2012/5/30更新
「カフェ」が日本に定着して久しい。単純にお茶を飲むだけではなく、いろいろなコンセプトを持って誕生したカフェは、2000年代以降、様々な形で拡がりを見せ、もはや流行りだけでは片付けられない状況である。
カフェブームの火付け役となったフランス発の「哲学カフェ」のように、議論を行う場としてのカフェもあれば、オーガニック・フードを提供する店など、食材にこだわりを見せるカフェもある。さらに展示された絵や置いてある作品に特徴があったり、店主の個性や魅力でアピールするカフェもある。
とはいえ、「カフェ」という言葉が日本で有名になった契機は、「インターネットカフェ」の存在だろう。新自由主義経済によるシワ寄せの結果、家を失った人たちが宿泊した場所のひとつが「インターネットカフェ」であった。「ネットカフェ難民」と呼ばれる日本の貧困状況があらわになった舞台もまたカフェだったのだ。
いわゆる社会活動領域にも以前から、活動家たちの「たまり場」「居場所」的な居酒屋(東京・早稲田の「あかね」など)は存在していた。「カフェ」と名乗ることで、人々の居場所であり、交流の場所であることが、より連想しやすくなった側面はあるだろう。場合によってはカフェを開いた人の主張・思想が込められている場所と言ってもいい「憲法カフェ」や今回取り上げる「原発カフェ」など、テーマに応じた話題を取り上げるカフェも誕生してきている。
現在の若者が、いかなる居場所や交流を求めているか、さらにそこからどのように私たちがアクションを起こそうとしているか、を知る手掛かりとして、定期的に「カフェ」(ないしはカフェ的な居場所)を紹介していく。 (編集部・栗田) @ A
(以下一部略、全文は1448号を入手ください。購読申込・問合せはこちらまで。)
「カフェコモンズ」(大阪府高槻市) 高橋淳敏さんインタビュー
コモンズ大学を主催している渡邊太さんへのインタビュー(人民新聞1428号「居場所としての公共空間」)でも登場したカフェコモンズ(以下「コモンズ」)。JR摂津富田と阪急富田駅の間の交通の便利な場所に立地している。
若年層の仕事づくりや居場所作りを模索して設立されたコモンズは、設立から8年目を迎える。コモンズの現状と歴史、目指してきたことについて、ひきこもり支援事業のニュースタート事務局関西の代表で、コモンズの運営にも関わっている高橋淳敏さんに話を聞いた。
2001年からニュースタート関西に勤め始めました。現在は代表ですが、今もひきこもりをしている人の家庭訪問をしています。
「臨床心理」を専攻していたのですが、病名で人を分類する・されることが嫌だと思ってたんですね。ちょうどこの頃から、人格障がい(パーソナルディスオーダー)や社会への適応障がいなど、いろいろな 臨床心理に関する言葉がでてきた。おまけに臨床心理は、「限られた空間・時間」「決められた料金」など完璧に守られている場所でやる。一方、訪問活動はアウェイで、向こうも家に他人を踏み込ませる。双方危険な部分がありますけど、そこがいいと思ったんです。
家庭訪問のために住宅地に行きますが、公園で、定年退職後の高齢者がゲートボールやパターゴルフをしていますね。とにかく元気なんです(笑)。そんな高齢者を見ながら、若い人は、家にしか居場所がなかったり、ネットゲームしかやることがなかったり…この違いは何なのか? といつも思うんです。
僕は、「世代」の問題を結構重視しています。団塊の世代は、下の世代に頼ることも、向き合うこともなく、逃げ切ったと思ってます。だからまず、若い世代がどう生きるか、がずっと僕のテーマなんです。会社に就職することがゴールなのか、企業社会に馴染めることがゴールなのかと考えたときに、「違う」と感じました。
自分たちで仕事を作らないといけないと思って、「ワーカーズ」という団体を作って、仕事づくりを始めようとしていました。
01年に、中崎町にある「天人(アマント)」というカフェに通いだした影響が大きかっ たですね。
「天人」の店主は、古い民家を借りて、通りがかりの人を巻き込みながら、店番もやらせる。スピリチュアルなことにも関心がある、独特な店主さんでした。僕は、地域通貨のことを勉強させてもらう代わりに、一日店長を務める、という形で関わっていました。
その店は、他の客に振る舞いさえすれば、飲食物の持ち込みも可能で…とにかくいろいろな人が来ていましたね。
特にこの頃は、地域通貨が騒がれていて、NHKでも報道されたドキュメンタリーの『エンデの遺言』(※注)を見たり、勉強会をよくやっていました。
公民館は、予約がいっぱいで借りづらいし、会議室みたいなところで区切られてしまう。議論するでもなく、お茶を飲んでる人も巻き込めるかたちで勉強会を行いたかったんです。まだ自分でやりたいことが分かってるわけでもなく、人と出会いながら、自分のやりたいことを固める場所として、カフェはとてもいいとも思いました。
