[政治] スティグリッツ委員会 国民の「豊かさ」と「幸福」を測る新たな指標作りとその意義
──インタビュー 京都大学大学院経済学研究科教授・諸富徹さん
GDPに代わる新たな経済指標
GDP偏重の経済成長の見方に対する動きが生まれている。先進国ではGDPの大幅な成長は望めなくなり、。GDPの成長が私たちの生活の「豊かさ」にはつながっていないことが明瞭になっている。こうした中、GDPに代わる新たな経済指標作りへの関心が高まっている。この指標作りを行っているのが「スティグリッツ委員会」である。同委員会と新指標の意義について、財政学・環境経済学が専門で、動向に詳しい諸富徹先生にお話しを伺った。(編集部・渡邊)
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―― スティグリッツ委員会とは?
諸富…「スティグリッツ委員会」は、フランスのサルコジ大統領の諮問を受け発足した「経済パフォーマンスと社会進歩の測定に関する委員会」だ。委員会が昨年9月に発表した報告には、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツやアマルティア・センも関わっている。
委員会は「持続可能性指標」の開発を行い、国連・OECD・EU等の国際機関でも同様の研究が進められつつある。環境を犠牲に経済成長をしても、社会が発展したとは言えない。持続可能な経済成長を「幸福度」という観点から評価するのが、「持続可能性指標」だ。
―― サルコジ大統領は経済の新自由主義者というイメージが強く、彼が新たな指標作りに関わったことは意外な印象だが?
諸富…サルコジは、フランスのGDPが低く見られたことが不満であり、フランスは豊かな国だと強調したい意図があったようだ。確かにサルコジは右派だが、閣僚に左派を登用してもいる。左派的な政策が生きているフランスの歴史的背景もあるのだろう。
―― 新たな経済成長指標作りに関心が高まっているのは何故か?
諸富…GDPの増加という経済成長が、必ずしも国民の幸福の増進に繋がっていないことが明らかになって来たからだ。近年の「反貧困運動」との関わりもあるだろう。
内閣府の『平成20年版国民経済生活白書』での「生活満足度」調査でも、所得上昇は国民の幸福度の上昇に繋がっていない。これは他の先進国においても、同様の現象として見られる。国民の満足度には、所得や資産だけでなく、対人関係やストレスなど非経済的な要因があることが示唆されている。
―― GDP以外の経済指標では、既にHDI(Human Development Index 人間開発指数)やGNH(Gross National Happiness 国民総幸福量)が知名度を得ているが?
諸富…HDIは1990年から国連開発計画が毎年発表しており、経済成長の中で人間という要素に注目した点は評価できるが、現在では単なる指標になってしまった感がある。先日11月4日の発表で日本は11位と評価されたが、その結果が国の経済政策に反映されるわけではない。
GNHはブータンで1970年代から提唱された概念であり、委員会はそれを具体化する指標作りを進めていると位置づけられる。
―― 指標はどのような内容を持つのか?
諸富…委員会は、指標作りの課題を挙げている。1つは、人々の「主観的幸福度」を測る指標を開発すること。「主観的幸福度」は、その人の生き方についての自己評価である。つまり、満足や、楽しみ、誇りといった肯定的な感情や、痛みや不安などの否定的な感情を評価し、その人の幸福度を総合的に評価できる指標が開発されるべきとしている。これについては、既に信頼できるデータを集めることは可能だという。
―― 経済指標作りには主観的評価だけではなく、客観的な要素が不可欠では?
諸富…それが委員会が掲げる第2の課題で、人々の幸福を左右する客観的な環境条件を定量的に評価することが重要だとしている。委員会は、人間の主観的評価には客観的な諸条件も影響を与え、その因果関係を明確にしたいと考えている。そこで委員会は、次の要素が幸福度を左右する客観的環境条件として抽出できるとしている。
@物的な生活水準(所得、消費、そして富)、A健康、B教育、C仕事を含めた個人的な活動、D政治的発言権とガバナンス、E社会的つながりと社会関係、F環境(現在、および将来の状態)、G不安(経済だけでなく、物理的自然に関するものを含む)
社会関係という、いわば人間関係や共同体をどう定量的に評価するか?だが、地域住民のNGOやNPOへの参与、地域社会での活動と承認、そうした市民生活・社会への参加・社会的な活動は、市場経済の動きに抵抗しうる「社会の層の厚み」として測られると、委員会は考えている。現状では心理学的・政治学的なアプローチが中心だが、こうした概念は「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」と呼ばれ、行動経済学の発展のように、経済学が担う分野も拡がっている。
当然、所得分配の公平性という点も考慮されている。しかし、単純に富を分配すれば良い訳ではない。これはセンの考え方の影響が大きく、分配された富をいかに有効に使うかという点が強調されている。富を分配された個人が、それをどのように用い、どのように自分の潜在能力を伸ばし、幸福を実現させていくのかが期待されている。「人間の成長」という、経済的側面だけでは測れない、人間科学的な観点が持たれていることが特徴だ。
すなわち、この新しい指標作りは、かつての「福祉国家」における富の分配・福祉を充実させる・社会保障を充実させる等々への単なる揺り戻しではない。