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2012/3/14更新

すべての子どもを「犯罪者」扱いするイスラエル

Salem-News.com  ジョン・ライアンズ(オーストラリア人ジャーナリスト)

軍事法廷の子どもたち

西岸地区オフェル刑務所付属の軍事法廷。月・火曜は「子どもの日」だ。年に数百人もの12歳以上のパレスチナ人の子どもが、イスラエル軍法で裁かれている。圧倒的に多い罪は投石で、100%有罪 となり、2週間から1カ月の服役、中には成人用刑務所へ収監される場合もある。


 ▲些細なことでパレスチナの子どもたちに銃を向けたり、逮捕することが日常化している

 今日の裁判では、3〜4人の子どもが被告席に立たされ、判決を言い渡すのにぎりぎり必要な1分間で処理されていた。被告席の50メートル後ろに、次の子どもたちが 待たされていた。

 子どもの権利擁護を目指す国連NGO=DCIは、「3分の1の子どもが、理解できないヘブライ語の書類に署名させられた」と推計する。

軍広報部は、説明役として軍人ガイドを私に付き添わせた。年長の子どもの写真撮影はよいが、年少者はダメ。手錠や足かせをはめられている子どもの写真は「絶対にダメ」と、ガイドに言われた。イスラエルのイメージを損なうか らだ。

 9・11以降、手かせ・足かせ姿のテロ容疑者の行列は見たことがあるが、子どものそんな情景は、イスラエル以外では見たことがない。

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軍事法廷はパレスチナへの抑圧システム

イギリスなど数カ国は、パレスチナ人の子どもに対する逮捕、尋問、拘留について、「非人道的」としてイスラエルを非難している。この軍事法廷を視察した英国議員サンドラ・オズボーンは、ブログで「今朝法廷で見た子どもたちにとって、唯一の慰めは、傍聴に来た家族の顔を見たことだけであった。何カ月ぶりの再会であったろう。この裁判は、子ども全体を犯罪者に 仕立て上げている」と書いた。

オーストラリアの弁護士ジェラルド・ホートンは、国際法の修士号をとるために勉強している時、西岸地区パレスチナ人服役者を支援する法律団体でボランティアとして働いた。

彼は逮捕状況について話してくれた。「子どもを縛り上げ、目隠しをして軍用車に放り込む。冷たい金属製の床の上に寝転がし、時には後頭部を軍靴で踏みつけ、床に顔を押し付ける。プラスチック手錠の場合は、皮膚に食い込んで出血している。このため、尋問センターの子どもたちは、殴打によるあざや傷がいっぱい。睡眠を奪われ、恐怖でノイローゼ寸前の子どももいる」。

 軍事法廷は、抑圧システムとして機能している。子どもの一群が投石で抵抗しても、子どもを特定できないことがある。そういう時、軍は、深夜にパレスチナ人村を急襲、5〜10人の子どもを痛めつけて、村全体をパニック状態にする、という。

 元イスラエル兵士たちが立ち上げた「沈黙を破る」というNPO団体がある。彼らは、現役時代に自分たちや他の兵士が行った事例を、700件以上発表している。

 元軍司令官イェフーダ・シャウルは、「いつも追跡されている、という感じをパレスチナ人に抱かせるのが、軍の目的だ」と説明する。軍は、パレスチナ人を逮捕し、 すぐに釈放することがある。逮捕理由も釈放理由も説明しない。「イスラエル協力者だから釈放されたのかもしれない」という疑念を抱かせるためだ。

西岸地区で11カ所のリハビリ・センターを運営して、軍の拘留による心の傷の治療を行っているファディア・サレハは、次のように語った。

「拘留で痛めつけられた子どもは、他人と交わらず、些細なことでカッとなり、悪夢に悩まされている。人への信頼感を失い、裏切りを恐れて友だちを作らない。しかも、同じパレスチナ人の中で不名誉な烙印を押される―親がわが子に、『あの子といっしょにいるところを見られたら、次はお前がイスラエル兵から狙われるよ』と言うのです」。

インティファーダと「スムード」(「粘り強さ」を意味するアラビア語で、パレスチナ人の非暴力抵抗を象徴する言葉)

