2013/6/2更新
土佐 弘之(神戸大学)
TPP(環太平洋連携協定)参加を決めた安倍政権だが、初交渉となる7月会合では、3日間の協議のみ。10月合意が予定されているので、日本に実質的な交渉の機会はなく、米国が決めたルールを丸飲みする「協定」に引きずり込まれただけのようだ。グローバルな貿易自由化に対し、「国益」という経済ナショナリズムを対置するTPP反対論議に一石を投じたい、との思いで、土佐さんに話を聞いた。(編集部)
TPPについては、賛否両論出尽くした感があります。しかし、どちらがより国益を重視しているかという基準でTPPを評価しようとしても、本質を見失ってしまう危険性があります。TPP推進論者の経済的グローバリズムの考え方に対して、国益論を盾に経済ナショナリズム的な立場から批判を浴びせるという旧来の発想を超えて、食料主権の喪失をもたらしている「グローバル・アセンブリッジ(モノと言語を動員するアクター・ネットワーク)」による統治に対抗する思想・政治の可能性について考えたいと思います。
国際的な農民運動である「ラ・ヴィア・カンペシーナ」(農民の道)は、1992年にベルギーで設立されました。第3世界を中心に2億5000万人の農民が加盟する国際組織となっています。ブラジルの「土地なし農民運動」が有名ですが、本部は現在ジャカルタです。
自由主義的グローバリゼーションが世界を覆う中、同組織は、反WTOのデモに集まり、世界社会フォーラムで議論を重ねて、国境と「国益」を越えてFTA(自由貿易協定)などの貿易自由化に反対する世界的ネットワークに成長しました。
現在の食料生産は、新自由主義的なグローバル・フード・ガバナンスという新しい段階に入りつつあります。典型例は遺伝子組み換え作物です。
農家は、モンサントなどの多国籍企業から1回きりしか使えない種子を買い、同社が指定する農薬と肥料を使い続けなければ、再生産ができない構造の中に組み込まれます。一旦そのレールに乗ってしまうと、選択肢はなくなるので、結果的には生産費が高くなり、企業への依存が高まります。農業は大規模単作化するので、生物多様性は失われます。私たちの体を形作る食料が、企業支配の構造に組み込まれることになります。
現在のグローバル・フード・ガバナンスの核は、新大陸型の農業と言って差し支えないでしょう。「農業の工業化」とも呼ばれるもので、アメリカ・カナダ・オーストラリアといった新大陸で19世紀に始まりました。自動車革命と軌を一にしてトラクターやトラックが投入され、農業もまた大量生産・大量消費のフォード主義に沿って大規模化・モノカルチャー化しました。
これが一挙に進化したのが「緑の革命」です。化学肥料や農薬を使わないと再生産できない農法がアジアにも広がり、世界化しました。今や欧米に本社を持つ多国籍食料企業(モンサント・カーギル・ネスレなど)が流通を支配し、生産から販売まで一貫した体制を作り上げています。
これに対しヴィア・カンペシーナは、「食料主権」という対抗概念を打ち出しました。「持続可能で健康で文化的に適切な食料を得る権利」です。この概念は、農民だけではなく消費者運動も含んだ包括的な運動で、国民国家の枠を超える概念だと考えられます。
エクアドルやベネズエラでは、憲法にも謳われており、運動としてだけではなく制度としても広がりを持ち始めています。注目すべき動向です。
「食料主権」の概念と背景を理解するために、NAFTA(北米自由貿易協定)に参加したメキシコの例を紹介します。自由貿易協定締結後、メキシコでは米国・カナダからの安い農作物が市場を席巻し、伝統的農業が壊滅。主食であるトウモロコシの在来種が、ほぼ絶滅してしまいました。日本もTPP参加で自由主義貿易に組み込まれてしまえば、同様の事態になる可能性があります。
「食料主権」は、「食料安全保障」への対抗概念でもあります。日本でも「自給率向上」が謳われていますが、どんな作物であっても良いのか?との問いかけです。極端な話、遺伝子組み換え作物のモノカルチャーで自給率が上がったとしても、それは持続可能ではなく、健康で文化的食生活でもありません。
関税がゼロに近づけば、フードマイレージ(食料の輸送距離)がどんどん伸びていき、一定の時点で環境破局が訪れます。米国では、地下水のくみ上げが限度を超して土地の塩分濃度が上がり、耕作不能地になった農地が広がり続けています。これが全般化すると、世界的な「食糧危機」となります。
TPP賛成派は、「貿易自由化は世界の流れであり、経済自由化を推し進めて多くのパートナーと組んでおかないと、国際政治経済の競争で負け組になる」という恐怖を煽ります。自由貿易への強迫観念で、「バスに乗り遅れるな」と反対論を封じ込めます。
開高健の小説『パニック』に出てくる、湖に向かって突っ走っているネズミの群のようです。「どこかおかしい」と思いながらも、突進を誰も止められないのです。今、食べ物が安くてそこそこおいしければ、持続可能性や安全性は考えない。目先の短期利益ばかりを追いかけ、長期的なリスクを考えようとしない原発と全く同じ姿勢です。
安倍政権が提唱している「国際競争力のある農業」とは、アグロビジネスが支配する農業生産になりかねません。大規模化した専業農家は、短期的には一部で成功するかもしれませんが、地球規模で展開する食料関連企業の下請け企業になります。
あらゆる領域で「底辺への競争」が激化し、地域は崩壊し、人間はますます疲弊していきます。「食料主権」運動がめざすものとは、真逆の方向だと言えます。
