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2013/1/15更新

福島/放射線被害の最前線

不安と迷い / 引き裂かれる被災者

福島取材報告を若い農業者のインタビューから始めたい。近藤さんは、この地で農業は再開できるのか悩み続けている。師匠や仲間に背を向けたくはない、でも子どもの健康被害や将来は?とも考える。

 事故後の8月、連れ合いの華子さんは、子ども2人と共に宮城県内の実家に避難。近藤さんは、1人残って農業を続けた。しかし、「家族離散のストレスを子どもに与えたくない」との思いから、2011年12月、土地も返して妻子が暮らす避難先に移った。一旦は営農を断念したが、昨年7月、営農再開を目指して家族全員で二本松に戻った。現在、農協臨時職員として米の全袋検査・損害賠償を担当して収入を得ながら、再開の可能性を探っている。 (編集部・山田)

「子どもの健康」と「仲間との絆」

二本松市 近藤 恵さん(32)  

 プロフィール
筑波大卒業後、千葉の有機農家で1年研修。農業収入ゼロでアルバイトで食いつなぐ生活が3年続き、一旦は農業を諦めかけたが、2006年、二本松市の有機農家・大内信一氏の助言と助力もあって、3haの農地を借りて新規就農。3年間の兼業時代を経て、専業農家として成り立つようになったが、原発事故に遭遇した。

 

ここで子どもは育てられない

先日、福島医大から長男の甲状腺検査の結果が送られてきました。昨年9月に全校生徒を対象に行ったもので、A2判定(5・1_以下の結節や20・1_以下の嚢胞が認められる)でした。福島県内の18才未満の子どもの嚢胞保有率は、35%と発表されています。私の長男はその中に入っているとの通知でした。

▲子どもたちともち米の脱穀

心配する保護者が追加の診察を希望しても、「自覚症状がないかぎり、追加検査は必要ない」との通達が、福島県立医大から全国の放射線専門病院に出されており、不安を抱く保護者たちは、不信感を強めています。

妻は、東京で検査をしてくれる病院を探し出し、受診する手配を進めています。チェルノブイリ事故でも、健康被害が現れるのは2〜3年後でした。被害の実態がわかるのはこれからです。この通達も「原発安全キャンペーン」の一つです。

福島では、安全論議がゼロか100かになっていて、真っ当な論議ができない分断状況にあります。放射能のことを口にすると、「復興に水を差すな!」「がんばっている人に失礼だ」という非難が返ってくることもあります。

考え悩むことに疲れて、単純化された結論や楽観論に乗りたい気持ちは、よくわかります。汚染地で生きていくには、そういう態度に慣れていかざるを得ないのです。

「がんばろう東北」なんて言われるけど、福島では放射能にじっと堪える、ということです。健康被害についても、「出た時に考えればいい」と言う人もいます。それでいいのかって思います。具体的なことを知って、どういう対処をするのか落ち着いて考えていきたいと思っています。水俣病をはじめ過去の反省に立ち、警戒は解くべきではありません。

私と妻は、ここで暮らし続けようと思っていますが、子どもは早く県外に出そうと思っています。全寮制の学校に入れるのも選択肢です。

避 難

この土地を選んだ時に、原発は全く意識していなかったので、事故後あわてて原発関連本を買い漁って読みました。すがる思いで空気清浄機とエアコンを買いましたが、気休めにもなりませんでした。

子どもの被曝を避けるため、2011年8月、妻と子ども2人は、宮城県内の実家に避難。私は、既に米を作付けていましたので、1人残って農業を続けました。この米については、検査結果(15ベクレル/s以下)とともに、こちらの状況を書いた手紙を出したところ、全量直接販売できました。

子どもの健康被害、将来受けるかもしれない差別を考えると、「(ここを)出ないといけない」と思いますが、地元の農業者と深いつながりがあり、特に恩師とも言える大内信一さんには背を向けたくないと思っていたので、ずいぶん悩みました。

2011年12月、営農を断念。土地も返して、妻子が暮らす避難先に移りました。早く戻って農業をしたい、ジャガイモを植えたい、田んぼを耕したい、ネギの種を蒔きたい、夏人参に挑戦したいと思う一方で、その気持ちを打ち消すように不安が持ち上がってきました。

 作った米が、野菜が、放射性物質を吸収していたらどうしよう。自分や子どもが長く生活していくことはできるのか。有機認証は取り消されるのか。小さな子どもがいる家族に売ってもいいのか。当面の収入はどうするか…。集めた情報がまた不安をあおり、心を埋めつくし、時間だけが過ぎていきました。

帰 還

私が福島・二本松に帰ってきたのは、恩師である大内信一さんをはじめ、私にとってかけがえのない人たちがいるからです。「農業こそ人間が帰るところだ」と教えてくれ、新参者の私を温かく迎えてくれた地元の人々や、帰ってきた私たちを支え、励ましてくれた多くの仲間たちです。

宮城避難の経験から、引っ越しする際のリスクもよくわかりました。引っ越しや二重生活は、経済的にも心理的にも相当なストレスになります。私たちは、被曝リスクより、ここでの人間関係や子どもを育てる環境を選んだ、ということかもしれません。

事故当時の二本松は、放射線管理区域に指定されるべき放射線量(5_Sv/年)で、本来18才未満の労働が禁止されるべき線量でした。また、耕作制限の線引きのギリギリ外側です。線引きはやむを得ないとしても、せめて緩衝地帯を設定し、選択避難の権利を認めるべきです。

今のところ二本松の農産物から放射性物質はほとんど検出されていませんが、自信をもって「安全」と確信できないため、農業再開に踏み出せません。ひとまずは住み慣れた場所に戻り、魂を回復し、次の展開を考える機会としています。

福島の農産物が、こだわりなく手に取ってもらえる日がいつ来るんだろうって思います。風評被害は5〜10年で収まると言われていますが、それまでどう堪えていくか考えています。欠陥の原因は私にないとしても、販売する責任は負わねばなりません。「疑わしきは使用せず」の精神で農薬、化学肥料を一切使用しないと標榜してきたわけです

何を子どもに伝え、 残していけるのか?

「農村は目立たないが大きな根であり、都市は枝葉。枝葉を大きく茂らせたければ、根を大きく張れ」─こう語っていた小谷純一先生(「全国愛農会」創設者)の教えを、今さらながら思い出します。日本は今、まったく逆の方向に進んでいます。

福島と日本は苦難を負ってしまいました。しかし、歴史の中で何度も3・11を上回る困難がありましたが、絶望や闇がこの世を覆い尽くしたことは一度もなかった、と信じています。

何を子どもに伝え、残していけるのか? まず経済活動を縮小させるべきでしょう。公正な社会、弱者を踏みつけにしない社会、巨大企業に支配されない社会を願っています。

私が生きているうちは実現しないかもしれませんが、福島に子どもたちや女性たちが心から戻ってくることができるよう、この地に種を蒔きたいと思います。欲望・科学への慢心、失望・あきらめ、そして放射能という見えない敵に背を向けず、この地で農業をしたい。怒りや正義の主張ではなく、希望にあふれた汗を流したいのです。

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