2014/5/11更新
安倍政権が戦争国家への根本的な改造を進めている。その全体像をつかみ、歴史的視点をもって、「世界構造の中で、どうすれば良いのか」を考える連載。最終回は、社会運動の方向性と、アジアの中でどのように生きるべきかを聞いた。(園 良太)
私は原発事故以降、「デモと広場の自由のための共同声明」「街頭行動の自由を考える実行委員会」「関西大弾圧救援会・東京の会」「秘密法弾圧救援会」などに関わりつつ、今後の社会運動のあり方を考えてきました。2011年9月11日に東京・新宿の「原発やめろデモ!!!!!」では12人もの仲間が不当に逮捕されました。この大弾圧は、権力側の意図がどのように貫徹されたかという角度から繰り返し想起されなければなりません。あの弾圧を機に反原発運動の主軸が「素人の乱」から「反原連」に移っていったことは、今から振り返れば明らかです。アナーキズム的な思想と感性が主流だった「素人の乱」から、弾圧の回避に高い優先順位を置く、言わば「統制」型の市民運動に、なぜ、どのように転化したのか、あの弾圧を抜きに説明することはできません。一人も起訴されなくてもあの弾圧の効果は絶大だったのであり、権力側も相当なプロが関わって計画を立てたのだと思います。
1970年代には「弾圧は分断されたものを一つにする」というスローガンがありました。この間の運動では必ずしもそうなっていないのはなぜか。私は2000年代前半、友人たちと「連続ティーチイン沖縄」を企画していました。誰もが発言できる雰囲気のなかで、世界や運動、生活のあり方を話し合える場が民衆運動には必要です。2011年9・11の反弾圧闘争をティーチインに開いていけていたら、もう少し違う質の社会空間が形成されていたかもしれません。今回の問題はまず、それがサイバースペースで代替されてしまったことです。ツイッター上の論争で対立と分岐ばかりが生まれていったことは非常に深刻です。「新しい言葉」の発明には、それを可能にする空間そのものが発明されなければなりません。それはけっして与えられるものではないでしょう。
そうした中で「関西大弾圧」が起きます。2012年初夏の大飯原発再稼働阻止闘争(オキュパイ大飯)では、現在の日本の民衆運動としては突出した実力闘争が貫徹されました。自家用車をバリケードがわりに用いるなど、通常の市民運動の限界を突破する戦術が行使されました。権力は実際に恐怖したと思います。権力が東京の運動を抑え込みはじめ、福島から遠い西日本から原発を再稼働する戦略を立てていたところに、大飯闘争はその出鼻をくじく形で相当の打撃を与えました。現在まで再稼働が阻止されているのは、主としてその成果であり、安倍政権成立以後も状況を規定しています。実力闘争は、それだけの成果を実際に生むのであり、だからこそ大弾圧がかけられたのです。
2012年秋以降の弾圧以前に、下地真樹さん、韓基大さんを直接、間接に知っていたこともあり、東京での救援運動に加わることにしました。初めて運動に参加した個人が弾圧される時代になったという認識があり、「反弾圧運動の原則を、今の時代なりに立て直したい」という抱負をもっていました。関西大弾圧に対する抵抗運動のなかでは、旧来の原則の立て直しにとどまらず、権力に保釈金や保釈条件をつけられない「勾留取り消し請求」を弾圧当事者が行いました。関西の救援会や当事者の人たちは、さまざまな困難に直面しながら、新しい運動の地平を切り開いてきたと思います。大飯の直接行動と合わせてこれは関西の運動の力量でもあるでしょう。東京の運動が学ぶべき多くの貴重な経験が蓄積されてきたと思います。
私たちはこれからの時代、アジアでどう生きていくべきでしょうか。
安倍政権は村山談話の見直しを策していますが、談話が発表された1995年には、私たちは戦後50年の歴史問題をめぐる闘いは敗北したと考えていました。村山談話は自衛隊の合憲性の受容、昭和天皇の戦争責任の否定という、それまでの社会党の主張の全面否定と背中合わせで出されたものです。戦後補償に関しても当然の国家補償の筋道が作れず、国民基金という弥縫策は「従軍慰安婦」問題の解決を大きく損ねることになりました。やがて「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観研究会」、あるいは小林よしのりなどが出てきます。日本の戦争責任問題をどうするのか、冷戦以降の世界でどう生きていくのか。この時期から日本の「国論」は、潜在的に二分されていたのです。
