[海外] イスラエル/日常化する身分証差別
──ガリコ 美恵子
ユダヤ教徒か否か
「イスラエルはユダヤ教徒の国だ」―ユダヤ教徒は口をそろえて言う。初対面のイスラエル人は、必ず私に「ユダヤ教徒か?」と聞く─「いいえ」と返すと、「なぜ改宗しないのか」と聞いてくる。
イスラエルの法律は、18歳以上の者に対し身分証の常時携帯を義務づけている。警察官は常に身分証の提示を要求し、持参していないと罰金だ。身分証には、ユダヤ教徒か否かが明記され、ユダヤ教徒は「ユダヤ人」、イスラム教徒やキリスト教徒は、星が7つか8つ並んでいる。イスラエルでは、仏教は宗教ではなく、フィロソフィー(哲学)なんだそうだ。ちなみに、私の宗教欄には「日本人」と記されている。
道を歩くと、軍警察に身分証のチェックを受ける。ユダヤ教徒に見えないので、違法労働者の疑いをかけるのだ。アラブ人は、より頻繁にチェックを受ける。エルサレムの旧市街では、常時数ヵ所で軍警察が道行くアラブ人を呼び止め、身分証をチェックしている。私は週一から月一位の頻度だが、アラブ人はほとんど毎日だ。人相や服装によっては、日に5〜6回もチェックされる。
先週、友人のアラブ人が道を歩いていて、警察に呼び止められたという。彼はビル建設作業員で、服はセメントで汚れていた。その作業服を見て警察官は、「ガザからの侵入者」という疑いをかけた。身分証を示したが、偽造の疑いをかけられ、署まで連行された。
6時間にわたる尋問を受け、彼の村への問い合わせ、コンピューターの記録照合等の結果、身分証は本物であることがわかり、解放された。警察の謝罪は一切なく、家に帰り着いたのは朝の5時だったそうである。
アラブ顔でもユダヤ教徒ならパス
私の亡夫は、モロッコ系ユダヤ教徒だ。彫りの深い典型的なアラブ人の顔をしていた。ある日、娘がアメリカの友人を訪ねて一人旅をすることになった。私たちは、空港まで車で見送りに行った。運転していたのは夫の弟で、これまた彫りの深いアラブ顔。助手席には夫、後部座席には私と娘。
空港入り口のセキュリティチェックで、私たちの車を止めた兵士は、前部座席の顔つきを見て、身分証の提示を求めた。私と娘だけの場合、身分証を要求されたことがない。夫は、何気なくポケットの身分証を兵士に手渡した。
兵士の目線はまっすぐ、星があるべき部分に注がれたが、そこには「ユダヤ教徒」と記されていた。兵士は息を呑み、「ありがとう」と言いながら身分証を返した。アラブ系ユダヤ教徒は、自分たちがアラブ民族だと気付いていないかのようだ。そんなことは学校で習わない。身分証をチェックされたのは、アラブ人の顔をしているからだ、とは亡夫は思っていなかったはずである。