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2013/4/6更新

いま 南米では

【ベネズエラ】革命は今日から

ウーゴ・チャベスは、独裁者か、「ボリバール革命」のパイオニアか

2013年3月redpepper.org     
ダニエル・チャベス(ウルグアイの文化人類学者)
翻訳・脇浜義明

「革命」とは集団的プロセスで、一人の人間の仕事ではない。しかし、ウーゴ・チャベスの社会的・政治的遺産は素晴らしいもので、ボリバール革命も、本質的に指導者としてのチャベスに結びついてきた。チャベスの死で、ボリバール革命は根本的試練に直面することになる。

チャベスは、シモン・ボリバール(コロンビア共和国の初代大統領。ラテンアメリカでは「解放者」と呼ばれる)やチェ・ゲバラと並ぶ、ラテンアメリカのイコン(聖像)の仲間入りし、将来、彼の墓は貧しいベネズエラ人や世界の左翼が巡礼する霊廟となることだろう。彼は、死んでもエル・シドのように馬に跨る伝説となって、次の選挙に勝利をもたらすであろう。しかし、ボリバール革命は安泰というわけにはいかない。

多くの新聞雑誌が、さまざまなイデオロギー的視点から、なぜ圧倒的多数のベネズエラ人が、かつては無名の士官だったチャベスを完全に信頼して、よりよい未来へ向かって彼に従っていったのか、そして、なぜベネズエラ以外のラテンアメリカ諸国の人々─いや「南」の世界の人々が、彼の死を重大な損失として嘆くのか、を分析するだろう。

1999年にチャベスが政権を取って以降、ベネズエラ人大衆の生活が良くなったのは事実だ。とはいえ、国内経済が不安定で、高いインフレで、犯罪率も依然として高く、砂糖など生活必需品の入手が必ずしも確実でなく、停電が多いことも、また事実である。

しかし、ベネズエラの貧困の実態がこの20年間で明らかにされ、それが次第に解消されていったのも事実だ。1996年には貧困者が人口の71%を占めていたのが、2010年には21%にまで減少(極貧者は40%から 7・3%に減少)した。労働者の実質所得も向上、かつては市場から排除されていた貧困者層が、補助金で安くなった商品を買えるようになり、富の配分がラテンアメリカで一番平等な国となった。

国連のラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)は、「ミシオネス」(使命)と呼ばれるボリバール社会プログラムによって、識字率が98・5%にまで上昇、就学率が小学校92・7%、高等学校72・8%にまで高まったことを認めている。ベネズエラの「人間開発指数」(HDI/人々の生活の質や発展度合いを示す指標)が、2000年の0・656から、2011年の0・735へと上昇、出産時平均寿命も4年増加、就学平均年数は2年増加、期待就学年数(訳注…就学開始した子どもがそのまま就学を続けることができる年数)は3年以上増加した。

「それは石油のおかげだ」と言う人がいるが、チャベス以前は、その石油が寄生虫的泥棒政治家だけを富ましていた。だから、最も弱い社会層の人々が彼の死を嘆くのは、当然である。

ミシオネスなどの社会事業がやや即興的で、マネジメントにも問題が多いという批判があるが、それらが社会の片隅にまでヘルスケアと教育を行き届かせたのだ。確かにヘルスケアの担い手はキューバ人で、今もスラムが残っているし、政府開設の大衆向け地方市場も、生活必需品不足の完全な解決には至っていない。石油依存と経済の第一次産品化が深まり、「オランダ病」(訳注…天然資源の輸出によって通貨為替レートが上昇、そのため工業品の輸出が落ち、国内製造業が廃れる現象)や「資源の呪い」から脱することができない。

その他、チャベス指導下の社会・経済政策の作成と実施に関しても、批判すべき点は多くあるだろう。しかし、チャベスとボリバール革命の成し遂げたことの偉大さは、否定できない。

