2014/5/28更新
野田 彩花
小3で不登校になり、中学も1年と足らず通えなかった私。そんな私が、大人になったいま、「学校」にまつわる当時の苦しさを振り返り、その苦しさの根っこについて、考えてみたいと思います。
学校に通っていた頃、私には怖いものがたくさんありました。それはたとえば、図画工作の時間、運動会で披露する学年ダンスの練習、理科の実験……。私はそもそも手先が不器用で、自分のやり方やペースを掴むのに、とても時間がかかる子どもでした。
また、物事をすすめるペース自体が、非常にスローペースでのんびりとしています。大人になったいまでも、それはそんなに変わっていません。
図工やら理科の実験やらの何がそんなに怖かったのかというと、「みんなと同じ作業を、同じ手順で、限られた時間に」要求されることでした。
与えられた課題はみな煩雑すぎ、頭の中で手順を組み立てる段階で、すでに脳内はフリーズし、パニック寸前。そのパニックを悟られてはならないと、いつもとても緊張していました。けれども、これって学校生活では、基本中の基本なんですよね。
そもそも学校というのは、同じ歳の子どもたちが、同じような教室の中、区切られた時間割りの中で、みんなが一斉に、同じことをする場所です。そうして、与えられた課題を時間内にクリアすることが「いいこと」だという価値観を、何年間もかけて教え込んでいく場所のようです。
そうやって長い時間をかけて、一つの場所に生活のほとんどを独占されることで、私たちはその価値観をいつの間にか「当たり前」や「常識」といった言葉で語り、内面化するようになります。
けれども、その「常識」や「当たり前」が不得手で、できなくて、そのことが怖くて仕方なかった子ども時代を過ごした私が、やがて大人になり、できなかったからこそ「常識」や「当たり前」を疑う視点を獲得したことにより、見えてきたものがあります。
それは多分、学校や教育の構造の一部であり、その構造に対する危惧や疑問です。「当たり前」だとされてきた、私自身もそう思っていた学校のあり方が、かえって不自然なように見えてきたのです。
まず、一つの課題をクリアするのに、「限られた時間」と「全員が同じ手順」を要求されること。これって実は、とても窮屈で一方的なことに思えます。
人は、本当にさまざまです。数式を解くのも、図画工作や理科の実験、料理等何かをつくるのも、頭の中でだいたいの手順がわかる人、まずは設計図を目に見える形で引かないと落ち着かない人、情報処理ひとつとっても、目で見える形で覚える人、耳から聞くほうが得意な人…。ひとつの完成形にたどり着くのに、そこに至るまでにかかる時間、たどるコースは、実に多様であるはずです。
それを、「時間」も「道すじ」もたったひとつのお手本通りに制限されるなんて、たまたま提示された条件が合っている人、条件に合わすのが得意な人ももちろんいるのでしょうが、大半の人にとっては、実はとっても不自由なことなのではないでしょうか。けれども、多くの子どもたちは、自身の感じた不自由に蓋をして、「たったひとつ」に合わすことにどんどん慣れていかざるを得ない。
自分にとって何が「不自由」なのか知ることは、人間にとって、ひとりしかいない自分を生きる上で、とても大切なことだと、私は考えます。当たり前のようにみえて、その実自分にとってとても不自由な状況にいると気づくことは、生き延びていく上で、絶対に必要なことだ、と。
学校教育が、「不自由」に気づくための芽を潰してしまうものだとしたら、それは、例えば会社や学校といった組織のトップに立つ人たちにとっていくら都合が良くても、ひとりの人間としての子どもたちにとって、本当によいことなのか…疑問が残ります。
また、とても怖いのは、「道すじ」がひとつしかないのだと、錯覚してしまうことです。子どもの頃の私がそうでした。
定められたひとつのやり方を、何とかトレースできないかと四苦八苦して、どんどん自信を失っていきました。
大人になってから出会った居場所でのご縁により、誰かが示したやり方を一挙手一投足トレースしなくても、自分にとって不自由を感じない手順を考えれば、たとえ手先が不器用でも、人より時間がかかっても、なんとかなることは意外と多いと気づくことができるまで、ずっと、とても苦しかった。「正解」や「完成」が必要なことは、場合によってはあると思います。
けれども、そこに至るまでの道のりやかかる時間までも管理されていたのでは、苦しくて息が詰まってしまうのではないか。そんなふうに思います。
最後に、一番お伝えしておきたいことを。私がこうして、子ども時代の自分の苦しさを言葉にし、学校や教育のあり方も含めて客観的に語れるようになったのは、大人になってからでした。
学校に通っていた当時、混乱や緊張、苦しいことの連続でしたが「なぜ苦しいのか?」という視点に立つこと、そもそも苦しさに気づくこと自体が不可能でした。それだけ、学校のシステムは、「当たり前」であり、疑うことが不可能なほど徹底して絶対的だったのです。
いまにして思えば、苦しさに気づけないほど不自由なことはない。私が学校に感じていた苦しさの根っこは、そこにあるような気がします。
そうしてそれは、不登校であるなしにかかわらず、いま学校に通っている子どもたちにも、決して無縁な話ではないのではないでしょうか。
(次回へ続く)
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