2012/3/14更新
いまだ放射能汚染の収束のメドが付かない福島原発から1年を迎える3.11には、「脱/反原発」を訴えるデモが全国各地でおこなわれる。福島の人々の「避難する/できない」といった千々に乱れる思いや、原子力ムラの「再稼働」をめざす必死の巻き返しなど、「脱原発」への道のりは、決して平坦ではない。3.11に向けての様々な思いを、2名の方に寄せてもらった。(編集部)
塩見有生(さいなら原発尼崎住民の会賛同人)
2011年3月、東日本大震災が発生。フクシマがヒロシマ・ナガサキと共に核被災地として認識される原因となった原発人災が起こってしまいました。いや、起こしてしまったと言うべきでしょう。
「コンセントの奥に何が見えるか」と福島のお母さんが言われました。地方を差別し、利権にまみれた人間たちの言う「安全」を信じ切り、抵抗せず、私たちは繰り返してはならない核災害を起こしてしまいました。
地域住民は故郷を奪われ、 今後核被害者となる人も出てきます。自分ごとですが、私の0歳と2歳の子どもが影響を受けることがないだろうか、と心配に思いながら、私に何ができるのか、真剣に悩み考えることとなりました。
事故から約1カ月後、尼崎で反原発派といわれる研究者を招く企画があり、私は一実行委員として参加しました。終了後、「地域で原発に反対する運動を作ろう」という話 になり、「さいなら原発尼崎住民の会」を結成することにつながりました。
住民の会結成までに相談会を2回重ね、会の目的や活動内容、名前などについても、「想いのある方々と共に進みたい」という意図を、最大限打ち出してきました。こうして事故発生から半年後の9月11日、「原発に依存した社会から脱却する」ことを目的とした住民の会が誕生しました。
目的達成のための行動として「さようなら原発1000万人署名を集める」 ことが確認されました。署名集めを共同行動として、その他の活動は、「自主的に、連携して」を暗黙の了解として進めてきました。
会結成後は、@月1〜2回の街頭署名を軸に、A放射能ガレキや子どもの被曝を考える等をテーマとした講演会、Bお母さん方と原発や放射能について語る座談会、C自治体行政への質問状や御用学者の講演会を主催した市への抗議行動などの企画、さらにD街頭行動として、大阪・福井・ 東京でのデモへの参加を呼び掛けてきました。
街頭署名では、尼崎市民祭(11月)の会場や成人式(1月)など、「人の集まる所ならどこででも訴えよう!」と、いろんなところに行きました。
学校給食の問題に関しては、今まで運動経験のないお母さんが中心の「母親の会」が立ち上がり、頑張っておられます。「初めて街頭署名をした」、「マイクを持った」人も多く、中には映画会を企画された方もいます。「自主的に動こうという賛同人が、それぞれの立ち位置で頑張っている」―これが「尼崎住民の会」なのかなぁ、と感じています。
賛同人の皆さんと学習会やデモなどの情報共有を図る ために開設したメーリングリストでは、情報交換のみならず意見の交錯も多々ありますが、顔と顔を合わせる関係にある住民の会では特に問題になることもありません。「1人の100歩より100人の1歩」を歩もうとする人が増えていることを実感しています。
「さいなら原発尼崎住民の会」の仲間と共に、自分が暮らす地域で脱原発を訴えられるうれしさを感じながらも、焦りを感じているのも事実です。今、街頭署名で脱原発を訴えると、1時間に100筆程の署名が集まります。住民が自主的な行動に至るには、ビラを取る人が署名をする人となり、さらに署名を集める人となっていく。大雑把ですがそのような行動の変化があると感じています。
まずは関心を持ってもらうことから始まります。1000万人署名や講演会等を活用し、多くの人が自分で考え行動する社会を作る必要があります。
原発村の巻き返しが激しくなっています。彼らに対抗するには地域的な集まりこそが重要です。1000万人署名を集めきり、世間の原発に対する関心を更に高めていきたいと思っています。
滋賀 井上陽志
2006年、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場を取り上げた、ドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)が封切られ、各地で映画上映会や集会が催され、大きなうねりが作られました。
核燃政策と向き合わされる人々の営みや選択、葛藤を突きつけられ、私もその映画がきっかけで原発や核、エネルギーの問題に関わり始めたひとりですが、原発や核に関心を持つ若い人たちが増えました。ただ、さらに多くの人の手元に届けることはせず、遠ざけておきたい事柄で終わっ ていたのかもしれません。
そんな私は、東日本大震災による福島原発事故を見て、「あの時もっと行動していれば…。もっと強く言い続けていれば…」と、後悔と自責の念に囚われました。
事故発生直後、原発事故で避難した先で酷い仕打ちを受け、辛い思いをした子どもの話がラジオから流れてきました。配達中の車のハンドルを握りながら、悔しくて情けなくて、子どもが可哀想で涙が止まらず、大人としての責任と非力さを突きつけられた辛い出来事でした。
今、どう行動を起こそうか と迷い、躊躇している人に向けて、私の想いを発したいと思います。「未来の子どもたちのために脱原発を!」というスローガンを見かけますが、私は、他者や未来のためというより、「今を生きる自分が、どう生きるのか?」を掘り下げたいと思っています。
「未来の私」、もしくは近い 将来に私が通った道を通るであろう、まだ見ぬ人に背中を押されて、私は、私がまず変わり、新しい出会いを求めてゆこうと、動き始めました。
高度経済成長期に生まれ育った世代にとって、今ほど、命やつながりについて意識させられる時代はない、と思います。私自身も震災以降、身の回りの山、川、田畑、虫、花などに触れ合い見直す機会が増えました。それは、「自然の中で生かされる命ある仲 間と寄り添い、生きたい」という野性の本能が働いたのかもしれません。
原発廃止のための直接的な発信や行動が求められていることは言うまでもありませんが、放射能を出し続ける原発は、そもそも命や暮らしの現場と共存できないことを、日々のくらしの中で「私」と「あなた」の共通の課題として語り合いたいと思っています。
子どもは風の子、と言うように大人も自然の子であることを心の引き出しからからとり出して、反原発の風を強めてゆきたいと考えています。
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