2013/5/10更新
富田 英司 (宜野湾市在住)
4月28日、安倍政権は「主権回復の日」記念式典を強行したが、沖縄にとっては切り捨てられた「屈辱の日」でしかない。今回の「沖縄通信」では、当日に宜野湾市内でおこなわれた抗議集会のレポートをお願いした。(編集部)
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1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約により、沖縄は日本から切り離されて、米国の統治下に置かれた。沖縄県民は「4・28」を「屈辱の日」と呼んだ。2013年4月28日、沖縄は再び「屈辱の日」を迎え、11時より宜野湾海浜公園屋外劇場で、「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」を開き、「沖縄が切り捨てられた『屈辱の日』に、『主権回復の日』としての政府式典を開催することは、沖縄県民の心を踏みにじり、再び、沖縄切り捨てを行うものだ」と、怒りを爆発させた。
当日は、朝早くから参加者が押し寄せ、5千人しか収容できない屋外劇場は満杯となり、入れない人たちが周辺の公園に座り込み、熱心に大会の挨拶に耳を傾けた。それぞれの挨拶はみなすばらしかったが、私が一番印象に残ったのは、若者代表である中部地区青年団協会長・金城薫さんの挨拶であった。
「正直な気持ちで言うと、4・28が屈辱の日と呼ばれるようになった話を初めて聞いたときに強く感じたのは、日本政府に対する怒りや悲しみではなく、一県民として4・28の事実を知らなかった、自分たちに対するショックの方だった。この日を境に、それぞれの立場や理想を超え、いま一度、沖縄の、日本のこれからを考えてみないか。…本当の国民主権とは、これまでの経験と教訓とは何か?これからの未来とは何なのか?を全国民に問い、この4月28日という日を、屈辱の日としてではなく、日本国民全員で考える日としてほしい。沖縄の問題を沖縄だけで考えるのでなく、日本国民一丸となって解決を模索する。その大事な一歩が今日なのだということを、私たちは信じている」。
4・28を知らない世代が、歴史の事実を知り、屈辱の日を沖縄だけでなく日本国民全員で考える日にしたい。そのスタートが今日なのだとの呼びかけは、参加者の心を打った。主催者発表で1万人が結集し、会場カンパも120万円以上集まった。怒りと英知が結集した、すばらしい抗議大会となった。
この政府式典「ガッティンナラン」とは、「ガッティン」は合点で、「ナラン」と合わせて「納得できない」という言い方だが、今回は「許せない」という意味の方が強い。安倍政権に対する「ガッティンナラン」との怒りである。少しでも沖縄の歴史を学んでいれば、沖縄県民が「4・28」にどんな気持ちを抱いているのか、解るはずである。本当に沖縄に思いを寄せれば、4月28日に「主権回復の日」の政府式典などを開催しようと考えるはずがない。
ところが安倍政権は、沖縄へのオスプレイの強行配備、沖縄県民の大部分が反対している「辺野古新基地」建設、その公有水面埋め立て承認申請書をコソ泥のように提出し、強引に辺野古移設を進めようとしている。こうした下での「主権回復の日」政府式典は、まさに意図的な沖縄の切り捨ての意思表示と受け取れる。大会の共同代表の一つである「沖縄の平和創造と人間の尊厳回復をめざす100人委員会」は、政府式典に対する抗議声明で次のように安倍相を批判している。
「安倍首相が言明する『主権回復の日』は、講和条約とともに日米安保条約が発効した日であり、冷戦下の50年代に『日米軍事同盟』が構築された日でもある。以後、日本は米国への従属体制を強め、沖縄の声はことごとく日米両政府によって封殺された。『主権回復の日』に込めた安倍首相の狙いは、『4・28』に国家主権の回復を堂々とアピールすることで…今こそ『自主憲法』を制定し、天皇の元首化、国防軍の創設を軸とする戦前的な国家体制への回帰の意思表示にほかならない」。
今大会の最大の問題点は、これまで日本政府に対する怒りを「県民大会」(オール沖縄)という形で取り組んできたが、今回の政府式典に対する抗議大会には自民と公明が参加せず、オール沖縄の「県民大会」ではなく、野党と中立系5会派で開く「4・28沖縄大会」となったことだ。大会カラーは「平和で緑豊かな沖縄」のイメージから緑に決定した。
ところが、翁長那覇市長は、抗議カラーとして「残念、無念、失望」などを表す紺色(ブルー)にすると提案。28日当日に紺色の旗を市役所や支所に掲げる独自の方針を提起した。一方、名護市の稲嶺市長は、大会カラーである緑の旗を24日から市役所に掲げ、職員に緑のリボンを配布するなどしている。
今自民党沖縄県連には、もう一つ大きな問題が生じている。県連は、これまで辺野古移設に対して「県内移設反対。あくまで県外移設を求めていく」という選挙公約で選挙を闘い、昨年12月の衆院選挙で4人の当選者を出した。 ところが4月中旬、西銘恒三郎衆院議員(4区選出)と島尻安伊子参院議員が、相次いで普天間飛行場の辺野古移設問題について「普天間の危険性の除去という原点に立ち返るしかない。辺野古の県内移設を認めざるを得ない」と述べ、選挙で掲げた「県外移設」の公約を破棄した。
この辺野古移設容認発言は、国会議員だけでなく県会議員からも出ている。3月の県議会の米軍基地関係特別委員会において、自民の具志孝助県議は「知事が言う『県外移設の方が現実的で早い』というのは、時代錯誤ではないか」と述べ、さらに「日米は辺野古移設を約束した。国家間が合意したのに、政府が今から県外で移設先を探すなんてあり得ない。政治家が実現性のない主張をするのは、県民をだますことになる」と発言している。
4月25日、普天間飛行場の「県外移設」の公約を7月の参院選でも掲げたい沖縄県連は、辺野古移設を受け入れさせたい党本部側と話し合いを持ったが、調整は不調に終わった。東京の党本部からの圧力は猛烈であり、他の3人の沖縄選出国会議員がどうなるか? また沖縄県連が「県外移設」の公約を堅持できるのか? 予断を許さない状況となっている。
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