[社会] 脱成長と食料・農村 「ローカル」と「連帯」に基づくラディカルな実践活動を
──北野収(獨協大学)
農的要素拡大し生活圏の自立を
脱成長・縮退型の社会を展望する際、「農」はもっとも重要なキーワードの一つとなるだろう。この「農」という概念は、食料生産産業としての農業、都市との対比によってイメージされる地理的空間としての農村(山村・漁村)としてだけではない。都市、農村を問わず、暮らしの中で農的要素を拡大していくことが重要である。ラトゥーシュの脱成長論においてもトランジションタウン(石油依存の大量消費型の暮らしから、市民の創意と工夫、地域の資源を活用した脱石油型社会への移行をめざす草の根運動)/パーマカルチャー運動(農業をはじめとした生活で、恒久的な持続可能性を追求するライフスタイル)、食料の地域内の自給など、生産と消費をとりまく生活圏の再ローカリゼーションが提案されている。
長引く不況、新自由主義政策の破綻、若者の就職難、格差社会の顕在化など、人々が成長、拡大といった展望を口にすることすら非現実的な時勢となった。そうしたなか、ある種の農業ブームのようなものが静かに進行している。農業ギャルなるものが一部で注目を集めている。食の安全性や自給率への危機感、産地表示や有機農産物への意識も高まっているかのようにみえる。田舎暮らしという名の農山村への再定住が注目を浴びている。
1980年代のバブル全盛期、メディアとタレント知識人が一体になったあの一大農業バッシングを記憶する世代としては、隔世の感がある。しかし、こうしたトレンドが直ちに、脱成長・縮退型の社会への精神的な基盤へとつながると考えるのは、短絡的である。
生産力主義追求し続けた農業政策
ちまたには、農法のいかんを問わず「すべての農業は自然を守る営みだ」という単純すぎる言説が散見される。とりわけ、政府が発信する情報とその周辺において耳にする。耳を傾けるべきメッセージも含まれてはいるが、私たちはこうした官製言説を注意深く、批判的に検証し、その背後にある事柄を見極めなければならない。
戦後の日本は、典型的な開発国家であった。開発国家では、経済成長を国家の至上命題として、国内のあらゆる社会経済の仕組みが構築・動員される。メディア、教育といった分野も例外ではない。開発国家=日本株式会社の牽引役は、言うまでもなく、重化学工業であり、輸出産業であった。この構図のなかで、農業や農村地域はどのような位置を占めていたのだろうか。
一つの見方は、多くの心ある識者が指摘するように、成長という名の下に、切り捨て、排除され、周辺化されてきた存在としての農業であり、農村地域である。その一方で、農業界も官民一丸となって生産力主義を信奉し、成長の夢を追い求めたことも、忘れてはならない。この構図は、冷戦下の日米通商関係という特殊地政学的な枠組みのなかで形成された。
1962年から1999年まで存在した旧農業基本法に基づく基本法農政、そのバリエーションとしての1970年代の総合農政やそれに続く地域農政、さらには1990年代の新政策ですら、開発国家日本における周辺化された領域という政策的位置づけを甘受しつつ、その枠組みのなかで、生産力主義を追求し続けるという根本的矛盾を抱えていた。
この生産力主義というイデオロギーを形成していたのは、何も族議員や官僚、地方議会や自治体職員、農協だけではなかった。研究者としての大学人だけでなく、業界各分野への構造的な人材供給源として機能していた農学その他の分野での高等教育研究の営み、そして消費者のメンタリティのすべてが、強固なメタ・インフラストラクチャーとして機能した。コメ偏重、海外輸入との相補性、そして構造改善という名の公共事業の利権化といった、奇形的な展開を遂げてきたのが、戦後日本の農政であり、地域政策・食料政策であった。