[社会] 「そもそも「教育」なんていかがわしい
小寺顕一さん(塾主宰)インタビュー
「私は、そもそも教育とは、いかがわしいものだと思っています」─大阪で塾を主宰する小寺顕一さんは、こう語る。教育を通して、私たち大人が子どもたちにどんな影響を与えていこうとするのか。小寺さんは、そうした教育の中身が問われることなしに教育問題が語られることの危うさを指摘する。
橋下知事の教育改革のポイントの1つであるエリート育成への批判を中心に、今の教育の実情について、小寺さんに語ってもらった。(文責 編集部・一ノ瀬)
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橋下知事は、「グローバル社会をリードする人材を育成する」と言っています。「エリートを育てて、何がしたいのか?」というところが、橋下知事には見えません。
まず問題にしたいのは、@何をもって「エリート」とするのか?Aエリートは学校で作られるものなのか?Bエリート育成が可能として、それは公教育でやるものなのか?─といった点です。
「大阪や日本を引っ張る人材」「強いリーダー」そのものへの批判は置いておくにしても、エリートやリーダーは、作ろうとして作れるものではありません。意図的に作られる「リーダー」の怖さがあります。
「リーダー」は、その時々の政治的・経済的な状況によって作られます。菅直人首相にしても、東京工業大学での教育が彼を首相にしたわけではありません。
スポーツ界では、よく「人材の層を厚くしないと勝てない」と言われます。1人のスター選手の陰で、同じ程度の力量を持つ多数の人間が控えているわけです。これはスポーツ以外にも言えることで、花形・エリートになれるのはほんの一握りで、その裏に「予備軍」として控えさせられている犠牲者がいるわけです。
橋下知事のやろうとしている方法では、エリートもリーダーも生まれないでしょう。そうした知事の狙いが外れることは、望ましいことです。
「ふん詰まり」の高校生活
大阪の土地柄は、昔から「実利主義」とでもいうのか、「安くて、いい学校を」という公立志向が強くありました。
市立高は商業・工業高などの実業的な学校、府立は普通科、という「分担」がされていました。昔は、高校と社会の結びつきが比較的あり、生徒の就職の斡旋なども、うまく機能していました。
しかし、今は仕事そのものがなく、社会とのつながりもありません。この問題は、大学・大学院を出ても仕事がない、大卒フリーター・就職難民問題として現れています。
今の高校は、97%という高い進学率です。「せめて高校ぐらいは」という風潮の中、進学以外の選択肢がない「ふん詰まり」状態のまま、高校へなだれ込んでいるのが実態です。
また、受験勉強で「燃え尽き」てしまって、入学後、伸び悩む生徒も多いのです。
高校での教育内容は、貧弱になってきています。それまで「ゆとり教育」「トータルな人格形成」を売りにしてきた私学が、大学への進学競争の中でたちゆかなくなり、受験路線への変更を余儀なくされています。
また、「中高大一貫教育」を行っている高校(※注)で、生徒たちは大学進学が保障されているにもかかわらず、受験勉強をやっていると聞いたことがあります。結局、学校が受験勉強以外のことを教えられなくなっているのです。
生徒数の減少などによる収入減で、もはや私学は大阪府からの補助金を頼りにせざるを得ない経営になっています。橋下知事は、「学校が特色・魅力を高め、生徒獲得で競争すれば、教育の質が向上する」と言っていますが、府の補助金減額によって、教職員数が減らされるなど、学校の経営が圧迫され、結果として教育の質が落ち、多様性が失われているのが現実です。
(※注)北陽中学・高校(大阪市)が関西大学と2008年に合併、摂陵中学・高校(茨木市)が09年度より早稲田大学の系属校になるなど、大学と提携し、「中高大一貫教育」で生き残りを賭ける私学が出てきている。