2012/4/7更新
3月14日、東村高江へのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設をめぐり、国が移設に反対する住民2人に通行妨害の禁止を求めた訴訟の判決で、那覇地裁(酒井良介裁判長)は、国側が主張する土地の所有権に基づく妨害予防請求権を認めた上で、2人のうち伊佐真次さんに対して「将来においても妨害行為をするおそれがある」として、通行を妨害しないよう命じた。一方、安次嶺現達さんに対する請求は棄却した。
国の基地施策に異論を唱える地元住民に対して、司法が将来にわたって妨害禁止を求める判断を示したことは、反対行動を萎縮させ、「表現の自由」の行使を奪う、とんでもない「不当判決」である。
住民側弁護団長の池宮城紀夫弁護士は、「極めて不当で承服できない。2人の行動はあくまで正当な抗議行動だ」として、控訴する方針。
弁護団は、国が住民を訴えた今回の訴訟について、「この裁判は米国で多く起こっているスラップ訴訟(市民参加に対する戦略的訴訟)というものだ」と批判してきた。
このスラップ訴訟は、訴えを起こすことで反対行動を萎縮させるような、萎縮効果を目的とした訴訟のことであり、国が高江の反対運動の萎縮効果を狙って訴訟を起こしたといえる。そこで、これまでの流れと裁判が始まった経過を、少し説明する。
★2008年12月、国(沖縄防衛局)は「座り込みは工事を妨害している」として、高江住民ら15名(この中に、実際現場にいない8歳の子ども含まれていた)を相手に「通行妨害禁止仮処分命令」を那覇地裁に申し立てる。
★09年12月11日、那覇地裁の決定がでる。住民ら14名(8歳の子どもについて猛抗議を受けると、国は取り下げた)のうち12名については却下されたが、共同代表の2名に関しては、「通行妨害があった」という決定が出される。
★09年12月14日、住民と弁護団は仮処分に不服があるため、那覇地裁に起訴命令を申し立てる。11月に新政権の誕生もあり、住民側はむしろ仮処分の取り消しを強く望んで申し立てをした。ところが…。
★10年1月29日、国は高江住民2名に対する通行妨害禁止の仮処分に関して、本訴訟を提起した。ここから今回の裁判が始まり、今度の判決となった。
沖縄戦で、旧日本軍沖縄守備隊の第32軍司令部は、米軍との決戦にそなえ、首里城一帯に地下壕を構築した。
「せっかく首里城に多くの観光客が訪れるのに、この32軍司令部壕の説明板がない」との指摘が、以前よりあった。
そこで県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会に説明文の検討を依頼。同委員会は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を、県に答申する。
ところが2月24日、県は『証言が分かれている』ことを理由に「慰安婦」の文言を削除し、さらに「スパイ視された沖縄住民の虐殺」の記述全てを削除した。
県は、検討委員会の答申内容を削除するという、前例のない方針を打ち出した。県の説明によると、説明文の記述内容をまとめた昨年11月22日以降、記述内容への批判(「慰安婦」「日本軍にスパイ視された住民が殺害された」との記述を「事実と反している」とし、削除を求める内容)が、メールや電話、ファクスなど82件寄せられたという。
こうした県の対応に対して、記述内容をまとめた委員らは「住民虐殺と慰安婦の存在は複数の目撃証言がある」「両論あるから削除するのは安易すぎる」と反発し、沖縄戦研究者からも「2点の表記は32軍司令部の本質を示すので重要だ」との意見が出る。
さらに、県は3月16日、第32軍司令部壕の説明板を外国語に翻訳する際、原文から「沖縄を『捨て石』にした」との文言を削除した。日本語の原文は「本土決戦を遅らせるため、沖縄を『捨て石』にした持久作戦」となっているが、翻訳の基になる日本語文は、県の要約で「本土決戦を遅らせるための持久作戦」に変えられた。
県は、「スペースの関係で要約する必要があった」と説明。しかし、「慰安婦」「住民虐殺」に続く削除に、文案を作成した検討委員会は、「沖縄戦の本質に対する定見がない」と、県の対応を批判している。
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