2012/10/16更新
10月1日、米海兵隊は、オスプレイの普天間飛行場配備を強行した。1日に岩国から計6機、2日に3機、6日に残りの3機が飛来して、配備予定の12機すべてが普天間飛行場に配備されたことになる。
普天間飛行場ゲート前で「オスプレイの沖縄配備拒否」の座り込み抗議行動を9月26日から続けているが、4日には、飛行訓練を開始した。伊江島補助飛行場や本島北部の北部訓練場、キャンプ・ハンセンなどを飛行した。在沖米海兵隊は、「試験飛行ではなく、スケジュールどおりの所定の訓練である」と回答している。
[9月26日]オスプレイ配備に反対する座り込みが、普天間飛行場の野嵩ゲート前で始まった。朝7時、「県民大会実行委員会」の呼びかけに応じて、県選出の国会議員や県内市町村長をはじめ、市民も入れて約300人が突入集会を開催。その後、市民団体が中心となり、夜8時までゲート前の座り込み行動が展開された。
[9月27日]朝7〜8時の抗議集会後、野嵩ゲート前に座り込んだ市民約100人が、米軍の提供区域内に入り、警察隊や基地警備員ともみ合いになる。オスプレイ配備に怒る市民たちは、ゲートに向かって行進するなどの抗議活動を展開し、スクラムを組んでゲート前に座り込み、ついに野嵩ゲートを封鎖した。その後、ゲート前に車両4台を並べ、封鎖を強化することに成功した。
[9月28日]朝7〜8時の野嵩ゲート前の抗議集会後、市民団体約130人が大山ゲートに移動し、9時すぎより大山ゲート前で座り込み行動を始めた。これに対して、沖縄県警の機動隊が、座り込みをごぼう抜きで強制排除。激しいもみ合いが続き、年配の女性が気絶して、救急車で搬送された。この他にも、機動隊との衝突で2人が肋骨にひびが入るなど、けが人が続出。
機動隊と衝突しながらも、「オスプレイを阻止するぞ!」と声を上げ、悲壮な決意で座り込み行動を続け、27日の野嵩ゲートに続き、ついに大山ゲートも封鎖することに成功した。しかし、接近中の台風の危険を避けるために、夕方6時半にいったん解散、大山ゲートを開放した。
[9月29日]台風が荒れる午後4時すぎ、市民団体は車両4台(その後、支援者の車両8台もかけつけ、計12台)で大山ゲート前を封鎖。同時に、佐真下ゲート前も車両2台で封鎖する。これで、普天間飛行場の主要3ゲートをすべて封鎖した。
[9月30日]主要ゲートをすべて封鎖され、基地機能は麻痺し始めた。加えて、10月1日にはオスプレイが普天間に飛来するため、米軍はゲートを封鎖する市民らの排除を、県警に強く要求。沖縄県警は、機動隊を大量増員して、暴力的な強制排除に乗り出した。
午後1時半、野嵩ゲート前に座り込んだ市民を、機動隊が包囲し、ごぼう抜きの強制排除を行った。車両の中に立てこもったメンバーは、「違法駐車」などを根拠に、レッカー車で排除された。こうして、大山ゲートは封鎖解除されてしまった。
県警はすぐに野嵩ゲートに移動。市民団体も野嵩ゲートに結集し、すぐさまゲート前に座り込む。座り込んだ市民団体は、県警責任者に「米軍の提供区域内での排除の法的根拠を示せ」と、強く抗議する。
夜7時すぎ、県警は「米軍からの要請があった」との理由で、強制排除に乗り出す。抗議者も車両の間に座り込むなどして、激しく抵抗する。暴力的な強制排除の中で、年配者を中心に5人が救急車で病院に運ばれた。さらに県警は、排除した市民らを機動隊バスの間に囲い込み、3時間以上も監禁状態にした。
その間、野嵩ゲート前に他の市民たちが集まり始め、「同じ県民として恥ずかしくないのか?!」との抗議をしたが、ゲートをふさいだ車両の排除が始まった。激しい抵抗を続ける市民から「沖縄を返せ」の歌声が上がる。怒号も飛び交い、騒然となった。夜11時半、最後の車両が排除され、野嵩ゲートも封鎖解除された。
森本防衛大臣や玄葉外務大臣らは、「日米政府はオスプレイ配備の安全策に合意した」と胸を張って語っていた(9月19日)が、10月4日の初飛行では、早くも「安全策」の化けの皮がはがれた。
オスプレイの飛行ルールをめぐる日米合意の核心は、@住宅密集地上空の飛行を避ける、Aヘリモードでの飛行は米軍施設内とする、との2点。ところが、オスプレイは連日、那覇市、浦添市、宜野湾市、中城村の学校や病院などの市街地上空をヘリモードで飛行している。
初飛行の1日、宜野湾市上大謝名地区でのオスプレイによる騒音が89・2デシベル(騒々しい工場内の騒音に匹敵)に達したことが判明。
4〜5日の飛行訓練では、名護市や金武町、宜野座村の学校周辺を飛行。名護市では、オスプレイ1機が米軍キャンプ・シュワブに着陸した際、国立沖縄工業高等専門学校のグラウンド上空を通過した騒音の影響で、一部の授業が中断した。
学校関係者は、「子どもたちが、『運動場にいたら墜落しても逃げられるが、教室に墜落したら逃げられない』と心配していた」と報告。県民の不安(墜落の恐怖)は、広がるばかりである。米軍は、県民をあざ笑うかのように「安全策」を無視し、好き勝手に本島上空での飛行訓練を繰り返している。
野田首相は「住民の生活に最大限の配慮を行うことが大前提」とコメントしたが、この現実を見れば、まっかな嘘で、その政治責任は重く、無責任な態度は許せない。
ゲート前で同じウチナー同士の市民と若い警察官が対決し、衝突を繰り返している時、ゲート内の安全な所にいる米兵は、その衝突をニヤニヤと笑って見ている。そうした米兵を見ると、本当に腹が立つ。
一体誰を守る警察なのか? 警察官は米軍のイヌか?日本政府はどこの国民の政府なのか?まさに日本は米国の「属国」である。この闘争を通じて、あらためて痛感した。
機動隊の暴力によって、市民12名がケガを負い、他の人たちも首や腰を痛め、腕には内出血のアザが残っている。
それにもめげず、1日早朝から大山ゲート前と野嵩ゲート前で抗議の座り込み行動に取り組んでいる。ゲート前を車で通る市民から激励や手振りが増えており、差し入れが届き、オスプレイ阻止の「力と心」が結集している。
オスプレイ配備の阻止はできなかったが、「オスプレイ配備阻止」から「オスプレイ配備撤回」へと闘いは着実につながり、進んでいる。今回の阻止闘争では、米軍普天間飛行場の主要3ゲートすべてを封鎖した。これは、沖縄復帰から40年の長い歴史の中でも、初めての実力行使による基地封鎖であった。
沖縄での基地運動は、日本政府への抗議表明の側面が強かった。しかし、今回は米軍基地そのものを標的とした点が、これまでの運動と異なる。「オスプレイ配備撤回」運動は、「全米軍基地閉鎖」に発展する可能性を秘めている。