2012/2/20(月)更新
栃木県が「県民の不安の払拭」のために設置した「放射線による健康影響に関する有識者会議」は、昨年から二度の会議を経て、今月11日、県民からの意見を聞く「広聴会」を開催した。参加したのは130人。3つの「市民団体」からの意見陳述と、それに対する「有識者会議」委員の回答、という形で広聴会は進められた。
先月、文科省の「放射能モニタリングの見直し」を受けて、「降下物測定」を止めていた県に対して、測定データは県民が生活の指標としていた大切なものであったことを伝え、測定再開の要望を提出した。県は驚くほどの真摯さをもって対応、2週間後には測定再開をした。これら、これまでの行政との交渉において、同じく放射能被害を受けている「住民同士として」の対話が可能と感じていたところだ。
そうした流れのなかで、11日の「広聴会」において私たち(の代表)が語ったのは、以下のようなものだった。
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「放射線の健康影響について、現在の科学的見地においては解明できていない部分があることについては、おそらく争いがないところかと考えています。有識者会議、もしくは委員の見解が異なる場合は、その点についても回答をおうかがいしたいとは思いますが、概ね争いがない場合は、その点については深入りせずに、安全の確保・安心の担保のためにはどうすればよいか、建設的な議論をお願いしたいと思います。
有識者会議の目的である【県民の健康不安を払拭】するためには、県と健康不安を抱く県民とのギャップを埋める必要があると考えます。
例えば、先日、私たちは環境保全課に放射性降下物の測定再開を求める要請を提出しました。その際、以下のような認識の違いがあることがわかりました。
文科省の委託事業である放射性降下物の測定は、正確な数値を報告することを事業の目的としています。そのため、検出限界値以下の数値は意味がありません。しかし、要請をした私たちは、県のホームページで公表される「ND」の表記は安心を担保するもので、セシウムが検出された場合は、人によっては、その後は子どもの外出を控えるなど、放射線防御の基準としていました。県の担当課も、私たちがデータをこのような形で利用していることは想定していなかったらしく、また、私たちも県が文科省に報告することを一次的な目的として考えているとは思ってもみませんでした。担当課とは1時間程意見交換をさせていただき、真摯な対応をしていただいたと受け止めています。
公的な機関が放射線防御について一定の基準を設けることは必要です。しかし、リスクの許容は最終的には、そのリスクを受ける本人が判断するものだと考えます。有識者会議の委員が、それぞれの専門的な立場と経験から一定の基準を定立し、現状のリスクの判断をすることは理解できます。しかし、それとは異なる基準に依拠する市民がいることも事実です。私たちは、この点についての是非を論争するつもりはありません。それはあまり生産的でないと考えるからです。異なる基準が存在することを前提に、安心を担保するための有効な方法を模索することがリスクコミュニケーションの課題として重要になると考えています」
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「リスクコミュニケーション」という単語を使用することになろうとは想像もしていなかったが、今私たちが必要としているのは、「敵を発見し闘う」ことではなく、リスクの受容に関する「合意」を作ることだ。「有識者会議」の中心メンバーは、相変わらず「今の状況には何一つ問題はない」を繰り返してはいるが、何度かのやりとりの中で、「被曝は少ないほうがよい」「安全な被曝はない」という「合意」が形成されている。次は、多くの人々の「不安」の原因となっている「わからないリスク」の問題を、「専門家」と「非専門家たる市民」が話しあうことで明確にしていくことだ。合意を形成する土壌を作ることが、今求められている。情報の充分な検証なしには行えない、この不慣れな作業をどこまでやりきれるのか。3・11以後、次々に展開していく新しい世界に、1年前の自分の細胞が、当然ながら全て入れ替わっていることを実感している。