福井県越前市 山崎隆敏
「フクシマとともに9・11パレード」を福井市で開催しました。25年前、チェルノブイリ事故の直後、私は友人を誘い、同じコースで何度かデモをしています。あのときは、たった4〜5人でしたが、今回は約300名の仲間たちとともに歩くことができました。
チェルノブイリの事故の後も、日本でも脱原発を願う世論が高まりをみせていました。もしこの時期に、国民の声が真摯に政治に反映され、エネルギー政策の転換が図られていたなら、福島の悲劇は避けられていたかもしれません。
思い返せば、チェルノブイリのその後も、天からの警鐘は次々と鳴らされていました。20年前には、美浜2号炉で蒸気発生器の細管破断事故が起きています。チェルノブイリ一歩手前の事故でした。「チェルノブイリのような過酷事故は日本では絶対に起こりえない」と豪語していた国も、この後、「過酷事故は起こりうる」というようになりました。
16年前には、阪神・淡路大震災がおきました。「日本のは絶対に壊れない」と専門家たちが自慢していた高速道路や新幹線の高架橋が、たやすく壊れてしまいました。その映像を見た福井県民の多くが、もし敦賀・若狭で大地震が発生したら、原発は壊れ、放射能の雲がたちまち襲ってくるだろうと震撼したものです。また、阪神・淡路大震災の起きた同じ年の12月には、高速増殖炉もんじゅのナトリウム火災事故が起きています。このナトリウム火災事故も、国や動燃は、「絶対に起こりえない」と、事故が起きる前までは胸を張って言い切っていたのです。
そして4年前の新潟県の中越沖地震です。柏崎刈羽原発が直撃を受け、1〜7号機の全ての建物がゆがみ、7機全体で約3600カ所が損傷しました。これが最後の天からの警告だったのです。
敦賀で大地震の起こる確率が高いことは、多くの地震学者の指摘するところです。
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