[海外] エジプト/ムバラク退陣・タハリール広場からの報告
──阪口浩一(本紙特派員)
祝祭は未明まで続いた
ムバラクの退陣表明で、エジプトの民主化革命は大きな一歩を踏み出した。今後はエジプト一国に留まらず、アラブ世界全体の民主化へと拡大するのは必至の情勢だ。今回のエジプト「民主革命」は歴史に刻まれ、振り返ることになる。歴史的な一日を振り返ってみたい。(阪口)
ムバラクが居座り声明 「大統領官邸へデモを!」
2月10日午後11時(現地時刻)、ムバラク大統領が演説を行った。1月25日に民主化デモが始まってから、3回目のスピーチだ。その日の夕刻から様々な報道が乱れ飛び、後任には現副大統領のスレイマンが有力だったが、ムバラク退陣は濃厚と見られていた。デモ参加者の第一目標であるムバラク退陣が目前に迫り、タハリール広場は祝福ムードに包まれていた。
数日前から、まず独立系の労働組合が労働条件の抜本的改善を求めてデモに合流。続いて、エジプト全土で25ある政府公認の運輸系労働組合や教職員組合がゼネストを呼びかけ、デモ参加を表明した。
タハリール広場の一角に張られた白布に、ムバラクの姿が映し出された。スピーカーからの声は聞き取りにくくかったが、スマートフォンで演説に聞き入る者の廻りには、20〜30人の輪ができた。
しかし、演説が始まって10分と経たないうちに、ため息とともに静寂が打ち破られ、人々の感情は怒りへと変わった。礼儀正しいイスラム文化圏にあって最大の侮辱行為である、靴を手に取り振り回す若者たち。それが大きな波へと広がると、ムバラク退陣を求めるシュプレヒコールの合唱が沸き起こった。「大統領官邸へデモをかけるぞ!」「テレビ塔を占拠しよう!」との声も上がり始めた。
労組が次々とデモ合流 「何かが起こる!」
イスラム圏の休日であり、生活の支柱である金曜礼拝(ジュマ)。今回の民主化要求デモが始まって以降、ジュマを迎える毎にデモは膨らんでいった。
「ムバラク退陣濃厚」との報道前から、多くの労働組合が11日のジュマのデモ参加を大々的に呼びかけた。そこに10日のムバラク居座り声明を聞いた多数の人々の怒りが加わったのだ。2月11日金曜日のジュマ。通常なら、礼拝の終わる昼過ぎからタハリール広場の人々は増えていくのだが、この日は違った。多くの人々が前日から広場で夜を明かし、他の人々も朝早くからタハリールへ向かった。
抗議デモが始まって以来最大規模となる200万人を越える人々が早朝から広場に集まった。テレビ塔・大統領府にも数千人が詰めかけ、デモの勢いは日が落ちても変わらなかった。
大統領一家がカイロを離れ、「シナイ半島のシャラム・シェイクに移動した」とアル・アラビア放送が報道。広場では「ムバラク一家が国外逃亡を図るのでは」との憶測が流れた。運河の港町スエズでは、民主化要求派が10棟の政府機関を包囲。「ムバラク辞任まで立ち退かない」と表明した、と政府系日刊紙アル・アーラムが報道。
午後4時半過ぎ、エジプト国営テレビが、「まもなく大統領府から、緊急かつ重大な発表がある」と速報すると、大統領府に軍用ヘリコプター到着とのニュースも伝えられた。
タハリール広場から安宿のあるタウフケーヤ市場へと向かう途中にある、行きつけの喫茶店では、客が押し黙り、喰い入るようにテレビに釘付け。馴染み客数人に声をかけると、一様に「何かが起こる」との返答。喫茶店のテレビは、国営放送とアルジャジーラ放送とにせわしなく切り替えられていた。
アルジャジーラが、エジプト第2の港町アレキサンドリアにある大統領官邸に詰めかけるデモ隊と、押しとどめようとする警官隊の映像を放映した。さらに、シナイ半島北部のアル・アリーシュでは、デモ隊が警察署を襲撃。警官隊の応戦により、10数名が死亡、多数が負傷した、とのテロップを流す。
こうした報道をめぐって、喫茶店の客たちは、楽観派と悲観派に2分して激論を始めた。
悲観派は、退陣を再々度否定したムバラク大統領の演説を引き合いに、「軍がデモ鎮圧に乗り出すのでは」と観測する。楽観派は、デモの勢いを指摘して「軍事弾圧は不可能な地点まで来ている。ムバラクは権力を失い、海外亡命する」との意見を述べた。
「大統領府からの緊急発表はまだか」と、固唾を飲んでテレビを注視するなか、テレビは、大統領府のデモ隊や、エジプト各地でさらに勢いを増すデモ隊の模様を報じ続けていた。