとった。
大衆的抗議は、盛り上がりにくく、私たちは苦しい戦いを強いられたが、その間も安倍政権は、武器輸出や原発輸出の閣議決定、辺野古新基地建設、川内原発再稼働、労働法制の改悪などを一気に進めたため、反対する側も力を分散された。これも安倍の狙いだったに違いない。
こうした中、私もメンバーである「安倍のつくる未来はいらない! 人々」は、首相官邸前で立憲主義の否定や武器輸出解禁や日米首脳会談に抗議した。そして、多様な問題を「安倍政権打倒」へとつなげるために「安倍政権はダメだとはっきり言おう!新宿デモ」を、5・6月と連続して2回開催した。
新宿アルタ前で各課題の最前線で闘う人々がアピールし、数百人が「アベ!ダメ! アベダメダメ!」と怒りのコールで練り歩き、沿道の反応もとても良かった。人々は安倍政権を危険だと感じており、「安倍打倒」の普遍性とわかりやすさが届いたのだろう。「怒りのドラムデモ」も、同時期に新宿で安倍政権打倒デモを開始した。
こうした中、広い枠組みの集団的自衛権反対運動=「戦争をさせない1000人委員会」と「解釈で憲法9条を壊すな! 実行委」が結成。3月から日比谷野音で大集会と国会デモを重ね、国会包囲行動や官邸前抗議も続けた。特に5月15日の安倍首相記者会見(安保法制懇答申)への官邸前抗議は、爆発的に人が増えた。
国会会期中の閣議決定はなんとか阻止したが、7月1日「閣議決定」と報道され、6月後半は連日、官邸前抗議が行われ、参加者も増え続けた。公明党本部前でも市民有志の抗議や座り込みが行われ、警察にごぼう抜きされながらも続いた。そして6月30日を迎えた。
2年前の大飯原発再稼働反対では、官邸前の車道全体を数万人が埋め尽くし、何度も解放区状態になった。再稼働直前には、参加者が溢れた車道から官邸前になだれ込み、内閣を倒す勢いで迫った。大飯現地(福井県)のテント闘争と合わせて、運動の力が、今も再稼働を阻止している。
だが警視庁はこれ以降、警官と鉄柵を並べてデモ隊を車道に出られないようにさせ、官邸前左側の歩道以外を封鎖。参加者を官邸前から離れた場所に誘導し、抗議の規模と迫力を削ぐことに集中した。数千人規模になっても官邸前左側歩道に細長く並ばされる抗議が常態化した。参加者が横につながって一つの塊になれず、権力と対峙する力を解体させられている。これが大きな壁だった。
だが、6月30日の抗議は、ツイッター上で大宣伝され、若者や初参加の人々が「自分も行く」と書き込み続けた。18時半開始予定だったが、16時には人々が官邸前を埋めてコールを始めた。そこに続々と若者が合流。主催者、議員、著名人のリレー抗議や若者の怒りのコールが続いた。
私は実行委の一人として歩道誘導をしていたが、19時前には官邸前左側歩道が満杯になり、車道に人が溢れ始めた。さらに、封鎖されていた官邸前右側の歩道も駅からの人々が埋め尽くし、コールを始めて熱気が高まった。そして、車道に出させないように警官隊が並び始め、参加者との押し合いが始まった。
19時半からは「安倍は辞めろ」とショートコール主体の抗議に移り、増える参加者と熱気に警官隊は後退。20時前に官邸前左側横断歩道の鉄柵を誰かが外し、人々が一斉に青信号の車道へ飛び出した。官邸前という権力中枢で民衆の怒りと能動性が解放され、「安倍は辞めろ、戦争やめろ」と車道全体を縦横無尽に練り歩き、飛び跳ねる。参加者は「自分たちが社会の主役であり、現実を変える力がある」と実感した。
だから安倍政権=警視庁は、主導権を渡さぬために、歩道への押し返しを始めた。一旦は官邸前右側も左側も歩道近くまで押し返されたが、車道一車線分は抗議場所が広がった。そして、最前列の若者たちは並んで肩を組み、もう一度警察を押し返した。
再び車道半分を抗議者が埋め尽くした。押し返す人たちは有名も無名もなく、ただ隣の人との連帯と安倍政権を倒す意思がある。これが民衆パワーの爆発であり、抗議行動の本質だ。この状態は夜遅くまで続き、TVや新聞には、2年ぶりに官邸前車道を埋め尽くした空中写真がトップに出たのだった。(次号へ続く)
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