モハンメド・アルナディ(ガザのパレスチナ人翻訳家) 

「生きる」ことは「抵抗する」ことだ

これを書きながら、第1次インティファーダの時、多くのアラブ人の心を揺り動かした革命歌「ウィーン・エル・マライーン」(何百万人の同胞は何処にいるのだ)を聞いている。この歌は、勇敢なパレスチナ人─イスラエルの殺人兵器の前に立ちはだかって投石し、イスラエル軍が投げた催涙ガス手榴弾を素手で掴んで投げ返したパレスチナ人たちを、ほろ苦く思い起こさせる歌だ。

あのインティファーダは、24年前に、イスラエルの西岸地区とガザ回廊の占領と、その後続いたパレスチナ住民に対する酷い抑圧の結果起きた住民蜂起だった。毎年12月8日になると、世界中のパ レスチナ人が、このパレスチナ人抵抗運動史の中でも特筆すべき蜂起を偲ぶのだ。それは、僕らパレスチナ人が最も誇りに思う歴史の1ページだ。それが、《抑圧と不正に対する粘り強く結束した抵抗精神》を象徴しているからだ。

僕が生まれたのは、そのインティファーダが始まって4日目なので、何も覚えていない。けれども、兄たちから話を聞いたので、たくさんのことを知っている。

僕の家族は、ガザ市の東アル・ザイトゥーンの住民で、他の町と同じようにいつもイスラエルの外出禁止令で束縛されていた。インティファーダが勃発した時、長男は20代。友人やいとこらと街頭へ 躍り出て、バリケードを築き、タイヤを燃やして、イスラエル軍用車の妨害をし、丸腰のパレスチナ人に実弾を発射するイスラエル兵に向かって、戦車の背後から投石をした。

 若者や子どもたちは、1日も休まずにイスラエル占領軍に抵抗した。全面的外出禁止令が出た時でも、「こっそりと通りへ出て、道路封鎖を作ったり、イスラエル非難のスプレー落書きをしたり、タイヤを燃やしたよ」と、兄は話してくれた。もし捕らえられたら、「イツハク・ラビンが指示したように、兵隊たちは岩と鉄棒を使って僕らの骨を砕くか、どこかへ連行して拷問にかける。たいていは二度と家へ帰れなくなる」。

兄は幸運にも頭部に弾丸を受けなかったが、足にゴム皮膜の鉄製弾丸を受け、その傷が今も生々しく残っている。

占領がある限りインティファーダは続く

僕が兄に、「完全武装したイスラエル兵に投石したって、何の効果もないのではないか?」と質問すると、兄は、「イスラエルの武器に比べたら、石ころは無と同じで、実際彼らに害を与えることはなかった。けれども僕らにはそ れしか手段がなかったし、それに僕らは、投石をパレスチナ人の『スムード』(「粘り強さ」を意味するアラビア語で、パレスチナ人の非暴抵抗を象徴する言葉)の象徴と見ていたのだ」と語った。

イスラエル兵は夜中に住民の家に乱入し、女子どもを怖がらせた。母親は、「あたしら母親は、子どもが兵隊に逮捕されるのではないかと恐れ、子どもが抵抗で使ったものを隠したものさ」と話してくれた。

パレスチナ人は、闘いの歴史の日付と生活とを結びつけて記憶する傾向がある。何しろ、闘いの事例こそが、その闘いを続ける励みと誇りの源泉であり、過去と現在と未来 のつながりを不朽にする手段なのだ。

文字の読み書きができない66歳になる僕の母親は、12人もいる子どもの誕生日を覚えていないが、僕の誕生日だけは覚えている。インティファーダと結びつけて覚えているからだ。

インティファーダは終わっていない。占領が続く限り、終わることはない。僕らパレスチナ人にとって、それは何十年にもわたる解放闘争、占領に対する抵抗運動の大切な生きた遺産なのだ。抵抗の文化─非暴力だろうが武装抵抗だろうが─こそが、僕らの存在の証だ。だから、インティファーダを続け、次の世代にも伝えていくのである。

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