[海外] アメリカ/ナヴァホ先住民族への環境・生活破壊を繰り返させるな
──のり・たま農園 玉山ともよ
米・ウラン鉱山開発の問題点
10月16〜17日、同志社大学・新町キャンパスにて「低炭素社会を問う!」というテーマで、エントロピー学会・シンポジウムが開催された。翌週には参院会館内において「ICBUWウラン兵器禁止を求める国際連合」の振津かつみ医師の呼びかけで、院内集会も開催された。本稿では、両会合のゲスト講師としてアメリカ合衆国ニューメキシコ州より招かれたクリス・シューイ氏(サウスウエスト研究情報センター)の発表をもとに、ウラン鉱山開発の問題を報告する。(筆者)
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彼は、アメリカ南西部に横たわるナヴァホ先住民族保留地のウラン鉱山開発について、市民サイドから研究・啓発を、20年以上行ってきた。当初は「マイン・ウォッチ」という冊子を通じてジャーナリスト的な啓発活動を行っていたが、公衆衛生学の修士号取得を契機に専門的な助言・提言活動を行うようになり、現在は、ウランによる環境影響評価プログラム・ディレクターである。
特に、ナヴァホ保留地南東部のチャーチロック地区とクラウンポイント地区のウラン鉱山開発問題に、深く関わっている。この両地区は、いずれもテキサスに本部を置くHRI(水資源梶jの100%子会社であるURI(ウラン資源梶jによって、ISL工法(インシィチュリーチ工法、現位置抽出法とも呼ばれる)によるウラン鉱山再開発が進められようとしている。伊藤忠商事がこのプロジェクトに投資していたが、撤退した。
まず、このプロジェクトに触れる前に、同地域のウラン鉱山開発の歴史について概観する。
アメリカ南西部のウラン鉱山開発は、広島・長崎への原爆開発に代表される核兵器用に発展してきた。1940〜60年代に、アリゾナ州からニューメキシコ州にわたる「グランツミネラルベルト」と呼ばれる天然ウラン鉱山が開発され、当時世界最大を誇る露天掘り鉱山=ジャックパイル鉱山をはじめ、ウラン鉱山開発ラッシュが起こった。
ニューメキシコ州のグランツ市は、ウランブームによって建設された町で、市外からの労働者を受け入れ、発展していった。ところが、80年代後半にウラン価格が暴落し、閉山が相次ぐと、町も急速に活気を失い、現在では高い失業率にあえぐ町となっている。
90年代前半には、アメリカのウラン鉱山産業は、ほぼ操業停止状態になり、町には、ウラン鉱山跡、精錬所跡、そしてそれら施設より出された廃棄物が、後処理の施されないまま大量に残された。
現在も、1100ヵ所以上の未処理のウラン鉱山廃棄物跡がナヴァホ保留地内にあり、グランツミネラルベルト内にも、環境修復措置がされていない「低レベル放射能」垂れ流しの場所があちこちにある。
また「環境修復」といっても、実は露天掘り採掘場を埋め戻して、数十センチ土盛りをしただけで、風が吹くと砂塵が舞い、ウランが地下水に滲みだしている可能性も否定できない。
一部に立入禁止フェンスはあるが、野生動物は行き来自由で、周辺に住んでいる人々も多数いる。そんな日常生活圏内にウラン残土の捨て場があり、牛馬・羊など家畜の水飲み場である川と直結している。重金属でもあるウランが家畜に生物濃縮され、それを人が食べることで、放射能汚染が拡大してきたのである。
この地域にはナヴァホというアメリカ最大の先住民保留地があり、その近隣にズニ、アコマ、ラグナといったプエブロ系の先住民族保留地があった。彼らはウラン鉱山で働き、家族も含め多大な被害を被ってきた。
彼らに対し1990年に一律10万ドルの補償金を支払う制度ができたが、出生証明書がない、結婚証明書がない、あるいは英語での煩雑な手続きなどによって、申請は困難だった。
人種や民族によって享受できる環境に格差のあることを、「環境不正義」あるいは「環境レイシズム」という。この地域の先住民族がウラン鉱山開発の大きな負の遺産を受けたため、2005年、ナヴァホ先住民族政府は、保留地内での一切のウラン産業を禁止する「先住民法」を制定した。