2014/1/26更新
──新規就農する若い人も増えていると聞きますが。
●I
新規就農するだけで、5年間にわたって年間150万円の補助金が出る就農支援制度ができました。古い世代からは、「金につられて来るようなヤツに、農業なんてできるわけがない」というような批判の声もあります。でも若い人が農業をやろうと来てくれるのはありがたい話です。
最近、うつ病の増加が、大きな社会問題になってきました。30歳代半ばの人たちが多く、企業の産業医もお手上げです。こうした出社拒否の人たちを受け入れる有機農業農園が、神戸にあります。半年間、授業料をとってやっています。中心になっている人たちはもともと作業療法士なのですが、「一緒に汗を流して働こう」と誘って、週に1回程度、畑に出て回復を待ちます。
その結果、どうなったか、というレポートが出ています。出社拒否だった人が元気になって、家族も喜んで、産業医も驚いたということです。回復へのノウハウがあって、作業療法士としての距離の取り方もある中で、どれだけおもしろく、楽しく「場」を回していくか、ということがあるようです。やっているのは50〜60歳代の人たちです。関西経済同友会から講演に呼ばれたりもしています。
●H
有機農業運動や環境運動が絡まって「有機農業推進法」になっていったという説明がありましたが、とてもおもしろい。そこをまとめてもらって、どんなふうに歴史があって、これからの課題とか、こんな運動が展開されているとか、まとめてもらったら、多くの読者にとっておもしろい記事になると思います。
それは専門の雑誌や新聞を探せば分かるのでしょうが、普通の読者には手の届かない領域だったり、詳細すぎてわかりにくかったりします。そういう流れでは、いっぱいテーマが立てられると思います。
●A
私の周辺でも、農業を指向する若者は増えています。大阪府も、新規就農支援策を打ち出しています。新しい生き方をするための情報を出していけば、必要としている人はたくさんいます。
●や
そうしたテーマを立てることで、また新たな課題が見えてきたり、つながりを作ることが可能ですね。
──未来展望をお願いします。
●M
皆さんから、さまざまな提案がなされました。これからの人民新聞は、新しい関係作りをイメージして準備しないといけません。具体化するのに何年かかるかはわかりませんが、第一世代が「人民新聞」で実現しようと思った目標を50年かけて実現してきたのと同じように、私たちもイメージして、仕込んでいかなければなりません。
大きく時代が変化していますから、これまで「人民新聞」で取り上げてこなかった問題も、関係を作って、その人たちに書いてもらえるようになれば、40年後、50年後を担ってくれる人たちが出てくるかもしれません。
●I
人民新聞には歴史と思想があって、その基準から考えて問題をどう考えるのか、と私たちは問題を立ててきました。
そんな読者をこれからも生み出しうるかどうか、だと思います。これまで私は、「地域」や「風土」や「民族性」という井戸を掘り続けてきました。しかし、地域の先には、必ず「国際主義」が出てくると思います。地域と中央権力、ということにとどまらず、自分の関係している「生活」の中を掘り進んでいって、自分の風土性というものを感じることと、インターナショナルがきちんとつながっている。そんな枠組みを提示することが、この新聞の拠って立つ原点だと思います。例えば、私自身、パレスチナのことが日々自分のやっていることとつながっている、と感じられることがありました。これからもそういう新聞であってほしい。
そのことを今の若い世代がどう表現するのかわかりませんが、自分の場を掘り下げたら世界中の人たちとつながっているんだ、パレスチナやベトナムにつながっているんだ、ということを、紙面から感じられたらいいと思います。
原発にこだわることも同じことだと思います。福島の現実・現状を踏まえた中から、世界に向けて何を発信するのか、が問われています。世界中の有機農業者が、「日本の有機農業陣営は、福島原発事故を体験して、今何を語るのか、注目しています。それを今、「人民新聞」が、英文でそういう角度からきちんと出さないといけないと思います。
●H
普通考えたら、こういう名前の新聞は廃刊になっても仕方がないような流れになっています。よく10日ごとに出しているな、と思います。続けているだけですごいことですが、最近の記事はけっこうおもしろい。
よくやっているな、と思いますが、ネットで出した方が影響力はあると思います。それだと紙の新聞を購読してくれる人が減るので、対策は考えないといけないと思うのですが…。
希望とすれば、いろんな分野でおもしろいことをやっているけどあまり知られていない人を、どんどん紹介していけば、意義はあると思います。広げていければ、おもしろいですね。
●や
新聞を情報の速さだけでとらえてしまったら、新聞はネットには敵いません。しかし、いろんな人の意見が載ったり、広場、交流の場、意見を戦わせる場として、「新聞」は今も有効性を保っています。そういう場は残す必要があると思います。こんな意見が今の社会に受け入れられるのかはわかりませんが、紙の媒体が持っている特徴は、そんなところではないかと思います。
●A
今運動を担っている若い人にわれわれの経験が伝えられていない、とよく指摘されます。でも、それは私たちが若い頃も同じでした。私が東大闘争に参加した時に、火炎瓶の作り方を教えてくれた人は、六全協、山村工作隊の生き残りで、火炎瓶や爆弾の作り方を教えてくれました。でも、共産党でどんなことがあったのか、は教えてくれなかったのです。私たちがあまり聞かなかったこともあるんですが…。
だけど、先の短い人間としてできることは、今まで自分たちの経験してきたことをもう一度点検し直して、文章にして、若い人たちの糧にしてもらうことです。この役割が人民新聞じゃないのか、と思います。
協同組合の話が出ましたが、この前『アフリカを食べる』という本を読んでいたら、かつてアフリカがソ連型社会主義を導入して、40〜50年で見事に破産しているんです。そのことを誰もきちんと整理していないのです。
過去にいろんなことをやってきた人たちが、成功した話だけではなくて、失敗した話をしっかり掘り起こしてほしいと思います。新左翼運動の歴史をいろんな人にリレーで書いてもらうとかすれば、若い人たちにとっても「あ、こんなことがあったのか」と、ためになるんじゃないでしょうか。いろんな現場で運動に参加した人たちの失敗談が掲載されれば、人民新聞らしい、と思います。
歴史を振り返ってみると、結構同じ失敗を繰り返しているな、と実感しています。昨年4月に松山の本屋さんがポンタ(ヒッピーの元祖と呼ばれる山田塊也さん)の本『アイアムヒッピー』を復刻したんです。目にした時に驚いたんですが、若い世代の人たちが、ポンタがやってきたコミューン運動や部族運動を知りたいので、復刻を望む声があったそうです。こういうことは紙媒体じゃないとできないことだな、と思いました。
新聞作りは関係作りであることを再認識した座談会となった。1970年代、ミニコミがブームとなり、テレビ・新聞・雑誌という「企業体」に独占されていた情報発信が、市民団体にも可能となった歴史がある。インターネットによる発信は、これを個人にまで広げたもので、動画配信も可能な時代となった。
だからこそ、誰が、どんな意図で、何を、発信しているのか?その信頼性が問われる時代だ。「関係作り」とは、顔が見える信頼関係を積み重ねること―を肝に銘じて。(山田)
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