参加民主主義を追求したチャベス

革命指導者チャベスに否定的な評価をするジャーナリストや学者たちは、貧民大衆の視点からは間違いなく成果であるものを、客観的に評価しない。チャベスを「ワンマンショーを演じる独裁者」「無責任で頭のよくない道化」「未来のグローバル社会主義革命のメシア」などとして描くのだ。また、ベネズエラの複雑で内在的な社会・経済的関係の矛盾に注意を向けない。

そうした点では、ヨーロッパのメディア報道が最も歪んでいる。良質で進歩的と自負するスペイン紙『エル・パイス』は、デマも含んだチャベスの中傷記事を書いている。

カーター財団や独立系の選挙監視団が、ベネズエラの選挙を「クリーンだった」と報告したので、マスメディアのチャベス政権=独裁者論は通用しなくなった。それで西側メディアは、経済に目を向けた。「チャベスのもとで、ベネズエラ経済は、@国有化石油産業の効率悪化、A巨大な財政赤字、B公共部門の際限なき膨張、C巨額の国家債務、D不効率な銀行システムなどで、メルトダウンする」と批判。一方、平衡感覚のある研究者は、このような誇張と虚偽と偏見に基づく暗い予測を事実をもって批判した。

ところが、ベネズエラ経済についての詳細で客観的な分析は、こともあろうにIMFが発表しているのだ。それによると、A財政赤字は右派評論家が出した二桁数字よりもはるかに低い、GDPの7・4%であった。またC国家債務もGDPの50%で、EUの82・5%よりはるかに健全な数字である。

ベネズエラを、「公共部門を膨張させすぎて、機能不全に陥った社会主義国家だ」と論じるジャーナリストや学者がいる。しかし、事実は違う。例えば、公務員の数は全労働人口の18%で、フランスやスカンジナビア諸国より少ない。インフレ─これはラテンアメリカ全体の

問題であるが─は悩みの種だが、政府が貧困層のために社会政策に多額の投資をしていることも考慮すべきだ。

チャベスは、代議制民主主義の限界を超えた市民参 加を熱心に追求した指導者だった。私は、トランス・ナショナル研究所(TNI)の2006年以降のベネズエラ研究に参加してきた。その過程で、コンセンホス・コムナーレス(地域評議会)やメサス・テクニカス(専門委員会、水道など公共サービスの地域管理委員会)などの革新的試みの限界や欠点を直接見てきた。しかし同時に、以前は政治から阻害されていた人々や集団の参加民主主義力を強化する面も見てきた。この遺産は大切にすべきだ。

チャベス亡き後、ボリバール革命への敵視は続くだろう。ベネズエラの石油資源は大国にとって魅力で、彼らは中東や北アフリカで資源獲得のために平然と内政介入をやってきた。当然、ベネズエラの政権交代を望んでいる。

チャベスの遺産を評価する場合、ラテンアメリカ全体に与えた影響も視野に入れるべきであろう。1960年代後半から90年代前半まで、ほとんどのラテンアメリカ政権は、軍事政権か企業と癒着していた。チャベスの出現で、この長年の傾向との訣別が始まり、左派または中道左派政権に道が開かれた。

2004年、TNIとウィスコンシン大学ヘィヴンズ・センターの共同主催で、ラテンアメリカ左派の国際集会(マディソン・ダイアローグ)が開かれた。当時のラテンアメリカの状況は、現在とはまったく異なっていた。ネオリベラリズムが経済を支配、とても左傾化が予測できる雰囲気でなかった。他国で進歩的大統領が誕生したのは、チャベスの最初の選挙勝利から数年経ってからであった─アルゼンチン(2003年)、ブラジル(03年)、ウルグアイ(05年)、ボリビア(06年)、エクアドル(07年)だ。憲法改正と人民の権利拡充の先鞭を切ったのもチャベスで、他国もそれに習った。また、米国主導のFTAAを放棄して、ラテンアメリカの地域統合をはかる米州ボリバール同盟(ALBA)も作った。

もちろん、ラテンアメリカ左派の長所と短所をすべてチャベスだけに負わすべきではない。しかし、彼は世界の進歩派にとって希望の光であるラテンアメリカの道を開拓したパイオニアであった、と言ってよいだろう。

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