2012/6/19更新
野田首相が、大飯原発再稼働を強行する構えだ。昨年12月、世界の物笑いになった「事故収束宣言」を継ぐ愚行といえる。そもそも事故原発は、メルトダウンした燃料がどこにあるかも不明(1〜3号機)。4号機の使用済み核燃料プールはいつ崩壊しても不思議でない状態で、万が一崩壊すれば、「その被害は想像すらできない」と小出裕章さんは警告する。
再稼働が目前に迫った今、あらためて小出裕章さんに、@福島第1原発の現状、A原発事故1年を経た総括、B放射能無害化技術の現状、C脱原発運動、についてインタビューした。核災害によってあれほどの惨事を招きながら、まったく変わらない「原子力村」。彼らがいまだに支配を維持する政府に対し、「凄い国だと思う」とため息をついた。(文責・編集部)
京大原子炉実験所 小出裕章
──事故原子炉の状態は?
小出…1〜3号機は、核燃料棒がメルトダウンして、圧力容器を突き破り、下に落ちています。その先がどうなっているのか誰にもわかりません。見に行くこともできないし、知るための測定器も配置されていないので、全くわかりません。
私は、溶け落ちた燃料が、建て屋のコンクリートも破って地下水と接触しているかもしれない、と思っています。もしそうなら、高レベル放射能が地下水に流れ出てしまうので、建て屋の外側に深い壁を作ることを昨年5月から提案し続けています。残念ながら、東電は何もやっていないという状態です。
放射能を閉じこめる最後の防壁が、原子炉格納容器ですが、1〜3号機は、格納容器のどこかが壊れていることは確実です。核燃料被覆管の材料であるジルコニウムが水と反応してできた水素が、建て屋に漏れだして爆発したのですから、疑いようがありません。ただし、格納容器が完全に崩壊したわけではないので、まだまだ大量の放射能が、中に存在している状態です。
1〜3号機は、原子炉建て屋の最上部でクレーンなどを設置している通称「オペレーションルーム」が水素爆発で吹き飛んだわけですが、4号機は、その下の階も吹き飛びました。ここに使用済み核燃料貯蔵プールがあります。つまり、防護壁のない核燃料がむき出しのまま、崩れかけた建て屋の中に存在しているということです。4号機のプールの中にある放射性物質は、広島原爆の約5000発分です。
毎日のように起きている余震によって、万が一この壁が崩れ落ちるようなことが起これば、人が近づくこともできなくなり、手の施しようがなくなります。福島原発事故による放射能のこれまでの放出は、総量で広島原爆160発分と政府は発表しています。私は400発分くらいだと思っていますが、4号機のプールの中には、その10倍以上の放射性物質が、むき出しのまま存在しているのです。このプールがひっくり返れば、世界がどうなるのか、想像もできません。
東電もその危険性には気がついているので、補強工事を昨年やりました。鉄のつっかえ棒を入れて、コンクリートで固めるというものです。東電は、この補強工事で次の地震がきても大丈夫だと言っていますが、その下の床も破壊されているので、燃料プールは上図の右半分だけで支えているだけなのです。
そもそもこの工事カ所は、かなり放射能に汚染されていて、ゆっくり作業できる環境ではありません。どれほど信頼できる工事なのか、私は疑問です。
東電も心配なので、今年4月に使用済み燃料を安全な場所に移すための工事に取りかかりました。核燃料は、空気中に出た瞬間に周りの人がバタバタと死んでしまうくらいの放射線を発しています。このため、燃料棒の移動は、鉄と鉛でできた巨大な箱(キャスク)をプールの底に沈め、水中で核燃料をキャスクの中に入れ、蓋をしてキャスク全体を燃料プールから吊り上げる、という作業となります。
そのためにオペレーションルームに巨大なクレーンがあったわけですが、これが吹き飛んで使えないので、まず、このクレーンを支える強固な建物から新たに建造しないといけないのです。そこで、東電は今、壊れた建て屋を取り壊し、クレーンも撤去しています。まず、@古い建て屋を撤去し、A新たな建て屋とクレーンを建設し、B燃料の上に散乱している瓦礫を全て取り去って、初めて、使用済み核燃料の移動が可能となるのです。
この段階までくるのに、急いでも来年末くらいまでかかると、東電は言っています。この場所もかなりの汚染区域ですから、ゆっくり作業できる環境ではなく、それくらいはかかるでしょう。これからの事故の進展という意味では、4号機が一番心配です。
──この1年で何が変わったのか?
