2013/2/3更新
「AIBO」とは、Action Incuvation Box Osakaの頭文字をとったもので、相棒と読む。市民が自ら発案し取り組む活動(Action)を、様々な角度からサポートし、応援(Incubation=孵化)する。昨年4月に準備を始め、11月23日から10日間に渡る「大阪ええじゃないか」開催をもって活動を終了した。「『おまかせ民主主義』では社会は変わらない。変えられるのは私たち」。とのメッセージをもって、大阪で繰り広げられた多彩なイベントは、200あまり。行政の関与・支援のない、市民の自主的活動としては、大規模な取り組みとなった。
昨年の衆院選で維新の会は、国政進出を果たし、第3党の議席を獲得。桜宮高校での体罰問題でも、橋下市長は、生徒の自殺と予算執行権という二つの武器を振りかざして強権的な政治介入を行っている。「AIBO」の準備段階から関わった伊田広行さん、ラボルテ雅樹さん、企画持ち込みで参加した槇邦彦さんの3氏による座談会で、成果と課題を探った。(編集部)
編集部…立ち上げに至る経緯と目的は?
伊田…橋下知事が大阪市長選で大勝し(2011年11月)、「維新の会」が国政に進出する勢いを見せました。東京にいた湯浅誠さんは強い危機感をもち、昨年3月頃から大阪に来るようになりました。AIBOは、橋下・「維新の会」の政策と勢いに危機感を共有する人たちの交流から生まれました。
湯浅さんなりにラフなスケッチを描いて動き始めたのが、4〜5月頃です。その時点での方向性は、@既存の「反橋下勢力」が集まっただけではダメ、またA湯浅誠を旗印にした運動や政治活動でもダメ、ということです。既存の運動や組織の外側にいる市民層、特に若い人が中心になっておもしろい運動を作り上げ、湯浅さんはその一活動家として参加するというイメージでした。
このラフイメージをもとに、5月から3回「ブレーンストーミング」(以下「ブレスト」)を行いました。自由にアイデアを出し合い、合意を形成していく手法です。参加者の拡大も、各メンバーが一緒にやりたいと思う活動家に声をかける、という広げ方です。ブレストの様子は全て録画し、2回目以降の参加者は、それまでの会議録を観たうえで参加するのが条件でした。
20〜30人が車座になって、「橋下的な動き」に対抗するとはどういうことか?から議論を始め、運動の原則・スタイルから組織の形態・名称、具体的な企画のアイデアまで議論し、合意を作っていきました。
伊田…こうして合意された原則は、@黒子に徹する、ということです。自分たちが前に出るのではなくて、様々な市民の「動き」が活性化するために資金やノウハウ・機材・人材を援助する、中間支援団体的なものを目指しました。特に湯浅誠さんは著名人なので、「湯浅誠の組織」と誤解されないような配慮は必要でした。
次に、A橋下市長や維新の会を直接批判するのではなく、自立した市民らが直接民主主義を実践することが、「橋下的なもの」(ファシズム)に対抗することになる、という考えから、B「正義」を振りかざして相手を徹底的に攻撃するという手法ではなく、大阪らしい笑いや茶化しを取り入れる、ことも確認されました。
「維新の会」が国会進出を狙っていた衆院選挙は意識していましたが、この運動を選挙に集約することも、ましてや誰かの選挙運動に利用されることも拒否し、従来の活動スタイルを破る新しい運動を作ろうという意気込みはありました。
ブレーンストーミングの時期が終わり、組織の立ち上げ、事務所の運営という実際活動をスタートさせたのが7月です。事務所の設計・施工からNPO設立届け出などの実務は、専従的なスタッフがいないとできません。仕事を辞めてこの運動を担った人もいるので、数人のスタッフには一定のバイト料を支払うようにしました。
こうした運動でも事務所費用・活動費が必要です。さらに活動資金援助のための基金を集める必要がありました。大口の資金提供もあったのですが、資金提供者に対しては、「金は出すが口は出さない」を徹底してもらいました。特に事務局が、資金提供者の影響を受けることなく自由に活動することは、新たな実験でした。
編集部…ラボルテさんは、どの時期からどのような関わりでしたか?
