[投書] 言わせて聞いて第1403号
戦争責任を棚上げにしたままの被害者感情は身勝手だ●愛知・藤原欽也
誤解を恐れずに言うが、日本は非常に被害者意識の強い国であると思う。昨年の尖閣諸島問題もそうであるが、その象徴が、昨今の犯罪被害者運動である。
特に、彼らの「殺人罪などの凶悪犯罪の時効廃止」の主張を聞いて、私は仰天してしまった。曰く、「被害者や遺族の感情は、年月とともに薄れるどころか強まる」「悪事や犯罪が年月が経てば許されるのはおかしい」というのである。
しかし、その時効によって、一番の恩恵を受けているのは日本国そのものである。被害者感情が薄れない、悪事が年月の経過によって許されない、と主張するならば、まず《大東亜戦争》の加害者として、中国や韓国などのアジア諸国に謝罪すべきだ。
それなしの犯罪被害者運動とは、ポピュリズムそのものであるし、単なる住民エゴ、被害者という、ある種、絶対的な位置を利用しての身勝手な行為であろう。まさか、「あれから60年以上も経ったじゃないか」と言うのであろうか。
新法の見直しは徹底せよ!●岐阜刑・北谷隆
今年は、新法(刑事施設法)が制定されてから、5年後の見直しに当たる。しかし、これまで新法の原則が守られていなかったせいもあり、獄中者は悪い夢ばかり見てきた。
例えば、新法の目玉の一つであった「外部交通の拡大」に対しては、その逆コースが露骨化している。「信書の発受は原則自由、決定の事由がある場合に不許可」とされていながら、具体性を欠いた「規律・秩序の維持」とか、人に「処遇困難者」のレッテルを張っておきながら、「矯正処遇の適正な実施に支障の生ずるおそれ」を持ち出し、外部への信書の発受や投稿活動を目の敵にしている。
特に岐阜刑は、昨年9月末以降より、面会の相手方である友人・知人との面会は原則不許可となり、教会のシスターが「面会できなくなったので、あきらめた」(麦の会)というぐらいで、「交友関係の維持」(面会目的)も絵に描いたモチ。
まして全国の刑事施設が新法に敵対している限り、こうした様々な非人間的扱いはなくならない。この機会に新法の見直しを徹底させたい。
刑務所医師による虐待を糾弾する●長崎刑・天道仁志
2007年3月1日、福岡刑務所の医務部で非常ベルが鳴った。医師・御木高志が、公的立場と権力を悪用し、恣意的感情の赴くままに、何の落ち度もない収容者を虐待するために、不必要な非常ベルを作動させたのだ。
他の施設(徳島刑務所を除く)では皆無の事例であるが、福刑では月に1回のペースで起きる事件である。御木を名指しする人権救済申立は、福岡県弁護士会に100件近くも寄せられ、弁護士会は、昨年8月30日の御木の「診察行為」が人格侵害にあたるとして、警告書を出した。
統括矯正処遇官・河内睦大が、御木の暴走を増長させている。高度な倫理が要求される国家公務員にあるまじき所業である。所長も、虐待の可能性を十分把握していながら放置している。
私は国を被告とし、国賠を提起した。同種の凶行に遭われた方の無念を晴らすために。同様の被害に遭われた方、当方まで御一報下さい(長崎県諫早市小川町1650)。