小出…あれほどの惨事を経験しながら、原子力政策も推進勢力も何も変わらなかった、というのが率直な感想です。故郷を追われた住民が10万人と言われています。住み慣れた場所を離れ、隣人・友人と離ればなれとなり、人生設計の土台を奪われたという重みを、どう考えればいいのでしょうか? 戦争でもこんなことは起こりません。
核災害に対する政府の対応は、猛烈な汚染地域の人を避難させただけでした。その周辺の(私から見れば)これまた猛烈な汚染地域の人々は、その地に捨て置かれたのです。「逃げたい人は、自分で逃げろ」という姿勢です。
極々一部の力のある人は、家族ごと逃げて新たな生活を始めました。さらに極一部の人は、子どもと母親だけ逃がして、自分は仕事のために汚染地帯に残りました。この人々だって、家族がバラバラになって家庭崩壊のリスクを負っています。
そして大部分の人は、逃げることができず、汚染地帯で子どもを育てています。親は、「こんな所で育てて良いのか? 泥まみれで遊ばせていいのか? 」と心配しながら生きています。その重さをどう考えていいのか私にはわかりません。
ところが原子力村は、何も変わらなかった。ここまでの惨事を目にしながら、今でも「原子力をやめたら、経済が弱ってしまう」などと言っています。私には信じられないことですが、彼らが政治・経済の中枢を握り続けていて、影響力を行使し続けているのです。全くすごい国だと思います。
野田首相なんて、迷うことなく再稼働に邁進しているわけです。残念ながら、今の政治の状況を見ていると、多分再稼働になるでしょう。菅首相なら、ひょっとしたら少し変わっていたのかもしれませんが、事故を経ても変わろうとしない原子力村の完全復活です。
──反原発の気持ちはあるが、様々な理由で実際に抗議行動などができない人たちに対してコメントを。
小出…反原発運動なんて、やっていただかなくても結構です。私が原発に反対してきたのは、差別に抵抗しているからです。原発は、都市と過疎地の差別の上に建ち、下請け労働者への差別なしに成立しません。私の現場は原子力 ですから、原発の差別性に反対しているのですが、差別は労働現場にもこの世界にも、山ほどあります。
そうした「差別」に抵抗することは、誰にでもきっとできるし、それをやってくれるのなら、反原発にも、全ての問題にもつながります。原発なんて放っておいてください。私がやります。自分が「どうしてもこれだけは譲れない」という、そのことに関してだけやってもらえればいいのです。それですら大変なことですから、余力の無い人はそれでいいのです。自分を責める必要はありません。
私は、3・11以降に放射能汚染をとにかくしっかり調べて公表し、責任のある者から汚染食物を食べるべきだ、という発言をしてきました。私にとってもジレンマはあり、測定をしてきちっと知らせたら結局、金持ちがきれいな食べ物を買い、貧乏人が汚染された物を食わされる、ということになると、私でも容易に想像がつきます。
ですから責任に応じて引き受けるしかない、と言っているのですが、実際にはそうならない可能性が高い。でもそ れで、貧乏人と金持ちの歴然とした差が、より明確になります。見えなければ立ち上がる力も沸かないので、可視化させるべきだと思います。
ただし、騙されないで欲しいことはあります。橋下市長などに対して、「今の酷い社会を変えてくれるかもしれない」と、期待をかける人がいますが、そんなことをしたら余計に悪くなるだけです。どんな社会を作りたいのか? を、1人ひとりがしっかり考えることなく、誰かに依存するなら、悪い方向へ行くと思います。
──「放射能の無害化技術」と、その現状について
小出…原子力発電はウランを核分裂させますが、核分裂させると、核分裂生成物ができてしまいます。元々ウランは、放射線を発する危険な物です。その危険なウランを核分裂させると、その途端に放射能の量が10億倍に増えます。 それだけの凄まじい力を人間は持ってしまったのです。
