2013/2/3更新
二本松の有機農家・中村和夫さんは、13代続く専業農家だ。6町歩の田んぼと2町歩の畑を耕す。近所の病弱な子どもを持つ母親から「安全なものを」と頼まれたのがきっかけとなって、有機農業の道に入った。
しかし、これには背景がある。「農政は農家のためにあると信じてきた」中村さんは、1993年の冷害による大凶作の翌年、荒れた土地を開墾して米作りに励んだ。その成果もあって、その年は大豊作。すると政府は手のひらを返して、再び「減反」のお達し。これを見て、「農政への信頼が吹き飛んだ」という。化学肥料・農薬づけの近代農業をやめ、農協と縁を切って産直運動を始めた。20年にわたる土づくり、そして都市消費者との信頼関係が、放射能汚染で台無しになった。 (文責・編集部)
二本松市 中村和夫さん
中村さんは、原発事故責任者を刑事告訴している。理由は、電力会社幹部の「事故では誰も死んでいない」との発言を聞いたからだ。「交通事故でも、重大な結果を招けば刑務所に入れられる」「これほど甚大な被害を招きながら、誰一人東電幹部は、責任を曖昧にしたまま居座っている。誰かが死ななければ、責任は問われないのか!」─中村さんの怒りは深い。
「安全」を信条に消費者に直接、米・野菜を届けてきた中村さんは、事故以来、自力で田んぼの土の汚染度を測り、農作物に含まれる放射線量もできるだけ正確な検査結果を消費者に伝えてきた。声がかかれば全国どこへでも駆けつけ、被害実情を訴え販売努力を続けた。
2011年12月、名古屋でのことだ。ひとしきり説明を終わり、会場に向かって「私の農作物は、安全といっていいのでしょうか?」と問うと、会場は沈黙に包まれたという。中村さんは、「やっぱりゼロを求められている」と痛感。「ショックだった」と語る。直売していた消費者は、3分の1に激減した。
最近またまた、ショックなことがあった。隣に住む元農家若夫婦との何気ない会話で、「福島県産野菜は買わないようにしている」と聞かされた。中村さんの息子さんは大手スーパーに地場野菜を出荷しているが、売れ行きは芳しくない。福島県産野菜が売れない実態を見せつけられた思いだ。つれあいの喜美子さんも、地元直売場の代表として懸命な販売努力を重ねているが、売れているのだろうか?福島農業崩壊の危機を感じている。
除染は、二本松でも学校などの公共施設や線量の高いホットスポットから始まったところだ。中村さんも、セシウムを吸着するゼオライトを畑に入れ、深耕・反転した。郡山市としても除染を進めるが、剥いだ表土や雑草などの汚染物質の仮置き場がないために進まず、「行政をアテにはできない」。除染は自己責任、費用も自前だという。
損害賠償の請求は、まだだ。「賠償の前に、電力会社幹部の責任を明確にすることが重要だ」と語る。仙台に避難中の有機農業の仲間である双葉町の友人は、いわき市で営農再開を目指しているので、賠償問題の早期結着を願っている。ところが、政府は除染を先行させ、「結果を見てから」というスタンスで、結局「除染が、賠償を遅らせる方便になっている」との疑念は増すばかりだ。
中村さんが最も心配し怒っているのは、「土」そのものの汚染だ。汚染の長期化は避けられず、専業農家を選択した息子さんの代で被害が終息する見通しもない。販売の落ち込みから、専業農家を続けられるか?息子さんは、厳しい判断を迫られている。別の働き口を探して兼業農家の道も考え始めており、「ここ数年が正念場になる」と言う。目先の損害賠償よりも、将来にわたる影響を心配せざるを得ない。
「数年で、地域の農業は崩壊してしまうかもわからない」との懸念が中村さんにある。高齢化が進み、若手と言えば中村さんの息子さんだけ。「売れないんじゃぁ、作ってもしょうがない」と、意欲がなくなれば、一気に離農が進む。
「不耕作地を見るのは辛いが、荒れた畑が増えてきている」という。実際、原発事故以降、「(農作業が)しんどくなったから耕してくれ」との依頼が舞い込むようになってきた。「人手がいるときは 手伝ってやっから」と、離農を思い留まるよう説得するのは、地域農業を残したいからだ。
刑事告訴は、直接的被害よりも長期にわたる地域農業への影響を心配するからだ。地域農業の崩壊は、地域そのものの崩壊に繋がる。地域全体の未来を危うくした原発事故。「隣家の塀を壊しただけでも、謝罪し弁償し、関係悪化を避けるために、多大な心労が必要。原発事故では、世代を継いで付き合わねばならないほどの被害を与えた加害者が、何の責任も問われないのは不条理すぎる」(中村さん)。
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