[コラム] 迫共/育休は仕事をサボることではない
「イクメン」首長への批判は正当か
男性首長による育児休業取得が話題を呼んでいる。成澤廣修・東京都文京区長をはじめ、湯崎英彦・広島県知事や倉田哲郎・大阪府箕面市長が続々と「イクメン」知事の名乗りをあげる一方、批判的な意見も表面化している。
橋下徹・大阪府知事は、「休もうと思っても休めないのが、今の日本の現状だ。世間を知らなすぎる」と批判。高橋はるみ・北海道知事も、「知事には24時間、道民の生命、安全を守る責務があり、そもそも育休、休暇という概念はない」と言う。
確かに、万一の事態に対する危機管理を考えると、不安も分からなくはない。しかし、「イクメン」首長らは、万一の事態にも公務より育児を優先する、などと言っている訳ではない。勇み足での批判の裏には、「一般市民を差し置いて育給なんて」という、有権者の嫉妬羨望を焚きつける意図があるように感じられる。
批判に耳を傾けるとしても、育児を妻に任せきりにしてきた首長や政治家が、現場感覚を持たずに児童福祉に関する政策を決定しているとすれば、そんなものが信頼に足るだろうか。保育園への送り迎えも、家庭での育児に参加した経験もないのに、シングルマザーの生活苦や長時間保育の必要性と弊害の問題など、わかるわけがないのである。
また、男性の育児休業のモデルケースを作って社会に普及していくためには、公務員からでなければ始まらないとも思われる。このあたりは、公務員が労働条件で優遇されている話とは切り分けて考えるべきだろう。「公務員だけ優遇されてずるい」ではなくて、「どの職場でも育休が取れるように」を目標にするべきではないか。
育休は、「仕事をサボること」ではなく、「賃労働ではない労働を担うこと」である。男性が育休を取らないとして、その労働は誰が担うのかといえば、女性だ。橋下氏の批判はつまり、「妻が子育てするのが、日本の現状だ。世間を知らなすぎる」と言っているにすぎない。現状を追認して、皆しんどいのだから我慢せよと言うのが、首長の仕事だろうか。世間の現状を基準に切り捨てるより、男性が社会人として同様、家庭人としても一人前に働ける環境を整備していくのは、行政の長としてまっとうなあり方だと思う。
「すべてを公務に捧げる」という言葉も耳通りはよいが、実際はどうだろうか。食事や睡眠の時間もまた私的なものであり、それよりも公務が優先されるのだろうか。首長は24時間公務だと言うなら、家庭を持つな、友人づきあいもするなということにはならないか。一見禁欲的で真面目なようだが、実現できない理想をたてに人を批判するのは、偽善である。
必要な時に必要な仕事をして、私的な時間を持ち、リフレッシュして職場に復帰できる環境の整備は、ぜひとも必要なことである。現状、民間にはできないことであっても、将来像として示している「イクメン」首長たちにエールを送りたい。