2013/1/15更新
参議院議員 山内 徳信
新春を迎え、私の心からの願いを最初に書かせていただきます。亜熱帯の沖縄、空も海もきれいな沖縄、平和で安心して暮らせるような沖縄であれば、と日々願っております。
なぜ、この沖縄県だけが「米軍の基地の島」となり、戦後68年間も苦しみ続けなければいけないのか。なぜ、日本の政治は沖縄の痛みを共有し解決してくれないのだろうか。政府への期待感はとっくに切れ、失望と不信感が充満し、怒りの島となっています。
あなたは沖縄の実態をそれで良いとお考えでしょうか。沖縄県民は、民主党政権に裏切られ、今また安倍政権の憲法改悪の動きに、心おだやかではいられません。国民大衆にとって大事なことは、権力者に騙されない「市民としての目覚めた意識」を持つことだと思います。
日本の政治家も官僚たちも、頭(口)では民主主義も、人権も、環境も知っておりますが、実際の政治や行政の場では、民主主義とか人権とか人間の尊厳とか法の下の平等を実現しようという、必死の努力はまったくしておりません。それが日本の政治を弱体化させ、政治の活性化を失わせ、政治のダイナミズムを失わせているのです。
私は参議院の「外交防衛委員会」に所属し、沖縄の基地問題や日米地位協定の抜本的改正の問題など、何十回、何百回と質問をし、問題解決策を訴えても、ほとんど聞く耳を持ちません。答弁はいかに「はぐらかし」、いかに「隠蔽し」、いかに「逃げ込むか」に終始していると言っても過言ではありません。要するに、難しい問題に取り組もうという使命感がまったくないのです。
墜落事故が後を絶たないMV22オスプレイというアメリカ海兵隊の機種を、沖縄の普天間飛行場に配備することに日米で合意しました。そもそも普天間飛行場は市街地の真ん中にあり、「世界一危険な飛行場」と言われています。2004年には市内にある沖縄国際大学構内に海兵隊の大型ヘリが墜落したこともあり、沖縄県民は、決してMV22オスプレイ配備を容認することはできません。
昨年の9月9日、宜野湾市の海浜公園は10万余のオスプレイ強行配備反対の人間であふれ、灼熱の太陽にも屈することなく怒りの県民大会が開催されました。命を守るため、沖縄は一本にまとまったのです。
9月14日、県民大会の「決議」を携え、抗議撤回要請団44人が上京しました。要請団は、県民大会実行委員会の各団体の代表でした。県議会議長、那覇市長、商工会代表、婦人連合会代表、市町村議会代表、労働者団体代表、市民団体代表等、国会議員団も各班に分かれて対応しました。
拠点を参議院会館に置き、「一歩も引かない厳しい要請をする」ことを確認し合い、衆参議長、野田首相、玄葉外務大臣、森本防衛大臣、アメリカ大使館等に加え、各政党にも厳しい要請をしました。要請の結果の報告会が、その日の午後、参議院会館内で行われましたが、私が予想していた通りでした。県民の祈るような訴え、爆音におびえる児童生徒たちの願い、恐怖にさらされている市民の日常生活─なぜ、それが政府に聞いてもらえないのか。
アメリカ本国やハワイ州では、環境影響評価もちゃんと実施され、市民の声が反映され、改善や中止が行われているのに、なぜ、日本の中の沖縄では環境影響評価さえ実施さ、市民の必死の声も、県民大会の民意もまったく聞き入れられないのか。政府に一顧だにされない沖縄の声とは、いったい何なのか。政府にとって沖縄は何なのか。
聞く耳を持っていない政府に聞かしたい。沖縄はアメリカの植民地ではないのです。独立国家、主権国家日本の一県なのです。沖縄県民は日本政府の奴隷ではないのです。沖縄県民を差別し、「苦しめ」続け、「苛め」続けてきた日本政府よ、恥を知れ!
理を尽くし訴えても聞かない日本政府を、もはや沖縄県民は誰一人、信頼も尊敬もしていません。沖縄の主人公は沖縄県民です。自らの生存権を守るために立ち上がったのが、昨年9月下旬から始まった普天間飛行場の第1・第2・第3ゲートへの県民のオスプレイ配備撤回の非暴力・直接行動という抗議行動であり、抵抗であり、沖縄一揆でした。県民の要求を無視した米軍基地の存続は、もはやあり得ないことを知るべきです。
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