[コラム] きくちゆみ/農的暮らしは自由で刺激的
自然に依拠する生活は銀行貯金より安心
28歳まで、私は米銀の東京支店で債券トレーディングをしていた。10億円単位で国債を売買して、利ざやを稼ぐ仕事だ。当時はバブル絶頂期だったので、末端トレーダーの私も多額の給料をいただいていた。
その頃、休暇で訪れた中米のベリーズという小国で、熱帯林伐採の現場に出くわしたことがきっかけで、「熱帯林の自然保護区を作る」というプロジェクトに参画。そして「環境問題の解決をライフワークにする」と決意して米銀を辞めたのだが、その年の年収は確か1200万円ぐらいだった。
米銀を辞めてから今日まで、給料をもらったことはない。貯金と失業保険は、あっという間に始めたばかりの環境活動に消えた。しかし、今も私が生きていることは、本気で好きなことをやり続けていると、なんとかなること(もあること)の一つの証だ。私の場合は、環境活動を始めて間もなく、講演や原稿の依頼が入るようになり、収支が合うようになった。
最初、熱帯林の自然保護区を作るための資金は、OL時代のブランド品(服や鞄)など自分の不要品をガレージセールで販売することで作った。このことを友人・知人に伝えると、彼らの多くが不要品を寄付してくれた。やがて、私の「熱帯林を守るガレージセール」が全国紙に紹介され、全国から不要品や寄付金まで届くようになったのだ。
こうして、ベリーズの地に「モンキーベイ自然保護区」が、1990年4月22日のアースデイに誕生した。すると間もなく、環境問題について講演してほしいと依頼が来た。
初めての講演依頼は、あるロータリークラブからだった。自分よりずっと年上の男性たちを前に、「熱帯林は地球の肺で生物種の宝庫、これを守ることが生態系の頂点にいる人類の存続に不可欠」と訴えたときの緊張と、講演終了後、数名の方が駆けよって寄付を申し出てくれたときの喜びを、今でも忘れない。
あれから今日まで、聴衆のひとりが次の講演を依頼してくれる、という奇跡のようなことが20年も続いている。
現在私が興味を持って活動をしているテーマは、環境問題だけではなく、平和と戦争、アメリカの外交政策、9・11事件、自然療法、ローフード、自然エネルギーや適正技術(ロケットストーブやコンポストトイレ)、非暴力コミュニケーションと多岐にわたるが、講演依頼は途絶えたことがない。これは本当にありがたいこと。
就職しなくても生きていける
収入は、米銀時代に比べると微々たるものだ。今年9月11日までは『ZERO〜9・11の虚構』という映画の劇場上映に力を入れる予定だが、今のところ収入も「ゼロ」。それでも自由に旅をし、会いたい人に会い、学びたいことを学び、企画したいことをし、書きたいことを書き、依頼されれば講演や料理教室もし、自宅ではさまざまなワークショップを開催し、興味のあるテーマの通訳や翻訳をする、ということができている。
こんな自由な働き方が可能なのはご縁の方々のおかげだが、その根本には、《米と野菜さえ育てていれば、たとえお金がなくても生きて行ける》という自信があるからだ。つまり、なんとか「飯を食う」ことはできるので、自由に動ける。
私は完全に自営業で、誰のためにも働いていない。上司も部下もいないが、共通の目的を持つ少数の仲間が、テーマごとにいる。彼らの誰一人として、報酬が目的で集まった人はいない。私たちは無給でもベストを尽くすし、「やるべきこと」ではなく、「心からやりたいこと」をやっている。
マーケットは上がったり下がったり、経済は成長したり後退したりするが、私はあまり影響を受けていない。でも、天候と野生動物には影響される。今年のように、田植えの後に雨がずっと降らないと、分けつ(株別れ)が少なくなり、収穫が減る。
また、イノシシに一度入られてしまうと、繰り返しやってくるので、ほぼ稲が全滅してしまうこともある。数年前から電気柵を設置しているが、それでも今年は9割減。来年は別の対策が必要だ。
根本的な対策は、スギとヒノキの人工森を自然林に戻して、森にドングリがたっぷりあるようにすること。私たちは少しずつ畑と山の境界線に果樹や落葉広葉樹を植えているが、すぐに結果は出ないだろう。
それでも、このように自然に依拠して生きることは、私にとって銀行に貯金があるより安心だ。何より、毎日が楽しい。生きていけなくなるのは、気候変動や自然災害や戦争などで作物が育てられなくなったとき、大気と水と大地が化学物質や放射性物質で完全に汚染されてしまったときだ。これらを避け、持続可能な未来を創りたいので、いろいろやっている。
嬉しいのは、ここ数年我が家に遊びにきてくれた若者たちが、どんどん農的な暮らしを始めていることだ。ここに泊まりにくると、農的暮らしの豊かさと面白さが伝染する。休みはないし、作業は無限にあるが!
「な〜んだ、就職なんてしなくたって生きていけるじゃない」と、生き生きとその人らしい「半農半X」を始めた若者たち。そんな若いカップルに次々子どもが産まれていることも、大きな希望だ。
こうして私の周辺で起きていることだけを見ていると、「世界はどんどん良くなっている」と感じる。しかし、世界に目をやれば、対テロ戦争は続いているし、環境破壊も止まっていないので、私はやりたいことだらけだ。
「貧乏暇なし」は当面続きそうだが、少しずつ「豊かでゆったり」を目指したい。