多少距離を置いて読み直すなら、村山談話それ自体にこめられているのは、私たちがアジアで隣人たちと共通の未来を構想していくために必要な最低限の認識です。それに対する執拗な反発のもとにあるのは、帝国としての日本の自己像です。安倍晋三の言う「美しい国」とは、「アジアで欧米諸国と同等の資格を持つべきは日本だけだ」という、尊大で人種差別的な思想の表現です。しかし、そんな時代遅れの日本像にとらわれている人たちはいまも少なくありません。中国や韓国が大国化していることが、この人たちは何より気に入らないのです。
どの国の民衆であれ、一人ひとりが幸福に暮らせる世界を作り出すことが私たちの目的であるならば、日本が政治や経済の規模をダウンサイジングして、新しい時代に見合った、東アジアにおけるみずからの役割を再定義し、新たな自己像を形成することは、不可欠でもあり、できるはずです。日本が帝国主義の時代を反省していると言うなら、その時代に日本に組み込まれた釣魚台、独島などは、当然のことながら領有権を主張すべきではありません。それは、イギリスがいまもアルゼンチン沖のマルピナス諸島を領有しているのと同様に不条理なことです。
一方では、日本社会に深く埋め込まれている既存の利権構造が、他方では歴史的に構築された日本の自己像が、この国の合理的な方向転換を妨げています。これからの日本は、「歴史のトンネル」のなかで、痛い思いをしながら現実を思い知らされ、新しい役割を受け入れていくことになるでしょう。
この痛みを和らげ、トンネルの長さを短くすることは可能です。この列島の民衆一人ひとりの生活という視点から現実を見直すだけで、発想はおおきく変わるはずです。
いま思えば民主党政権は、非常に不十分とはいえ、多少は合理性のある政策を実行しようとして、ナショナリズム、アメリカの覇権、官僚制という三重の壁に阻まれて挫折しました。
そして2011年3月の三重の災害のあと、官僚勢力は民衆に対し、「官僚は選挙で選べません。私たちしかいないのです。諦めなさい」「私たちは自民党としか組むつもりはありません」というメッセージを送ってきました。安倍政権に対する消極的な支持が広がったのはその結果です。私たちが現在直面している最大の壁は、そのような意味で歴史的な性格を持っています。
それは「帝国的な自意識」を持ち続けながら、戦後70年を経過してきたこの国家社会の岩盤の厚さでもあります。この力関係を変えていくことは容易ではありませんが、民衆の立場でまずできることは、日本の自己像を変えていくことだと思います。「アジアの隣人たちと一緒に生きる未来を構築していきたい」という欲求を、率直に、豊かなかたちで表現することが大事です。そうすれば、官僚と民衆のあいだの歴史観、社会観、国家間、人間観の隔たりが多くの人に実感され、官僚に自分たちの仕事をできなくさせる状況が作り出せるでしょう。
「一緒に生きる」ことは単なるイメージの問題ではありません。権力者は民衆をバラバラに分断し、社会的な葛藤を人々の心のなかに押し込み、そのうえでオリンピックや「国旗・国歌」等のイメージによる偽りの統合を強制しようとします。実際に人と人がつながっていけば、そのような統合に心を奪われることもなくなり、既存のイベントやイメージのペテン性に気づき、別のイメージを生み出すこともできるはずです。
世界史的に言えば現在は資本主義の外部が消滅し、日本や欧米が経由してきた消費文化の論理に全世界が一元的に統合され、それが「唯一の民衆の夢」になってしまっている時代です。
私たちは、生産、消費、流通のあらゆるプロセスに介入できる運動の展開を必要としています。労働の現場でも、これまでとは異なる言葉を喋りはじめることを夢みること、自分の仕事と職場における言葉の関係を組み替える試みが求められています。誰もが生きる欲求を豊かに表現できるような場と関係性を一緒に作り出していきましょう。
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