2013/10/25更新
「農業は、お金のことさえ考えなければ、とても楽しい暮らし方。自分の力で作物を作って、暮らしていきたいだけ」―こう語ってくれた元有機農家・高橋日出夫さん宅を再び訪れた。切花農家である高橋日出夫さんが、飯舘村からの避難先に選んだのは、福島市松川町。何よりも農作業が好きな高橋さんだが、気候風土が違う土地での営農には、二の足を踏んだという。これまで積み上げてきた技術や知識が、生かせるのか?肝心の土はどうなのか? 不安が先立ったという。
しかし、「ズルズルと避難生活を続けていると、とてもつまらない人生になってしまう」と、親戚を辿って近くで土地を探し、福島市飯野町で切花栽培再開を決めた。昨年11月に村の援助もあってビニールハウスを3棟借り、今年8月には「明星山の花」として出荷を終えた。「案ずるより産むが易しだった」と語る。「村に帰り、百姓として死んでいきたい」との決意は今も変わらないが、農業を諦めざるを得ない仲間を思うと、「除染して帰村」の圧力に加担はしたくないと、苦しい胸の内を語る。
「避難生活は生きているという実感がない」と語っていた高橋さんは、帰村に向けて着々と準備を進めていた。福島報告を高橋さんのインタビューから始めたい。(編集部・山田)
編集部…飯舘村では除染が進んでいるようですが…。
高橋…賠償金をもらって知らない土地で暮らすより、早く村に帰って、働きたいのですが、いつ帰れるかは、今もわかりません。
10月5日に地区の住民が集まり、意見交換をしました。「若い人は帰らない方がいい」との声が圧倒的です。私の息子も村へは帰らないと言っています。飯舘村は、50才以上で作り直すことになるでしょう。
2年半が経っても先が見えず、避難生活も長期化しそうなので、近くに土地を探して営農を再開することにしました。飯舘村役場が土地を見つけた人にはビニールハウスを建てて貸すという制度を作ったので、避難先から車で15分位の所に30eほどの土地を見つけ、去年の11月頃にハウスを建ててもらいました。4月に花の苗を定植し、7月から8月中旬までトルコ桔梗を出荷しました。
私は63才ですが、百姓としては、技術も体力も充実した年齢です。5〜6年経つと、相当体力が落ちます。今一番いいところの人生がつまらないものになってしまうと思ったのです。
避難してきた当時、「土と気候が違えば営農再開は大変だ」と諦めていたのですが、賠償金とアルバイトで不本意な暮らしを続けるより、今を一生懸命生きることの方が大切だ、と思うようになりました。
避難先でもう一度花作りをやってみようという力が沸いてきたのです。実際やってみると、飯舘村での栽培より簡単でした。気候が暖かかったからです。この土地に合った花作りをすればいい―何でこんな簡単な事を気がつかなかったんだろうと、今では思っています。
編集部…今も飯舘村に帰るつもりですか?
高橋…避難生活を続けていると、つまらない人生になってしまうんじゃないかと思っています。厳しい避難生活をすべて放射能のせいにして、無駄な時間を過ごしたくはないのです。
だからと言って、こんな思いが利用されてしまうのも嫌です。「放射能は大したことないんだ」と言う人がいて、除染すれば住めると帰村を促進しています。私が村で農業を再開すれば、帰れない村人に迷惑をかけることになります。だから、帰村は、あくまで自分一人の自己責任だと思っています。もし 病気になっても、それはそれで覚悟を決めようと、女房と話してます。
しかし、飯舘村に帰ったとしても、畑の規模は3分の1に縮小せざるを得ないでしょう。というのも、先ほど話したとおり、ビニールハウス3棟でトルコ桔梗を栽培し、路地にはグラジオラスを栽培しました。収穫期には、私と女房で、朝暗いうちにトルコ桔梗を収穫してきて、夜遅くまで花芽の整理を続けました。そんな作業が1カ月も続き、バテてしまいました。避難先から慣れない畑に通わないといけないし、十分な準備もできなかったからです。
それを考えると、とても以前の規模での営農は無理でしょう。収入は減りますが、国民年金と賠償金とを取り崩しながら、なんとか百姓として一生終えたいと思ってます。
編集部…高濃度汚染された地域は、政府が「帰還不可能」を宣言すべきだ」との意見を聞きます。どう思いますか?
高橋…無責任なことは言えませんが、除染して帰っても、長く暮らすうちに後悔する場面があると思います。
事故原発の収束が何十年かかるかわからないなかで村に帰っても、生活は大変です。政府は早く決断し、手厚く保証すべきです。ただし、故郷を失うことになるので、全員が納得するとは思えません。政府は、新天地で安心して暮らせる状況と条件を提供すると同時に、住民に丁寧に説明する作業も必要でしょう。
国会議員の中には、代替地を見つけてキチンと補償すべきだと主張する人もいますが、実際は、難しいでしょう。
編集部…「飯舘村には住めません」と宣言され、代替地を用意されても、高橋さんは飯舘に帰りますか?
高橋…飯舘村は、まだ住めると思ってますが、政府が居住不可能と宣言すれば新天地を求めます。切り替えは早めにして、直ぐに別な土地を見つけてもらって、そこでまた農業を続けたいと思います。残りの人生があと10年なのか15年なのかわかりませんが、最後は農家として人生を終わりたいのです。
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高橋さんの帰村への願いは強い。それは、生業である「農」への誇りと愛着だ。「農作業を終え、夕日を見ながらオカリナを吹いていると、人生は銭金じゃないなと思う」という言葉を思い出す。帰村の決断は、自分の人生をどのように締めくくるかという深い思索に裏打ちされているようだ。
高橋さんに比して、東電幹部や政府首脳陣が、どれほど自分の人生と社会への責任を引き受ける覚悟と能力があるのか? 問うてみたいものだ。
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