※注・『エンデの遺言─根源からお金を問う』…『モモ』や『ネバーエンディングストーリー』を書いたファンタジー作家であるミヒャエル・エンデが、NHKに企画・提案した番組。1999年に放送された。環境・貧困・戦争・精神の荒廃など、現代のさまざまな問題にお金の問題が絡んでいる、と指摘する内容)
ただし結局、地域通貨はほとんどがうまくいかなかったと思います。日曜日にちょっとした遊び程度なら、「円」を使わないで地域通貨でも遊べる。商店街ぐるみの地域通貨なら、映画を安く見られたり、ちょっとした買い物もできる。
ところが、ボランティアベースでやっていると、地域通過の管理まで手が回らない。事務ができなくなって駄目になった地域通貨もあります。
ただ、地域通貨に関心をもった人たちがコモンズに集まったことは、意味があります。まず「今の通貨に不満」を持っていたんですよね。例えば、労働を問題にしたときに、上司が悪いとか、その会社が悪いとかあるけれど、そもそも「お金がおかしい」という観点で考えてきたんです。
もう一つ、「通貨は人を選ばない」じゃないですが、通貨に関心を持つ人となった際に、本当にいろいろな背景を持っている人が集まってきたんですね。
だけど、地域通貨を使える前提はあって、手に職があったり、人と気軽にコミュニケーションできる人だった。友人や趣味があることが、条件になっていました。
このため、ひきこもりの人は、参加し辛かったんです。地域通貨でネットワークしたり、仕事を起こすために、人間関係を作るより、工場で黙々と仕事をするほうが、賃労働に入ることができる。現状の働き方や流通している貨幣の強さを、同時に感じました。
生田武志さんは、貧困に陥ってる人たちは、経済的な貧困以外にも友人や趣味がない「関係の貧困」を抱えている、と話されました。関係の貧困を抱えていると、地域通貨や起業することも、相当に難しいわけです。
「コモンズ」は、「LETSQ」という地域通貨団体に関わっていた人や、日本スローワーク協会の関係者、ニュースタートからもお金を出し、計1000万円でスタートしました。でも、規模が大きすぎると僕は思いました。
僕のイメージは、自分たちで仕事をつくり、家賃を払うためにまずは稼ぐ。最初に行ったカフェ「天人(アマント)」のイメージだったのですが、コモンズはそれより大きなものでした。
たとえば、ニュースタートでは、月2回ほどコモンズの近くのニュースタート事務局関西の共同生活寮のリビングを借りて「鍋の会」をやっています。カンパ制で、大学生・ひきこもり当事者・学生運動をやっていた人たちが集まってきています。10年以上続いています。コモンズもそういうイメージでした。
コモンズでは、勉強会や研究をしたいと思っていました。以前梅田の「太陽」というカフェで出会った渡邊太さん(1428号参照)と意気投合しました。彼は「大学の外で研究会をやりたい」という意図で、当時から「ややこし研」をやっていましたが、コモンズでやろうという話になり、「コモンズ大学」を開きました。
週に5日、ランチ時に店長をしていた地元の女性は、経営が上手くいって、現在は独立して、近所のパン屋さんをやっています。地域の人との関わりも、少しずつ生まれてきました。
とはいえ、コモンズの家賃等の固定費は月に20万。この捻出が大変です。「スローワーク」を謳い、最低賃金は払う原則ですが、お金のために夜も店を開いたりして、スローワークでなくなっていきました。ひきこもっていた人が居づらい場所にもなったり、という問題もありました。資産はどんどん目減りしていき、発起人も様々な理由でやめていき、厳しい状況が続きました。
そんな時にコモンズに光愛病院の精神保健福祉士の人が来ていて、「光愛病院の売店スペースをどうせどこかに貸すなら、コモンズに貸そう」という話が出て、光愛病院の入口で、スペースを構えました。それができたことで、今度はコモンズの福祉事業所としての利用が考えられるようになりました。
現在は、「障がい者自立支援法」に基づく「就労継続支援A型」事業として、火〜金曜日は精神障がい者の作業所として、月曜はニュースタート事務局関西の若者が、コモンズを開いてこれを運営し、働いてもいます。当座は仕方ないのですが、福祉制度を利用することで、僕が関心を持っていた仕事づくりは可能なのか? という疑問があります。
「福祉事業」を担うことで、結果的に家賃が少し軽くなったりしても、仕事づくりをどうするのか? と改めて思うのです。
手帳を取って生きていくということも、当事者の選択として尊重されてしかるべきです。だけど、企業も社会もそのままで、福祉に若者のエネルギーを取られる状態になっていたら、違和感があります。
ニュースタートの就労支援で「調理師」になった人がいます。彼が、こで生活できるようになればいいと思ってます。また、ひきこもり状態から起業を始めた人がいるのですが、その人は、「雇用はないけれど、仕事はある」と言うんです。地を這うような方法にはなっていくかと思うのですが、若い人たちが、ここで生活ができるようにすること。これが将来の展望です。そのためには、家賃を安くしたいし、不動産屋さんを巻き込んだりして、新しい展望を見出していきたいです。
