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2012/ 11/7更新

被災地支援  支援の谷間を支援する

1年余現地活動続けた真宗大谷派僧侶 
川浪剛さんインタビュー

地震直後の3月18日に仙台入りし、以後1年以上被災地で活動してきた川浪剛さん(南溟寺僧侶)は、大阪府一円で長年、ホームレスの支援活動をしてきた。「支援ではなく出会いを求めた」という被災現地活動では、緊急支援が落ち着くと、自治体や大規模組織の支援が届かない、「谷間」を歩き、心の関係づくりを目指した。

自身もホームレス経験のある川浪さんは、「支援する・される」という関係そのものに違和感を感じ、被災地救援活動の矛盾も見えてきたという。「かわいそうな被災者を救う、というのはとんでもない思いあがり。善意の押しつけは、相手の自尊心を傷つけることもある」と語る。 (文責・編集部)

ホームレス支援基礎に被災地へ

震災3日後、ホームレス支援全国ネットワーク理事長・奥田知志さんから、「仙台に向かって欲しい」と電話があり、3月18日、山形空港に降り立ち、バス2本を乗り継いで仙台に入りました。当初、炊き出しなどホームレス支援を続けてきた「ワンファミリー仙台」のお手伝いをした り、九州のグリーンコープが中心となって集める支援物資を配るという活動を想定していました。

「地震と津波で膨大な人たちが家や家族と仕事を失い、ホームレス状態に陥っている」|奥田さんは、こう私に語りかけ、仙台入りを要請しました。私たちが行ってきたホームレス支援が、野宿者だけでなく広く「生活困窮者・社会的困窮者」を支援していく活動に脱皮する必要は、数年前から語られていました。

実際、この5年間で目にする野宿者やテントの数は激減しました。しかし、ネットカフェ難民や、軽犯罪(無賃乗車等)で刑務所を出たり入ったりしている知的障がい・精神障がいのある刑余者、さらにはDV被害者といった「生活困窮者」が、層として現れてきました。湯浅誠さんが言う「タメ」のない人たちです。

これまで私たちが想定していた「日雇い労働者が仕事を失って野宿する」という人たちとは明らかに違う困窮者が膨大に生み出されており、今後のホームレス支援は、これら膨大な「生活困窮者・社会的困窮者」とどう向き合うかだ、という問題意識が共有されていました。

ところが、被災地に行って「ホームレス支援」を名乗ると、被災者から「エッ」という顔をされました。「ホームレスと私たちを一緒にしないで」ということです。奥田さんは、「被災地で支援活動するなら、『ホームレス支援』の看板を外しなさい」とまで言われたそうです。阪神大震災時でも野宿者は避難所から追い出されました。「ここは元々家があった人たちの避難所だから」という理屈でした。

大災害のなかであっても人間に線を引いて排除するということは、仙台でも起こりました。それほどホームレスへの差別的視線が強いことを、思い知らされました。これが最初に感じた矛盾です。

谷間と格差

具体的な緊急支援活動は炊き出しでしたが、仙台市内中心部のライフラインは数日で復旧しましたから、すぐにその必要はなくなりました。その後は、連絡のつかない老人施設やSOSを発している病院に支援物資を届ける活動となりました。

当初は、大混乱でした。物資も人も無秩序に運び込まれ、保管する場所も寝るところもバラバラで、何がどこにあるのかも、誰も把握できない状態でした。このため私は、自然と物資管理係になっていました。

5月になって100坪ほどの倉庫を借り、ようやく物資管理の体制が整いました。生協からのトラック部隊も到着して、輸送力も飛躍的に上がりました。6月には、倉庫の近くにマンションの部屋を借りて、全国から駆けつける支援者の宿泊所兼事務所も整い、定まった場所で寝泊まりできるようになりました。

ホームレス支援全国ネットワークとしては、「谷間」に置かれた人々への支援を目指したわけですが、当初はホームレス状態になった膨大な人々に、緊急物資を届ける活動となりました。

行政は、「均等・平等」が原則ですから、160人居る避難所なら全員に配れるよう160個揃ったものしか持っていけませんが、我々は、あるものを持ち込んで、分配は避難者の方々にお任せしました。

この頃は、必要とされるものが目まぐるしく変わります。当初は水・基礎食料ですが、次第に副食のバラエティを増やす素材や調味料が必要とされ、食事が足りてくると、着るものや衛生用品などの日常品に変わっていきました。

それでも、震災から1カ月経った時点で石巻のある精神病院に行くと、「あんたらが初めての支援者だ」と言われました。情報と物資が溢れている大きな避難所と、誰にも知られず何の支援もないまま放置された谷間の格差は、大きかったと思います。

余った物を大量に送りつける「支援」

夏に入ると、支援物資は豊富で、私はあり余る物資をどう捌くかを悩む状態になりました。一緒に活動していたフードバンクも企業から大量に送られてくる物資を抱えて、どう配って捌くかに頭を抱えていました。「シリアル8000食」といった単位でどっと物資が押し寄せてくるのです。

支援物資の配布は、被災者の必要よりも、送る側の都合に依るようになっていきました。倉庫に満載の支援物資を見て思ったのは、@日本は豊かである、Aしかしその豊かさは偏在している、Bやっぱり問題は分配なのだ、ということです。

ホームレスという貧困問題に向き合っていると、つくづく問題は分配なのだと痛感します。仕事も同じです。過労死するほどの仕事が押しつけられている一方で、いつまでたっても仕事が回っていかない労働者が増えています。