ラボルテ…昨年4月15日に、関西大学で山口二郎さんを招いて「民主主義の在るべきかたちとは?」(主催:若者で未来を考えるネットワーク)という講演イベントを行ったのですが、ここに湯浅さんたちが一般参加者として来ていて、のちにブレストへの参加を呼びかけられました。
私自身、高校の時から「反貧困」(湯浅誠著)などは読んでいて、彼には敬意をもっていましたので、嬉しかったです。元々、誰かを中心に動くのではなく、ひとりひとりが小さなオルガナイザーとなって、そこから多様な運動を作っていくことが社会を変える原動力だと思っていましたので、湯浅さんの構想を聞いて、「一緒にやりたい」と思いました。ただ、経験したことのない大きな運動になりそうだったし、資金の出所、それまでの議論の積み重ねや背景など、不安や疑問もありました。
この動きのどこが出発点なのか?もわからず、着地点も見えなかったので、何度も湯浅さんと話をしました。2回目のブレストの時に、湯浅さんが、3月以降、大阪で誰と会い、どんな話をしてブレストに至っているかを記したレジュメを出し、説明しました。これを聞いて「裏は何もない」ことがわかったので、「走っているうちに着地点は見えてくるだろう」と思い、参加することに決めました。
編集部…槇さんは、企画募集に応募するという関わりです。こうした準備過程を聞いてどうですか?
槇…しっかりした戦略があり、基盤と準備があって運営されているものと思っていましたので、「走りながら作っていった」というのは、意外でした。
伊田…最初に出された構想レジュメを、実際の運動と比べて見返してみると、かなり変化していることがわかります。構想段階では、「地区別の委員会」とか「10万人集会」とか書かれていますが、全く違う形になりました。様々な思いをもった諸個人が、議論をすりあわせていく中で、内容も形もどんどん変わっていったのが実際です。
編集部…左派的既存組織に所属するメンバーも、ブレスト段階から参加していました。友好的でない関係もあったと思いますが、対立や論争にはならなかったのですか?
ラボルテ…若者の間では、政党や組織に所属していても、かつてのような対立感情はほとんどありません。AIBOに参加してきたのは、むしろ所属している組織に疑問をもち、新しい運動を求めている人が大半だったので、共感の方が強かったと思います。実際の運営をめぐっては論争もありましたが、ためにする論争や組織を背景とした攻撃は、全くなかったと思います。
編集部…「共感」を基礎にできたのは、なぜですか?
伊田…@人の集め方と、A会議の進め方です。@は、参加を決めた個人が、自分の責任で、信頼でき一緒にやりたいと思う人に参加を呼びかける方式にしました。所属組織や政治信条の前に、人間的な信頼関係を基礎にしています。Aは、ブレーンストーミングという民主的な手法です。議題設定からみんなで決め、批判よりも対案提示を重んじ、全員が発言できるよう運営し、合意を形成していく討論過程そのものを大切にしました。
編集部…7月10日に事務所をオープンして、いよいよ実践に入りますが…。
伊田…5月末には、組織名称も含め大筋が決まり、6月上旬には事務所の契約を済ませ、事務所作り、パンフレット作りなど実務段階に入っていきます。7月10日はお披露目ですから、たいへんだったのは5月・6月です。
編集部…槇さんは、《企画の持ち込み》という形で参加したわけですが、その立場からAIBOを、どう評価していますか?
槇…私は、若者自身が自らを語り、それを観た人との間接的対話を狙った「ニート・トークトゥギャザー」の制作者として、AIBOに企画を持ち込みました。私が関わっているニート・引きこもり系の若者は、社会に発言する自信も場もないので、AIBOの話を聞き、「やってみよう」という動機づけになりました。若者自身が世の中に対して発信することへの高いハードルを下げたい、という願いです。
また、彼(女)たちが自分と向き合うだけじゃなく、社会にも目を向けていくきっかけにもしたかったからです。AIBOは、企画検討会議や資金援助額の決定の仕方もオープンで、新しさを感じました。
○○財団や△△基金に企画を出しても、企画書の審査だけで、何が評価されたのか、何が悪かったのかもわかりません。一方、AIBOは、企画提案者が審査の会議に参加して趣旨を説明する場も用意してもらい、その場で金額の提示までありました。顔の見える関係がありました。
編集部…企画選考の基準は?
伊田…まず、企画検討会議はオープンにするという原則を設けました。お金を出す側が密室で決めると、応募者から「勝手に決められている」といった不満が必ず出るし、基金を集めても、その金が人件費などの基金運営費用に消えてしまい、成果が見えにくい傾向があるからです。湯浅さんなどは、「誰でも審査委員になれる」という方法すら提案していました。
しかし現実は、理想どおりにはなりませんでした。AIBOの認知度は低く、企画が押し寄せてくる状態にはなりませんでした。検討会議も、専従者の数人で決めることがありました。実際は、持ち込まれる企画について可能な助言をし、余程ひどいものでないかぎり採用されました。
提案者から求められれば、会場探しから、講師派遣、ビラ作りのサポートまで、これまでない援助はできたと思います。
編集部…AIBOの成果とは?
