2012/7/26更新
福島県から参加した武藤類子さんの発言を抜粋して紹介する。参加者の気持ちを代弁したスピーチに涙する人も多かった。(編集部)
3・11からの日々、福島原発事故に心を痛めた人々がやさしく支え合い、自分にできる何かを…と、数々の行動を起こしてきました。
今日、皆さんにお話ししたいのは、悲しみと困難の中で、本当に「よくやってきたね」ということです。
がっかりすることや驚きあきれることもたくさんありました。数々の分断は私たちをバラバラにしようとしました。暗闇の中で翻弄され、傷つき、混乱しながら、それでもつながり続け、最善を尽くしてきたと思うのです。
それが、この夏の公園にひろがる色とりどりの花もようです。官邸前の熱い金曜日です。日本中で展開される福島の子どもたちの保養プロジェクトや健康相談です。市民の力で建てられた放射能測定所です。さまざまな人々が立ち寄っていく経産省前テントです。いちはやくマンパワーを送り込んでくださった障がいを持つ人々を支えるネットワークです。被曝の中で行われた数々の除染実験です。見知らぬ土地での勇気をふりしぼった新しい生活です。福島の女たちの大飯原発弾丸ツアーです。1300人以上の市民による集団告訴です。電力会社を訴える数々の裁判です。政治に訴えるあらゆる取り組みです。情報開示や自治体へのたゆまぬ働きかけです。インターネットでまたたくまに拡がっていく小さな報道です。映画であり、音楽であり、書物です。各地で広がるユーモラスな福島の古い盆踊りです。
そして、今日、福島県二本松市からてくてくと歩いてやって来た人がいます。「灰の行進」の関さんです。彼は、6月、たった一人で東京に向かって歩き始めました。電気の道をたどりながら、放射能に汚染された庭の土を背中に背負って関さんは一歩一歩、歩いて来ました。明日、東電と経産省に「あなたがたが出したものを返しに来たよ」と渡しに行くのだそうです。暑い日も雨の日も歩くうちに、同行者が増え、今日は、どれくらいの人々とともに歩いて来られたのでしょうか。
わたしたちは、今日ここで、「ほんとうに、よくやってきたね」と自分をほめ、今、となりにいる人をほめましょう。そして、深く息を吐き、体をいたわりましょう。私たちの行動を支えてきた大切な体です。これ以上、自分自身をすりへらしてはいけません。明日をかしこく生きるために、ひそかにほほえみをたくわえましょう。
しかし、それでも福島の現状はあまりにも厳しいのです。4号機、甲状腺検査、再稼働、瓦礫問題、安全保障、廃墟と復興の間で、ひっそりと絶たれていく命たち…。
アメリカのジョアンナ・メイシーという人がかつて言いました。「絶望こそが希望である」と。福島原発事故という最悪の事態の中から、私たちはかすかな光をたぐり寄せ、今、青空のもとに集まっています。声なき声と共にあり、分断のワナにゆめゆめ落ち込むことなく、かしこくつながりあっていきましょう。
HOME┃社会┃原発問題┃反貧困┃編集一言┃政治┃海外┃情報┃投書┃コラム┃サイトについて┃リンク┃過去記事
人民新聞社 本社 〒552-0023 大阪市港区港晴3-3-18 2F