[社会] 「色んなことを言っているけど、本当のことがよくわかんねぇよね」
──南相馬市小高区 黒沢よしこ(70才)
家のあった場所は海になってしまった
米作りの百姓だったという黒沢よしこさん(70才)は、3月15日から避難所生活を続けている。9人家族だったが、娘さんと夫が行方不明のままで、住んでいた家は津波で流され、立ち入り禁止区域に指定されたので、2人を探すこともできない。(編集部)
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私の家は、海の近くだったんで全部流されちゃったの。地震の時私は、たまたま車で街に買い物に出ていたので、津波に巻き込まれることはなかった。いったん家に帰ろうとしたんだけど、家の屋根やコンバインなんかを呑み込んだ津波がゴーって迫ってきて、80`のスピードで田んぼの中を逃げたんだ。すごい経験だったよ。
孫たちは学校で、娘夫婦とじいちゃん(夫)は会社に行ってた。翌日、じいちゃんの車は、津波に呑み込まれんで無事に見つかったんだけど、じいちゃんの行方は未だわかんねんだ。もう一人の娘は家で留守番をしてたんで、津波にさらわれたんじゃねぇかなぁ。家のあった場所は地盤が下がって、海になってしまったんで、探すこともできねんだ。
じいちゃんと娘以外の家族は、地震直後にあちこちに避難していて、7人が再会できたのは、この避難所に移ってきてからなんだ。みんな喜んだよ。
私がここにきた時、この避難所には24人しかいなかった。2週間くらいは風呂にも入れず、着の身着のままだったんだけど、まず、自分たちで炊き出しを始めた。近くの人が家に帰って釜を持ってきて、5回炊いて、「美味しいなぁ」と言いながら、温かいご飯を食べたんだ。今も、輪番で炊き出しは続けてる。やっぱり温かいご飯は美味しいもんね。
カネがなければどうしようもねぇ
そのうち、若い人はバスで地域外に避難して行った。残ったのは、歩けないとか事情がある人ばかりになってたよ。でも先週あたりから帰ってくる人が増えて、この避難所は、今150人位になってんじゃねぇかな。
今一番困ってんのは、農協や郵便局が閉まっていることだ。買い物に行っていて震災にあったんで、カネを持ってねぇし、掛けておいた保険の申請もできねぇ。避難しようにもできねぇんだよね。他所へ避難して、旅館で食べるものや寝る場所を用意されたとしても、カネがなければどうしようもねぇ。私らは、家も流されちゃったから、着の身着のままで何にも持ってねぇんだよね。
「原発は安全だ」と言われてたし、そう思ってきたけど、やっぱり、「絶対安全」なんてないんだね。自宅があった小高地区は、汚染が一番ひどい地区なんで、立ち入り禁止だし、そこにある物や土にも触っちゃいけねぇ、と言われてる。