2011/11/18(金)更新
中嶌哲演さんは、原発銀座と言われる小浜市若狭にある明通寺住職だ。40年にわたって反原発を訴え続けてきた。「一刻も早く原発を止めないと、若狭が次の原発事故被災地になるかもしれない」─そんな強い危機感とともに、民衆に寄りそう仏教者としての信念は、人の心を打つ。10月、京都・亀岡市で行った講演をまとめた。(文責・編集部)
原発設置反対小浜市民の会/明通寺住職 中嶌哲演
例えば火力発電は、大都市の海岸部に作られています。消費地と供給地が一しており、自給自足的といえます。しかし原発は、消費地である大都市から遠く離れた福島や若狭に作られています。
2009年度、若狭の原発11基から関西2府4県に送られた電力は、約620億`hでした。一方、原発が立地する美浜・小浜・大飯・高浜エリアの消費電力は、6億`hに過ぎません。100分の1です。電力供給と消費のギャップは、これほど大きいのです。このギャップこそ、原発が「安全ではない」ことを示しています。立地の時点で、原発の安全神話は崩れているのです。
電力会社は、40年間、「5重の防護壁」や「止める・冷やす・閉じ込める」ことによる安全神話を宣伝し続けてきました。しかし、彼らが絶対口にしないのは、閉じ込めておかねばならない物の正体です。
毎時100万`h発電できる原発が、トラブルなく1年間運転し続けると、原子炉の中に、広島原爆1000発分の死の灰と長崎原爆30発分のプルトニウムが貯まります。しかもこの「死の灰」は、無毒化の技術がいまだに確立されず、最終処分の目処すら立っていません。
処理できない死の灰を考えると、私たちの世代だけが恩恵として便利で豊かな社会を享受し、負の部分を後々の世代に残していっていいのか?という問題もあります。この事実こそが、原発を大都市周辺に建設できない最大の理由です。私は40年前、この事実を知って、原発反対を決意しました。
安全神話は、福島の事故によって崩壊したのではなく、40余年前、第1基目の原発が建設された時点で、原理的に安全神話は崩壊していたのです。
あとからくる者のために 坂村真民 あとからくる者のために 苦労をするのだ我慢をするのだ 田を耕し種を用意しておくのだ
あとからくる者のために 山を川を海をきれいにしておくのだ
ああ、あとからくる者のために みな、それぞれの力を続けるのだ
あとからあとから続いている 可愛い者たちのために 未来を受け継ぐ者たちのために みな夫々自分で出来る何かをしてゆくのだ |
この40年間に、福島や若狭などに原発は押し付けられ、累計45万人もの被曝労 働者を生み出し、原発大事故の災害弱者として、福島の30万人もの子どもたちに、今も「ヒバク」を強要しています。
災害が起こると、最も被害を受けやすく、逃げられない災害弱者が、必ず生まれます。福島の原発震災の最たる災害弱者は、子どもたちではないでしょうか?
すでに6〜7万人は避難したようですが、依然として20数万の子どもたちが、「放射線管理区域」と指定されなければならない汚染地域で暮らし続けています。チェルノブイリの経験に照らしてみても、5〜10年後に甲状腺癌や異常が多発しはしないか、深刻に心配しています。
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かつて敗戦末期の体制の不決断が、沖縄の犠牲の上に広島・長崎の悲劇まで招きました。日本の政府は、再び沖縄をふみにじり続け、「ヒロシマ」に相当する戦後最悪の破局的な原発事故を起こしました。
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関西電力は、「関西の電力は、55%が若狭の原発に依存しています」という、みなさんを脅迫するかのような宣伝を行っています。福島に人柱をうち立てながら、なおも「ナガサキ」に匹敵する若狭や六ケ所などでの大災害が、第2、第3のフクシマとして起こる可能性があります。もういいかげんに若狭の原発を止めようではありませんか。
最後に、若狭の原発反対運動のなかで紹介してきた、一編の詩を紹介します(上囲み)。
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