2013/3/23更新
「3・11」から2年。今年は、安倍政権が「原発再稼働」をあからさまに進めようとする状況での「3・11」となった。今号は各地で行われた集会の報告をお届けする。
いまだ収束しない福島原発がもたらし続けている不安定さと分断。まずは、放射能安全神話と「帰還」への圧力というしんどい状況の中で行われた郡山からの報告。また、現在全国で唯一再稼働中の大飯原発があり、反対運動への弾圧続く関西(大阪)からの集会報告と、武藤類子さんの福島の現状を訴えるアピールなど、全国各地から、いずれも「福島を忘れない」「原発はいらない」の思いを訴えるものだ。 (編集部)
原発いらない福島の女たち 黒田 節子
あの事故から丸2年。福島では、原発事故の途方もないほどの拡がりとその深刻な影響に、ため息が出る毎日だ。「帰還」への圧力があからさまな中で、「子どもの甲状腺ガンが3人、7人が悪性」とやっと発表された(2011年度検査分のみ)。これが今後さらに大きな数字となってくることが予想される。福島では今、とんでもないことが起こっているのではないだろうか…。
去年の1周年は、郡山の開成山公園を1万6000人の人々が埋めつくした。加藤登紀子の情感たっぷりの歌を聞きながらも、吹きさらしの球場のベンチに震え、これからの福島と自分たちの近未来を思っては、行き場のない怒りと悲しみに胸がふさがっていたのを思い出す。
あれからさらにまた1年が過ぎた。原発いらない女たち、そして福島から避難した仲間にとっては、まさに疾風怒濤・波乱万丈の日々だった。原発がまったく収束をしていないばかりか、再び大地震が起きたら、4号機で凄まじいことになる可能性があることは、誰もが知っている。
しかし、そんな不安定感の漂う中で、私たちのやるべきことは一気に増えてしまった。女たちの力は分散し、今年の3・11をどう迎えるか、正直言って困惑していた。県内の既存の大きな組織では、3・11当日に何の計画もない。「8・6がヒロシマ・デーであるように、3・11を日本だけじゃなく世界中の 特別な日 にしなくちゃいけないのに、2年目にして現地のこのありさまか」とガッカリしていたとき、福島市でデモをやる、という話が入ってきた。
そのすぐ後に、首都圏の女たちが「3・11はフクシマの現地に立ちたい。自分たちの手作りの何かをしたい」として、「スリー・ノンの女たちWALK in 郡山」が急きょ企画されていった。
「3つのNONは、各自の意思表示です。例えば、NONバイオレンス、NOニュークス、NO WAR、NONセクショナリズム等。自由に表現してください」とチラシに表現し、3NONの女たちは、いわゆる組織動員型のものではなく、市民一人ひとりの自由意志による参加を呼びかけている。「女たち大歓迎! サポート精神の男たちも歓迎!」とも言っているように、これは女たち主体のアクションである。
これの郡山現地協力係になった「福島・郡山の女たち」だが、デモは首都圏だけではなく九州などからも参加があり、「たとえ20人ぐらいでもいいからやろうよ」と言っていた呼びかけ人は、うれしい悲鳴をあげながら、マイクロバスを大型バスへと予約を変更したりして大わらわ。50名乗りのバスをほぼ満席にして新宿を出発。郡山駅前で県内からの参加者と合流して、150人ほどのデモ行進となった。
あちこちの窓、バスやタクシーの中から手を振る人もいて、うれしくなる。マイクを回しながらアピールをする。切々と訴えるも良し、怒りをぶちまけるも良し。太鼓、風船、手作りプラカードとバナーが道路を色どり、李政美の会津磐梯山に合わせてのかんしょ踊り、MASAのサックスが郡山市の目抜き通りに響き渡る。
無事にデモ終了後は、市内の会場で交流会。今回は、デモ行進以上にこの交流会の内容が充実したものとなった。時間も3時間以上とってある。
まずはあの「グリーナムの女たち」上映だ。この映画の日本への紹介者・近藤和子さんが今回の呼びかけ人の一人でもあり、彼女からの簡単な解説付き。次はコンサート。ジョイントでソロで、ジョンミの歌にウットリし、MASAのサックスにシビレた。コンサートだけでもなんという豪華版!さらに駒崎さん(郡山市議)からの福島報告「今日は0・52μSv/hあります。市教育委員会は子どもたちの移動教室費用を、今年は半分に削減というひどいもの…」。そして1分間アピールと続き、2、3重の大きな輪になりキャンドルナイトで締めくくった。
アメリカや霞ヶ関テント村などとスカイプ中継されて、メーッセージが交換された。交流会は200名以上いたかな。夕方6時過ぎまで、部屋は熱気でいっぱいだった。
どうしても特記しておきたいことがある。それは私たちの嘆きに応えてくれた、今回の言いだしっぺAさんの、文字通り粉骨砕身の行動だ。手書きのチラシ作りから、バスの手配、はるばる東京から足を運んでのデモ申請や記者会見も一人でやってくれたのだ。いずれも彼女にとって初めての経験ということ。フクシマは多忙を極めている中で、これは理想的なパターンなのだ(笑)。私たち郡山勢は楽をしながら充実した3・11に参加することができて、実際、そのことにもまた強く心を動かされている。
『福島の痛みとつながってくれてありがとう。あなたの祈りが伝わってきます。どうかいつも共にいてください。この共同行動が明日の糧、来年の芽になりますように!』
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