下地真樹さん(阪南大学准教授)に聞く
震災から1年3カ月が経とうとしているが、震災の傷が癒える日はまだ遠い。原発事故の収束も見えない。しかしながら、関西電力の大飯原発が、再稼働に向けた手続きが着々と進み、放射能を含んだガレキを全国各地で処理するとの動きも進んでいる。再稼働とガレキ処理問題に関して、関西はホットな現場である。
とはいえ、真偽も怪しい情報が多く流れる中で、自分の意見を持つことは極めて難しい。自分の意見を整理するには、他者との会話が重要だが、原発や放射能については、会社ではもちろん、友人や家族の間ですら簡単に話しできる状況もない。
原発や放射能について情報交換や、会話ができる場所として、昨年春から大阪で「原発カフェ」が誕生したと聞いた。原発反対・再稼働ストップの抗議行動が続けられている関西電力本社前で、原発カフェの世話人である、阪南大学準教授の下地真樹さんと関電包囲抗議行動の関係者の方に話を伺った。(編集部・栗田)
――札幌や仙台でも原発カフェが開催されているようですが、大阪での様子を教えて下さい。
下地…新しい参加者がなかなか増えない頃もあったのですが、昨年12月に「子どもを連れていってもいいですか」という問い合わせがあって、子連れのお母さんが3人参加されました。その日が一番活気のある会になったと思いますし、これが「原発カフェ」の大きな転機となりました。
具体的な参加者をイメージし、ささいなことでも必要なサポートを考えて用意していくことが大事だと思います。
カフェ参加者の中には、放射能被災地から避難してきたお母さんもいて、みな一様に「関西の危機感が薄い」「放射能の危険性を共有できる、話せる場がない」とおっしゃっていたことが印象的です。放射能の危険性を語ること自体が過剰反応のように見られるという経験をされてきたのだと思います。
その後、大阪府下では放射能汚染がれきの受け入れ問題もあって、今年1月から2月にかけて放射能やがれき問題についての自主的な学習会を様々な方が同時多発的に開かれたと聞いています。原発カフェに参加してくれたお母さんが企画したものも3回ほどありました。
「目覚めた人がバリバリ運動やる」というのではなく、「ひとりひとりができる小さなことを一つずつやっていこう」という感じでした。
こうしたカフェの企画はどなたでもできるので、もっといろんな人が企画していくと、話せる場が増えていいと思います。
――最初はどのような形でスタートしましたか?
下地…ネットでも原発事故の状況や、放射能の情報はたくさん流れていました。様々な原発や放射能に関する講習会もありましたが、参加者自身が語り手になる集まりはあまりありませんでした。原発カフェを開く出発点としては、まず自分たちで情報や意見を発信していくことでした。「いろいろな意見があっても語れるようにしよう」「教えてもらうばかりではなく発信しよう」という試みでした。
多人数を集める講演会という形式ではなく、特に講師も定めず、みんなで話ができる雰囲気を作ろうと考えました。
最初に、1〜2人が話題提供者として、自分が選んだテーマで30分程度の話をします。これまで、内部被曝や、放射線被曝規制の歴史、原発市民投票などをテーマにしてきました。大学の演習で行われる学生の研究発表のようなものですね。報告をめぐっての質疑応答から、どんどんテーマを膨らませて、いろんな人に発言していただきました。
ちなみに第一回目は小出先生のDVDを観ることにしたのですが、既に皆さん観ていました(笑)。とにかく4〜6月は、実際に原発をどう止めるか? という作戦を議論していました。
――再稼働やガレキ処理という問題は、昨年春頃にはまだ出ていませんでしたね。
下地…夏に入って一旦休み、10〜12月と行いましたが、先ほどもお話しましたように直近のカフェが大きな転機でした。
ちなみに僕は大学で、公共経済学という授業をやっているのですが、投票のメカニズムやエネルギー政策や、ミクロ経済学的なデータ数値の経済学的な提示の仕方など、原発問題に物凄く重なってくるんですよね。授業では、原発カフェのことは積極的には話してませんが、1人の学生が、授業後、「原発のことをもっと知りたい」と質問に来たこともありました。
最後に関電前包囲行動の関係者の方から、お話を伺った。「関電前で、原発やエネルギー、放射能に関するパネル展示を行なっています。足を止めて話しこんでいく通行人、趣旨に共鳴するミュージシャンの演奏もありますし、ハンドマイクを使ったミニ講義の企画もありました。
意見・情報の交換、交流など、関電前がカフェのような状況になってきています」。
いきなり企業や国家に物申すのはハードルが高い。また自分にできることは何か? をじっくり考えたい時もある。水平な関係で話せる場所、率直な気持ちを言い合える関係のなかでこそ、自分の意見や方向性が生まれる。改めてカフェ(的な空間)の重要性を感じた。(栗田)