2013/12/4更新
沖縄戦と朝鮮人強制連行を記録する会 金 治明
10月9日、名護市中心部において、稲嶺進選挙対策本部事務所開きが市民700名が参加して盛大に行われました。稲嶺市長は2010年2月就任以来「辺野古の海にも基地は造らせない」「基地受け入れによる再編交付金に頼らない市政を」「市民の目線で街づくり」「公共事業の公平・公正入札」などの公約を貫き、名護市予算を前島袋吉和市長時の287億円から350億円に増額するという政府の「アメ」を拒否し、再編交付金ストップという「ムチ」をもろともせず、市政運営してきました。
名護市議会の勢力分布は、自民9、公明2、与党会派15(旧保守8、革新7)で、15対11の安定多数を占めています。4年前の島袋吉和前市長時代は、推進側=自公23対革新4で、まさに保守王国でした。
前回2010年の市長選は、保守が島袋派と稲嶺派に分裂したため、稲嶺=18864票、島袋=15688票で勝利しました。同市長選は民主党・鳩山首相の公約=「最低でも県外、国外」への期待もあり、稲嶺氏に追い風がありました。
名護市民は、1997年の市民投票で「基地ノー」の民意を示したにもかかわらず、比嘉鉄也市長は3日後に基地受け入れを表明して辞任してしまいました。その後、基地容認派市長の誕生で14年間の苦しみを強いられました。基地問題を話題にする事さえ厳しい状況に晒されましたが、分断を乗り越え「普天間基地の辺野古移設反対」で保守革新共闘を成立させ、稲嶺市長誕生という勝利を手にしたのです。
旧保守系の辺野古基地反対の意思は強く、稲嶺市政を強力にサポートしています。2期目市長選のメインスローガンは「子どもたちの未来のために名護市に新たな基地はいりません!今も変わらない稲嶺ススムの強い思いです!」。
すでに名護市内には、「日米同盟に感謝!辺野古移設が沖縄・日本とアジアを救う!」「県民の生命を守る、辺野古移設実現!国防は国家の最優先の仕事、先島には自衛隊配備を!」などの横断幕が張られ、「普天間基地の危険性除去のため辺野古への移設(統合縮小)を実現しよう!」5万人署名運動(主催・「基地統合縮小実現県民の会、呼び掛け人・島袋吉和、西銘恒三郎、島尻安伊子ら)が開始されています。また、謀略「沖縄新聞」号外では「ゆすり、たかりの始末!!稲嶺市長の本音、基地はいらないが、お金は必要」。1号では、「辺野古移設しかない」。「名護市辺野古区民は『移設』を受け入れている」等の稲嶺市長を誹誘中傷するビラが、市内全戸にポスティングされています。
先の参議院選では糸数けいこ(革新統一)29万4420票、安里政晃(自民・公明)26万1392票で、基地反対派の糸数氏が当選しました。しかし、名護市だけを見ると、151票差という僅差での勝利でした。すでに、名護市長選に合わせ、創価学会、自衛隊関係者等が名護市に住所を移した、との情報が入っています。
自民、公明は、候補者選考委員会で末松文信氏(現県議、前副市長で辺野古移設問題の窓口)に決定しましが、10月31日、島袋吉和前市長が、「辺野古移設なくして北部の振興はない、自民党本部の意向と同じ」として、突如、出馬表明をしました。
島袋吉和氏は北部振興協議会顧問で、「基地統合稀小実現の会」の呼びかけ人で、同会は、沖縄県民大会(11月24日)を開き、7万人を越える署名が集まったとしています。
島袋吉和氏等は、集会決議と署名用紙を仲井真県知事に手渡し、海面埋立申請の許可=新基地建設工事着工を迫ろうとしています。一方、末松文信氏は、名護市議団、自民県連、菅官房長官、小野寺防衛相、石破幹事長等政財界の支持を受け、10月25日に出場表明をしました。同氏は、積極的に辺野古移設容認に舵を取り市長選に臨んでいます。
保守「分裂」の三つどもえ選挙戦の様相を呈していますが、「腐っても自公」、保守の一本化を図り日米同盟強化、辺野古新基地建設強行に向けて総力をかけて襲い掛かるのは必至です。油断は禁物、ストップ辺野古!稲嶺進再選のために全国からのご支援を!
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