マスメディアが報道した避難所には、全国から物資と人が溢れるほど届き、それを観た周囲の避難所は、格差を見せつけられて不満を持つ。当初の「支援への感謝」が、「どうしてうちには来ないんだ」という不公平感に変わっていきました。「情報」が、支援の格差と被災者の不公平感を作り出したのです。マスメディアの恐さを見ました。

谷間を訪ねて

緊急事態が落ち着いた9月に、今後の支援の有り様について考えるために、再調査を始めました。避難所から仮設への入居もほぼ終わりましたが、仮設でも大きくて目立つ仮設とそうでない所との格差がありました。大量の物資と人が動員できる支援組織は、大きなところに入って「大きな成果」をあげようとします。私たちは「谷間」を探し、支援することにしました。小規模の仮設や、道路が崩落した先にある仮設住宅には、支援が届いていなかったからです。

細い道を選んで探したり、グーグルの衛星写真を見て、小さな集落がありそうなところを走って探しだし、飛び込みで事情を聞きました。みなさん「よう、こんな所まで来てくれた」と、歓迎してくれました。

もうひとつは、在宅の避難者です。地震や津波に遭いながらもかろうじて残った家は、近所の人たちの事実上の避難所にもなっていました。でも「自宅がある」ので、ほとんど公的支援は届いていません。

話を聞いてみると、元々買い物難民化していたり、障がい者や高齢者がいる家族であったり、地震での家の崩壊は免れたが、9月の大雨や台風で床上浸水したとか、大枠では被災者であり、社会的支援が必要な家庭でした。

 「ボランティアは帰れ!」

ボランティア団体は、活動を継続するために寄付を集めなければならないので、「これだけ多くの人にこんなに喜んでもらえました…」みたいな支援の戦果を競うかのような報告を目にします。しかし支援の評価軸は、配布した支援物資量ではなく、どれだけの人の生き方に寄り添えたか?だと思います。

仙台の若い民生委員から、「被災者が支援疲れしている」と聞いたことがあります。自分が望む物資でなくても、持ってこられたら「ありがとう」と言わなければならないし、行きたくもないイベントに動員されて疲れている、というわけです。ドイツの自動車メーカーの後援を受けた団体が、仮設住宅でバロック音楽を演奏したところ、おじいちゃんが3人しか集まらなくて、慌てて追加の聴き手が集められたそうです。みんな後で「民謡でもやってくれたら…」と言っていたそうです。

支援物資が地元の経済復興を邪魔している、という批判がこの頃から聞かれるようになりました。生活物資も含めて無料で支援物資が入るので、元々あった小さな商店は、商品が売れなくなる、という批判です。

人を助けたいと思ってしたのに、結果的にお互いが傷つけあってしまうことって、よくあると思います。「絆」のなかには「傷が含まれる」のです。そうした負の影響を考え、乗り越えたところに、本当の絆が生まれるのだと思います。支援を受ける側の視点を忘れてはならないし、彼(女)らの自尊心を傷つけるような押しつけ支援、ボランティア合戦は、間違っていると思います。

これは、ホームレス支援のなかで常に感じていたことです。野宿のおっちゃんたちは、「自分の力で生きている」というプライドがあります。そのプライドを尊重する態度がないかぎり、関係は築けません。

ホームレス体験

こうした態度や視点は、私自身の生い立ちや、ホームレス経験に依っていると思います。私の父親は、日雇い労働者です。その劣等感で、不登校も経験しています。仏教者になってからも、そのこととどう向き合うのか?が、大きなテーマでした。

福祉団体の臨時職員として働いていた頃、ホームレス状態の人を就労意欲のあるなしなどでランク付けしなければならなくなり、これは自分を不登校に追い込んだり、おやじを排除したりする社会の仕組みと同じだ、と耐えられなくなりました。

翌年、ほとんどの持ち物を処分。賃貸マンションも引き払い、路上生活を始めました。以前から知り合いだったTさんの横にテントを建てさせてもらい、弟子入りしました。Tさんは、自作の詩をダンボールに書いて気持ちを伝える詩人です。彼は「ホームレスは惨めで可哀想」というイメージで語られることを嫌っていましたし、詩でテント生活の自由さも表現していました。

3ヵ月間のホームレス経験は危険と隣り合わせで、襲われかけたり、眠れなかったりという経験もありましたが、同時に、彼らの人情や生き方、彼らなりのプライドも感じました。金が入ると、一緒に飲もうと誘ってくれる。互いに距離を保ちながら、集まりもします。

こうした触れ合いのなかで、関わり方も変わりました。自分の限界を認め、肩に力を入れず、できることをやる。そういうスタンスになりました。世間から白い目で見られる日雇い労働者や野宿は、自分自身の血であり肉体なので、支援する・されるというような感覚とは、そもそも違うのです。

 出会い系支援を

被災地支援のあり方に疑問も覚えたので、今年の5月に大阪に帰ることにしました。大阪でも野宿者は見えなくなりましたが、無縁社会を生きる人や生活困窮者・社会的困窮者は増えています。こうした人たちの見守り訪問をしたいと考えています。

被災地との繋がりとしては、地元の女性たちが、タオルやTシャツを材料にしたハンドクラフト製品を作っておられるので、その材料集めや販売に協力しています。

アメリカ中心の外資系の巨大企業が生産して余った大量の物資を困窮者に配るという「フードバンク」の現状に対しては、ちょっと違うなと思うので、生協などが取り扱う安全な自然食品を手みやげとして配りながら、茶飲み友達として関わるというイメージです。

奥田さんは「東北に行くのは、支援じゃなく、出会いを求めて行くのだ」と仰ってました。全く同感です。私が代表を務めている「支縁のまちサンガ大阪」は、縁結びを支えるという趣旨で、「出会い系」の支援を目指しています。

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