FTA(自由貿易協定)は、WTOという多角的枠組みの下での自由貿易推進作業が頓挫したために、その代わりとして進められました。1999年、シアトルでのWTO閣僚会議が反グローバリズムの市民運動の圧力で失敗に終わり、2003年のカンクン閣僚会議で交渉が決裂、完全に行き詰まります。
この頃から、2国間のFTAが急速に増え始め、EUと韓国といった異なる地域を跨ぐものも含めて地理的にも多様化しています。現在進行中のTPPは、「錯綜した糸のかたまり」のようなFTAを、アジア・太平洋という面的な広がりを持ったものに一括にまとめて、同地域の経済空間をさらにフラット化させようとするものです。
さらにTPPは、米中の覇権競争の道具という側面もあります。こうした貿易自由化の競争が激化していくと、必然的にヘゲモニー競争と絡んでくるからです。
アジア・太平洋地域では、米中のヘゲモニー争いが熾烈です。米中の利害は根本的に対立するわけではありませんが、中国中心のFTAと米国中心のFTAが競い合っています。単純化して言えば、アメリカの覇権からの相対的自律性を志向する地域概念「アジア」と、アメリカというヘゲモニーの影が投影された「アジア太平洋」は拮抗関係にあり、日本は、米国というヘゲモニーの橋頭堡の役割を担い続けていることから、米国中心のTPPに入らざるを得ないのです。
アメリカ政府にとってTPPは、単にアメリカの市場確保のための梃子というだけでなく、アジア・太平洋地域における地域主義の相対的自律性、中国を中心とする対抗ヘゲモニー的な潜勢力を削ぐための手段でもあります。
中心概念は、ヴィア・カンペシーナがいう「食料主権」運動でしょう。「生態地域主義」という理念も提唱されています。生活を営む地域において、自然と人間との相互のかかわりを再度見つめなおすことで、土地の特性や自然の持続性を損なわないような生活様式を構築していこうという試みです。
国境によって劃定される国家単位ではなく、生態系的な地域のまとまりに基づく、固有の多様な文化の維持を目指す、地域共同体ベースの運動です。
国境を越えた生態系的まとまりの中で、地産地消を推進し、なるべくフードマイレージを小さくする生活を構築しようとしています。自由貿易競争の中で再編されていく、フードガバナンス(食料支配体系)を変革していく一つの方向だと思います。
TPPは、非関税障壁撤廃という形でアメリカの企業が参入しやすいように法整備を迫るので、それぞれの国が作り上げてきた歴史・文化に基づいた多様な制度を否定することになります。このため、食料以外の分野でも大きな影響を与えます。
医療もその一つです。アメリカ型の医療保険制度への再編が起きようとしています。支払い能力によって受けられる医療水準が決まるという方向への再編ですが、異なる制度や慣行までが非関税障壁とされ、それぞれの国の制度の多様性が認められなくなっていきます。医療制度は、人間の生死に関わる問題ですから、深刻な問題です。
既に神戸では、海外からの大金持ちを対象とした高度医療を提供する病院が建てられるそうです。医療業界も、貧しい日本人を相手にするのではなく、豪華なホテルのよう
な病院でグローバルな超金持
ちを相手にしないと生き残れない、という発想になりつつあるようです。TPPが浸透してくれば、医療制度のモノカルチャーも進み、医療業界も怒濤のようにそちらに流れ込んでいく可能性があります。
ただし、米国がすべてを仕切れるわけではありません。むしろ、アメリカの覇権はどんどん弱まっています。没落の過程にあるからこそ、覇権維持に都合の良いルールを必死で今、作ろうとしているのです。覇権国は、世界を運営していくルール作りにどれほどの発言力を確保するのかが、とても重要だと考えています。
食料・医療という人間が生きるうえで基本の分野では、しっかりと「主権」概念を打ち出し、グローバルにネットワークすることで、もうひとつのヘゲモニーを作り出すことも可能です。
ベネズエラやエクアドルでは、憲法に「食料主権」が謳われています。ヨーロッパでも特に中南欧では、「スローフード・スローライフ」という言葉で、こうした概念が広く語られ実践されています。そもそも中南欧では、「なぜそんなに長時間あくせく働かねばならないのか?」という風土があり、地域の文化・歴史への誇りも高いので、「食料主権」概念も積極的に受け入れられています。
成長至上主義からの脱却も重要です。農業にしても「生産性を上げる」という強迫観念から解放されないかぎり、大きな転換はできないのではないでしょうか。
「脱成長」という枠内で、食料生産や食生活を考え、ライフスタイル全般を見直す運動が、世界中で始まっています。
日本でも、地産地消運動、産直運動、水車村など、新たな試みが80年代から生まれ、広がっています。未だ面的な広がりにはなっていませんが、食生活を含む生活スタイルや農業のあり方として、法律などで制度として公式に「食料主権」概念を打ち出すことができれば、外に照射して国際的な規約や合意として入れ込むことも展望できます。
環境破局・食糧危機などで社会が行き詰まってしまえば、現在の少数派が主流派になることもあり得ますが、まずは競争を主とする主流派とは違う生き方を作り出し、もうひとつの選択肢を用意しておくことだと思います。
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