人間が核分裂の連鎖反応を使うようになったのは、1942年です。米国がマンハッタン計画という原爆製造計画を立ち上げ、物理学者が長崎原爆の材料であるプルトニウムの製造法を考えました。そして、プルトニウム製造には原子炉を動かすのが最も効率的、と結論しました。
皆さんは原発を「発電」のための装置だと思われているかも知れませんが、元々開発者は、発電などに興味はなく、プルトニウムを作るための手段だったのです。しかし、当初から「これをやると大変なことになる」ことはちゃんとわかっていましたので、1942年時点から無害 化の研究は始まっているのです。研究は続けられ、今年で70年になりますが、未だにできないのです。
できない理由は、主に2つあります。@作ってしまった核分裂生成物を消そうとすると、そのために莫大なエネルギーがかかる。もともと原子力発電は、エネルギーが欲しいから作った訳ですが、そのエネルギーを全部投入してもまだ足りないとなれば、意味がありません。いくらやってもダメなのです。
A先ほど「消す」と言いましたが、本当に消すことは できません。正確には、「消す」のではなく、寿命の長い放射性物質を寿命の短いものに変化させて、管理期間を短くしたい、という考え方です。ところが、ある寿命の長い放射性物質を寿命の短い放射性物質に変える作業をすると、放射性物質でなかったものが放射能になってしまったり、新たに寿命の長い放射能が生まれてしまったりする物理現象が同時に進行してしまうのです。日本でも「原子力研究開発機構」が研究を続けていますが、いくら実験を繰り返しても、この壁を突破できず、70年間 実現できずにきているのが現状です。
私たちの世代が原子力発電を始めました。これから先10〜20年くらいは続くかもしれません。でも、せいぜい何十年という時間しか原子力は使えません。ウランが枯渇するからです。
ところが、私たちの世代で生み出した放射能のごみは、100万年後まで子孫たちに押しつけられるのです。そんな行為に自分が荷担したということを、私は決して許せない。だから私は、自分たちの世代が生んだごみは、自分たちの世代の責任で無毒化したいと願っています。でも、たいへん申し訳ないことに、それは不可能なようです。
──WHOが汚染地域の推定 放射線量を発表しましたが、 妥当なのですか?
小出…正しくは私にはよくわかりません。ですが、本来ならあれはWHOではなく、日本が行うべきです。日本にもたくさん研究機関があります。日本政府でも安全委員会でもいいですが、きちっとした調査に基づいた数値を公表すべきです。原子力村の人たちがさぼっているのか、意図的に逃げているのか、能力がないのかわかりませんが、とにかく何もしない。だからWHOが発表したのですが、日本として恥じなければならない状況です。
WHOの推定がどこまで正しいかは、まだ判断できません。発表よりも多いだろうとは思いますが、どれだけ多いのかもわかりません。
理由は、事故初期の汚染データがないからです。それは今も隠されている可能性もありますし、あるいはこんな事故が起きることを、原子力 村の誰も思っていなかったがために対応が全くできなかったということもありえます。
どちらにせよ、全く何の対応もできないまま事故が進行してしまったというのが事実でしょう。当時の菅首相は、「自分のところに何の情報も来ないので、どうしていいかわからなかった」と言っていました。政府が政府の体をなさない状態だったわけです。
しかし、事故初期の汚染量に関しても、いろいろな情報やデータを積み上げることで、明らかにできるはずです。私自身もしっかりしたデータや情報をもっていないので、できません。しかし、WHO以外にも、国連科学委員会などもいずれ何かしらの数値を発表するでしょうし、そうなれば日本も何かしら発表せざるをえなくなるはずなので、そういうデータを順番に検証していく以外にないだろうと思います。