伊田…AIBOの企画が、これまで「社会運動」に関わりがなかった新しい層に広がったのは、第1の成果です。各企画の本番当日、初めての人やAIBOのルートで来た人に手を挙げてもらったら、2〜3割いました。
AIBOは、資金だけでなく、機材貸し出しから保育士や手話通訳者の派遣まで支援の枠を広げました。子育て支援をやっている「SEAN(シーン)」には、保育士派遣で関わってもらったのですが、「いろんな企画でいろんな人と出会えたことが良かった」と評価してくれています。
づら研(生き辛さ研究会)の企画では、遠方から講師を招く費用がなくて断念していたものを、資金援助することで実現しましたし、主催者は、企画準備の過程で人間関係が広がったことも喜んでいました。活動家どおしのネットワークづくりに役立ったことは、第2の成果です。
槇…確かに、AIBOのルートで観に来てくれる人もたくさんいました。企画を通して知り合った人もたくさんいます。AIBOは、「やりたいけどできなかったこと」を実現するいいきっかけになりました。日頃接しているニートと呼ばれる若者たちに、カメラを向けるのは、高いハードルがあります。彼(女)らは、「自分はダメな人間だ」と思い込んでいるので、了解を得るのもたいへんです。強引さも含めて、前に進むことができました。
ラボルテ…セクシャルマイノリティの運動とつながれたのは良かったですね。
伊田…もうひとつは、お金の「集め方」「使い方」についての実験です。AIBOは、口は出さずに資金を提供する個人や組織があったので、多くの市民企画を後押しすることができました。リベラルを志向する労組や政党は、企業も含めて色の付かないお金を出して、多様な市民運動を支えて欲しいし、AIBOは、その端緒を開いたと言えます。
ラボルテ…社会運動の拡大という意味では、資金支援が必要な時もあるかもしれませんが、やっぱり出所が気になるし、運動が金に回収されてしまうことへの危惧はあります。お金がなくてもやる運動は、人数や規模に還元できない価値があると思います。「お金がなくてもできる」ことこそが、新自由主義への対抗軸だと思っています。金がなくてもできることなら、貧乏人が主体になれます。
槇…「ええじゃないか」と銘打たれた集中ウィークの10日間で、あれほど多彩な企画が行われたこと自体が驚きです。昔関わったり、多少見聞きしただけだった問題に再会できたことも印象的でしたし、頑張り続けている姿を見て元気になりました。
伊田…AIBOの事務所は撤収しましたし、企画募集も終わりました。ただ、一連の動きの中で作られた人的ネットワークを活かして、何かをやろうという動きはあります。事務所を新たに確保しようという呼びかけもあります。
昨年末の選挙結果を見ると、AIBOが橋下・維新への対抗運動として社会に大きな影響を与えることはできなかった、と言わざるを得ません。ただし、今回の取り組み は、その足がかりにはなりましたので、地道に続けることが重要です。
ラボルテ…橋下や新自由主義路線に対抗するという大きな政治運動としてAIBOの意義は大きかったと思っていますし、そこに自分も関与したことは、経験としても貴重でした。しかし、AIBOの今後を議論する最後の会議で、私は一言もしゃべることができませんでした。
今は、将棋盤を上から眺めるように戦略を立てて、勢力図面を変えていくという大局的運動ではなく、「弱いままで社会を変える」という原則の中で自分自身がどうするか?何ができるのか?考え続けています。
シンポジウム もう たくさんだ! さらば「橋下・維新現象」日時:2月15日(金)午後6時半〜9時 |
実践過程では、当然ながら様々な行き違いや論争もありました。その時々に、自分はしっかりその問題に向き合い、傷ついた側に立てたのか?自分が何もできなかったことばかりで反省すべきことがたくさんありました。
槇…「ニート・トーク・トゥギャザー」は、さらに発展させます。引き籠もりの若者がカメラを向けられて、彼らなりに語った自分自身が、観客に受け入れられたことは、小さな自信にはつながったようです。
DVD製作がきっかけとなって、メディアの取材もあり、仕事づくり活動(いか焼きを始めた)の後押しにもなりました。人が変わる過程は複雑だし、時間もかかります。今回のビデオ作品作りは、期限があったので、ごり押しした場面もありました。当事者のペースに合わせて、ゆっくり時間をかけるのが、人間の成長という面ではいいので、じっくり取り組み、ニートと社会との対話を深めたいと思います。
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