[海外] 国連脱植民地化50周年アルジェ国際会議
──SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表・平田伊都子
西サハラ民族自決権行使を目指して
スペインからの独立を願い結成されたボリサリオ解放戦線は、その後モロッコとの独立戦争を強いられた。スペインが同地を勝手にモロッコに譲り渡したからだ。現在も国際世論は、パレスチナと同様、西サハラの軍事占領を無視し続けている。
昨年11月には、モロッコ治安部隊が西サハラ被占領民の2万人抗議キャンプに突撃。ヘリコプターまで動員した攻撃で、死者16名、負傷者723名、行方不明159名が犠牲となった。
1397号に続き、平田さんに植民地からの解放を目指す「アルジェ国際会議」の様子を伝えてもらった。(編集部)
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2010年12月13日午前8時30分、北アフリカ、アルジェリアの首都アルジェにあるシェラトン・ホテル。そのロビーへ突然、ドドドッと日本人約30名の集団がなだれ込んできた。その真ん中に前原誠司外務大臣の姿があった。
「おはようございま〜す。日本人で〜す」と、筆者はおもわず大声をかけた。「ご苦労さん」と、大臣が答えた。
ご一行さまは、そのまま特別室に向かう秘密階段を駆け上って行く。ナンでそんなに慌てているのかなと、首を傾げながら筆者も一緒に走った。走りながら前原外務大臣に封書を渡した。「何これ?」と前原大臣、「後で読んでください」と筆者。
それは、「アフリカ最後の植民地・西サハラ紛争解決に向けて、日本で両当事者交渉の場を作ることを求める要望書」だった。要請者はSJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)である。
まずは難民キャンプへ
成田空港を出発して18時間後、アルジェリアの首都アルジェに12月10日午後7時に到着した。その日の夜11時に、アルジェから約2000キロ離れた、アルジェリア最西端の軍事基地チンドゥーフに飛ぶ。さらにその軍事基地から約50キロ、西サハラ難民亡命政府が回してくれたトヨタ・ランドクルーザーに揺られて暗闇のサハラ砂漠に入って行く。目的地の西サハラ難民キャンプに着いたのは、翌朝5時だった。
仮眠を取る間もなく、7時には薄明るくなった西サハラ難民亡命政府の日干しレンガ小屋群を撮影する。8時に友人のハトリがゲスト用食堂に案内してくれる。壊れた長机と簡易椅子、メニューは砂混じりの硬いパンと援助物資のチーズ。相変わらず殺風景で貧しい朝食だが、寒い冬の砂漠では、暖かいミルクとコーヒーが何よりのご馳走だ。
8時半には難民亡命政府が用意してくれたランドクルーザーで、4つある難民キャンプ群の内、一番ゲストハウスに近いスマラ難民キャンプに向かう。
1998年には、このスマラ難民キャンプで「国連西サハラ住民投票」に向けての投票人認定作業が行われていた。投票箱も投票用紙も用意され、プレスも難民もやっと「国連西サハラ住民投票」で西サハラ人自ら西サハラ独立かモロッコ帰属かを選べると、大いに盛り上がった。しかし、投票はなかった。なぜなら、西サハラを占領支配するモロッコが、国連の投票人認定基準ではモロッコに勝ち目がないと判断したからだ。
亡命政府大統領との会見
12月11日正午に、西サハラ難民亡命政府大統領アブド・ル・アジズから会いたいとの連絡を受けた。撮影を中断して大統領舎に向かう。
応接室には、アメリカの西サハラ支援団体が詰めかけていた。オバマ政権になってから、アメリカ人が西サハラ難民キャンプに頻繁に出入りしている。
以下、大統領とのインタヴューをQ(筆者)とA(大統領)の形で展開していく。
Q・大統領も12月13日と14日の「国連脱植民地化50周年会議」に出席されますか?
A・もちろん、チンドゥーフとアルジェ間のフライトを予約したところだ。
Q・会議のテーマは?
A・もちろん、アフリカ最後の植民地.西サハラだ。アフリカ最後の植民地が開放されるためには「国連西サハラ住民投票」以外にないということを、再認識する会議だ。
Q・西サハラ住民投票が速やかに行われないのは何故?
A・もちろん、モロッコが投票を拒否しているからだ。
「もちろん」と言う言葉は大統領の口癖だ。国連が提案し、占領国モロッコが呑み、国際社会が認めている「国連西サハラ住民投票」は当たり前の話であり、早急に実施されるべきものだという思いと焦りが、この「もちろん」という言葉に籠められている。
Q・日本にとって西サハラは地球の反対側にある遠い所なんですよ。
A・もちろん、承知している。しかし、西サハラには石油、天然ガス、ウランといった鉱物資源が眠っているんだ。それに日本人が大好きな魚が多数、悠悠と泳いでいる。現時点では国連が西サハラを未確定地域に指定していて漁業も採掘も禁じられているが、西サハラが独立したら、真っ先に、日本に声をかけるよ。
Q・「国連西サハラ住民投票」の可能性はあるのですか?
A・もちろん、11月8日にモロッコ占領地.西サハラで、西サハラ被占領民による2万人の抗議キャンプをモロッコ治安部隊が大弾圧し、活動家たちを虐殺したのを知っているだろう? あの事件以降、国際社会がモロッコ占領地.西サハラにおけるモロッコ占領当局の残虐で非人道的な行為を非難するようになった。そして、西サハラ問題を解決するには「国連西サハラ住民投票」以外にないということを認識し始めたんだ。